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日本語から日本語への翻訳(その3)ひざのうらはやお『コロセウム』

少し時間があきましたが日本語から日本語への翻訳(JtoJ)シリーズみっつめです。なんか頑張ってるな自分。えらい。

前回はこちらです。紙文さんの『魚のいらない水槽』の翻訳。

今回の翻訳させてもらったのは、ひざのうらはやおさんの『コロセウム』という作品。当初は『カモメ』という話だったんですが、やりにくそうだったらこのなかからどれを選んでも大丈夫ですよとの言葉をもらい一通り読んでみたうえで選びました。

選んだ基準は以下。
・これまでの2作と違う系統の作品
・翻訳難易度が高そうな作品
・固有名詞が少ない作品
小説なんだけど、詩みたいな抽象度(?)の私小説という感じで、いい感じに難しかったです。私性が高いやつは特に気を遣いますね。

抽象度が高い文章はある程度中身を理解しないと単なる言葉のすり替えにしかならないので、うんうんうなりながら翻訳したけど合ってるかどうかはひざさんにしかわかりません。

ひざのうらはやお『コロセウム』の原文はこちらです。読み比べてみてね。

ではいってみましょう。

コロセウム(原文:ひざのうらはやお、訳:伊藤なむあひ)

 折りたたみ傘を広げると、か細い骨が伸びてつながった。ピンと張った布が鈍い音をたてる。擦り切れた革靴から水が入って、靴下が濡れた。歩く足が冷えていく。眩暈がした。イヤホンから流れる音楽がいつもより速く聴こえるのは、ぼくが遅くなっているからだ。ぼく以外のすべてが進む速さから振り落とされ、取り残され、何もかもが見えなくなる。
 星ひとつない闇。気が付けば目の前の道路も、商店も、マンションも、ガソリンスタンドも見えなくなっていた。視界は黒で満たされている。ここを世界と呼びたくなかった。ぼくは、これを世界と呼ぶためにうまれてきたのではない。八分の六拍子はどんどん早くなり、だんだんと遠くなっていった。
 はるか遠くの消失点にみんな吸い込まれてしまったみたいだ。なぜぼくだけがここに立っているのか分からない。いや、もはや自分が立っているのかどうかすらよく分からなかった。ぼくはこれを世界と呼びたくないのだ。これがぼくだけの世界であるはずがないのだ。
 どこにもない夜だった。身体だけが熱くなる。ぼくのなかの熱が、血潮が、筋肉がまだ震えている。スタンドプレー、スタンドプレー。放送席はどこにもなかった。ボールも、ゴールも、コートすらなかった。けれどぼくは、これが試合だと確信していた。ぼくは世界の代わりに試合に立っていた。行き場を失った熱が、出口を求めて反射した。足元は冷たくなかった。もうどこにも、冷たさは残っていなかった。
 肌に触れる空気が変わる。三拍子が元の速さを取り戻していく。放射状に噴き出すように景色が戻ってくる。ぼやけたネオン。オートロックに囲まれた集合ポスト。トレーラーを吐き出したばかりのガソリンスタンド。空は暗く星はなかったが、雨は降り続け熱を奪っていく。
 しいていうなら、これが世界だ。この世界とぼくは互いに素だから割り切れることはない。溶けあうことは許されない。世界は誰とも溶け合わないし、混じり合わない。だから常に走り続けていなければ、こうして簡単にぼくを抜き去り、振り落としていく。あたりまえのものがあたりまえにあることは、あたりまえではない。それが世界だ。たったひとつの世界。

 だからぼくは、世界に溶け込む君が嫌いだ。

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