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日本語から日本語への翻訳(その1)オカワダアキナ『さなぎ』

 ある日とつぜん、他人の書いた日本語の小説を翻訳してみたい!という謎の欲求に駆られて呟いてみた。ら、何人かの方が手を挙げてくれた。
 まずは(日本語から日本語への)翻訳、という言葉を定義しようかと思ったけどあまり厳密にやりすぎると最初の閃きのおもしろみが減ってしまいそうなので以下のルールを自分に課した。
・話の筋を変えない
・要素を増やしたり減らしたりしない
 手を挙げてくれた方は4人いて、順番通りに翻訳していく。さっそくオカワダアキナさんの『さなぎ』に着手したのだけれど、めちゃくちゃに楽しかった。
 当然まず元の小説をよく読む必要がある。そこからなんとなく書き始めたんだけど、この文章はどういう意図で書かれたのかとか、どうしてこの情報をここに配置したのかとか、とにかく考えることがたくさんある。
 僕はオカワダアキナさんの作品が好きで、特にその独特の浮遊感とそれなのに崩れないリアルさみたいのがすごくてどうやって書いてるんだろうと思っていたんだこど、今回少しだけその秘密に触れた気がする(触れただけで解き明かしたりはできない)。
 小説書く人は楽しいし勉強になるからからやってみて欲しいし、小説を読む人もぜひ読み比べてみて欲しい。
 正直いってもうすこし自分のカラーみたいのが出るかなと思ったけどそんなことはなく、原文がとても素晴らしい出来だったので勉強させてもらった!という感じ。

原文はこちらです。
オカワダアキナ『さなぎ』

では日本語から日本語への翻訳(勝手にJtoJって呼んでる)は以下になります。

さなぎ(原作:オカワダアキナ、訳:伊藤なむあひ)

 ジモティーでレコードプレーヤーを譲ってもらえることになったから、と昨日のおれの食べ残しの煮魚をつつきながら祖父は言った。代わりに取りに行ってほしい、と。そんなの自分で行きなよ、と母が返すと、おまえのふりしてやりとりしちゃったんだと祖父が白状した。煮魚は昨日からテーブルに出しっぱなしにしておいたものだから、汁が冷えて固まりつつあった。祖父が煮こごりをご飯に乗せたのを見ておれも食べたいと言ったら、母はちょっとめんどくさそうにお米をよそってくれた。でも、きょうは朝ご飯をちゃんと食べるね、と嬉しそうにした。
 ジモティーというのはユーザー同士が中古品を売買する掲示板のアプリで、祖父は母の名前でやりとりをしていた。ネカマじゃん、と母は抗議したけれど、祖父はネカマの意味を知らなかったのでなんだか変な空気になった。おれはちょっとわらった。相手が女性だから、と祖父はぼそぼそ言った。怖がらせてしまうんじゃないかと思ったんだ、と。
 煮こごりと魚の身を食べたおれは、舌と骨を戦わせていた。太い骨は汁と脂をまとって光っており、誘惑に負けたおれがそれを口に入れてなめたり吸ったりしているうちにそうなったのだ。骨はすぐに味がしなくなる。舌が負けたら喉に刺さる。すぐに母に見つかり止められた。結局、母は文句を言いつつも祖父の代わりにレコードプレーヤーを取りに行くことになった。祖父は母に二千円渡した。
 曾祖母はだいぶ前に亡くなっており、長いこと放っておかれたその家を祖父と母は最近になって少しづつ片付けているらしい。曾祖母の家にはミカンの木があり、空き家になってもアゲハの幼虫が這っていた。ミカンの実がなったのかは知らないし、蝶になったのかも知らないが、古いレコードはたくさん出てきた。

