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立ち上がれない夏

2017年8月6日。
NPO法人のサポート承認度、コンサル候補の承認を得て、
午前中のうちに第1回臨時総会は終了しました。
その後はヤマダさん以外のコンサル候補にはお断りの連絡を入れました。

さあ、いよいよ本格的に工事に向けて準備です!
どこを工事する必要があるか、判断するためにはまず建物診断が必要です。
そのための資料集めなどにも着手しなくてはなりませんでした。
建築竣工図のデータなどもその一つですが、何がどこにあるのかもわからず、キヨタさんと二人、あたふたしながら管理人室や資料庫を探すなど、なかなかの混乱っぷりでした。

とはいえ時は8月……。
臨時総会後はお盆も控えており、マンションの理事会も大規模修繕委員会も、しばらく夏休み状態に入りました。

勤め先も夏季休業に入ったお盆休み。
実家のある岡山に帰省した数日間を、わたしは殆ど死体か液体と化して過ごしました。
郷里の友人に会う気力もなく、貪るように眠り、だらだらと自室にあるマンガを読み漁り、母が作ってくれるご飯をありがたく食べました。
食っちゃ寝が許される、静かで穏やかな数日間でした。

わたしが一戸建てで育ったのは、この連載の初期の初期にお話ししたとおりです。もう少し詳しく言うと、両親に兄弟姉妹が少なかったせいもあり、いとこをはじめとした親戚も無論少なく、深い付き合いのあるご近所もほぼいない状況で育ちました。
なので地元に帰っても、
「周囲の目が……」とか、「近隣に住む親せきのプレッシャーが……」とかいったお悩みや、親戚連中とのゴタゴタ話も、ほぼ無縁でした。
生活感覚としては、核家族化がすすんだ都市の人々のそれの方が、近しい気がします。

生まれ育った場所も私が18の時に転居し、以後はそれまで縁のない土地に移ったため、地縁はますます薄くなりました。
加えて進学で、実家の転居とほぼ同時期に郷里を離れた私にとって、転居先の家は「ただ両親が住み暮らして、かつ自分の部屋がある居心地のよい場所」といったレベルの認識でした。

そんなぬくぬくの巣のような実家で、だらだら生活してパワーチャージしたわたしは、再び京都に戻りました。
京都に戻ると、基本は戦闘モードです。

お盆休みが明け1週間ほどたった8月26日、久しぶりに修繕委員会を開催しました。この日の集まりには、8月6日の臨時総会でコンサルタント候補として選ばれたヤマダさんにも来ていただきました。

ヤマダさんはコンサルタントとして担う業務について説明し、契約書の叩きを持ってきてくれました。

「工事はいまからだと今年の秋はもう間に合わない。実施するとしても来年の秋ですね」

大規模修繕工事は、今日決めたら明日からできるというものではありません。
終わりの見えない、長い道のりのことをを想像すると、仲間はたくさんいても、時折じんわり涙が出てくるほど無性に凹みました。
だからそれはなるべく考えないようにして、目前にあることを片付けるべく対処していました。

コンサルタントはこんな業務をする人です、ということを、区分所有者の皆さんに説明する機会を設けなくてはいけないですね、ということをこの日の大規模修繕委員会で打ち合わせました。
実はヤマダさん、コンサル候補として臨時総会で承認はされたものの、ヤマダさんにかかる経費は予算化されておらず、これまた臨時総会が必要となりそうな雲行きでした。このあたりは私たちのヌケていたところなのですが、詳しくはややこしくなるのでまた改めて。

さらに臨時総会でまた話題に上がった水道・水圧問題についても(どんな嫌なヤツでも)困っている人がいる限り、大規模修繕委員会としてはもう一度、調査をしてほしいという希望を理事会に上げることにしました。

K氏が再び強烈なパンチを繰り出してきたのは、そんなふうにゆるゆると日常が戻り始め、夏も終わりかけたその頃でした。

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