 待ち合わせ場所は隣町だった。相手の名前はnagisaといい、レコードプレーヤーは自宅近くまで取りに来てくれる人限定と書いてあり、千円だった。むかし、不動産屋の営業をやっていた頃に来たことがあると母は言った。チラシのポスティングをやらされ住宅街を歩き回ったのだと。チラシの入ったポケットティッシュ。大きな家の、鳥のかざりのついた郵便受けにティッシュを入れていたら、奥からおばあさんが出てきてティッシュならもっとちょうだいって。十個くらい渡したら喜んで、ポスティングはすぐ終わったの。懐かしいな、雨あがりでもなかったのに郵便受けはびしょびしょだったな。と母は笑い、電車が来た。電車からは水のにおいがした。地下鉄じゃないのに地下を通る電車で、きっと地下には水がたまっている。郵便受けも水のたまった地下を通ったのだろうか? 祖父の家はマンションで、郵便受けは階段下に並んでいる。通学路の歩道橋は雨が降ると水がたまり、手すりに触ると手に鉄のにおいがついた。郵便受けも触ると鉄のにおいがうつるのだろうか。学校にはずいぶんと行っていない。懐かしいな、と小声で言ってみた。
 電車はすいていた。母は車のキーをポーチにしまう。レコードプレーヤーを受け取るからだろうか、祖父は、おれと母が車で行ったと思っている。車は自宅最寄り駅近くの駐車場に停めてあり、母はどうしてそうしたのかを言わないでいた。なんとなくわかる気がしたが、おれは何も言わずに母について行った。

 知らない町で、大きな犬だった。すれちがったあと母が、チャウチャウ犬だね、と言った。中国の犬でベロが青い、と。本当だろうか。街路樹の下は実がたくさん落ちていて、おれはそれを踏んで歩いた。実は割れてスニーカーのソールに入り込んだ。足を上げるとくさかった。ちゃんと見たかったと言ってみる。母は慌てた感じで、真っ青じゃないよ、青黒い感じだよ、と付け加えた。おれがあの犬のベロを引っ張るとでも思ったのだろうか。
 待ち合わせの公園は、アパートと家に囲まれていた。このどれかがnagisaの家だと思った。母がアプリから連絡してみると、すぐに誰かが出てきた。やせたおじさんだった。やせたおじさんは、紙袋を二重にしてレコードプレーヤーを持ってきてくれていた。挨拶もほとんどなしに、母がおじさんに千円を渡す。おれが母の代わりにレコードプレーヤーを受け取る。おじさんは、おまけです、と言ってレコードを何枚か袋に入れて去っていった。母は、麻薬の取り引きみたい、と笑った。
 公園のはす向かいの庭で水を撒く太った女の人と目が合った。nagisaだ、と思った。祖父とやりとりたのはあの人で、やせたおじさんは代役だったのだ。母は見ておらず、おれだけが気付いたようだった。長く伸ばしたホースから出る水は、庭をはみだし、車をしめらせ、生け垣にかかり、郵便受けを濡らし、曾祖母の家に届いた。みかんの実がなった。おれと母は交代で、重たい重たいと言いながらレコードプレーヤーを抱え家に帰った。

 祖父に教わったように、そうっと針を落とす。ぶつっ、と音がして音楽が流れ始める。子供のころ鶏を飼っていたのだと祖父が話す。鶏には野菜を食べさせたから、フンが緑色で芋虫みたいだったと。フンはアゲハになったのだ。
 今日、母は運転免許センターというところに行っている。免許更新の期限が過ぎてしまい、手続きが必要なのだという。それについて、祖父と母は少しケンカをした。前の家にハガキが届いてるんだからしょうがないでしょ、と母は泣いた。前の家には父がいて、恐らくもう会うことはない。失効しているのを知って運転するやつがあるかと祖父は叱った。とても優しい言い方だった。母はおとなしく頷いた。
 おれは祖父と買い物に行き、フードコートでかき氷を食べた。ふと思い出し足を上げスニーカーのにおいをかいでみる。まだくさかった。ブルーハワイを食べる祖父の舌は青く、おれはチャウチャウ犬のことを思い出した。

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