【ヒプマイ考察】波羅夷空却と龍
新年のご挨拶と共に本論考を投稿できればよかったところ、なんと一月より半年以上経っての公開となってしまった。
本年は辰年である。さらに波羅夷空却がそのキャラクター設定上「龍」と何らかのかかわりがあるということは、オタク達にとってはこのかた明らかな事実でもある。
ついては是の如き縁によりて、辰年にあたる本年の8月21日、すなわち波羅夷空却の誕生日に本論考を公開することとした。波羅夷空却の宗教的背景を論ずる考察論文の投稿から、尼にとっては一年ぶりの投稿となる。
久方ぶりの論考ということもあって、これを読んでくださっている読者の皆様に、2点ほど前置きをさせていただきたい。
まず、尼(著者)の考察論文はあくまで二次創作としての論考であり、これが正解といった主張をするために出しているものではないということ。毎度の注意書きではあるが、大切なことのため重ねてここにも記しておきたい。
次に、尼は龍を学問的に学んだことのないド素人のため、必ずしもここに書いていることを鵜呑みにしないでいただきたいということである。尼はただの仏教オタクであり龍研究の専門家ではない。東洋思想を学んでいた頃の勘所を頼り、様々な本や論文を読んだ上で本論を書いているに過ぎず、有識の皆様方にとって本論は極めて浅く物足りないものとなるに違いない。また、論文というにはあまりにも短いものとなることだろう。
よって、たまたまご縁あって本論をお読みくださる皆々様においては「波羅夷空却ファンかつ仏教オタクの素人が、何やら色々と龍について調べて関係性を探ってみたらしい」程度に、話半分で楽しんでいただければ幸いである。
なんとなく持っていた「波羅夷空却といえば龍!」というイメージをより深堀っていくことにより、「波羅夷空却と龍って、こういう関係なのかも!? ということは、こんな想像もできるかも……!」と、皆様がキャラクター解釈を自由に楽しんでいただくための一助に、本論が役立ちますように。
というわけで、波羅夷空却と龍をテーマに以下、その関係性を検討した結果を論述していく。
波羅夷空却における「龍」の描写
先述の通り、ヒプノシスマイクのキャラクターである波羅夷空却と「龍」がそのキャラクター設定や、モチーフ、イメージ等において深い関わりを持つことは、オタクたちにとって今更取り立てて扱う必要のないことであろう。
だが、これまで波羅夷空却と龍に関し、改めて体系的に情報を整理して検討を行なった方はいらっしゃらなかったように思う。管見の限り今日までの尼の目には留まっておらず、本論考を書くにあたっては自らの知的好奇心を満たすべく、改めて調査をすることとした。
ところが、様々なメディアミックスにより展開するヒプノシスマイクという作品においては、情報収集だけでも大変骨の折れる作業となる。
特に尼はゲームが得意ではないためARBの動向をほとんど把握しておらず、ステに関しては観劇したものとそうでないものがある上に、その都度セリフや楽曲を写経していたわけでもない。
よって、本論では尼の把握している限りの波羅夷空却と龍に関する情報を用いて論ずることとなる。もし有識で慈悲深い御方がいらっしゃりましたら、「こんな一次情報もある」と哀れな凡夫に教えていただけましたら大喜びいたします。
龍を自称するラップ&リリック
さて、そもそも波羅夷空却が龍を冠するということがオタクの間で了解されるようになったきっかけは一体何だったであろうか。それは遡ること波羅夷空却の記念すべき初ソロ曲「そうぎゃらんBAM」に始まった。
この曲で波羅夷空却は自身のリリックを「龍の如くfire」と表現し、さらには自らを「Evil Monk(波羅夷空却のMCネーム)、Bad Ass Temple(ナゴヤディビジョン代表のチーム名称)のDragon(龍)である」と名乗ったのである。
キャラクターのソロ楽曲とは、すなわちその楽曲を通じてキャラクターが何者であるかを説明する楽曲であると言っても等しい。ましてやヒプノシスマイクは漫画原作ではなく「音楽原作」のプロジェクトである。そんなソロ曲にて、重ねて波羅夷空却と龍との関係性が示唆されたということは、キャラクター設計の根本より「龍」が波羅夷空却にとって何か象徴的な存在とされていたことは明らかといえるだろう。
また、同じくリリックという観点で見ると、次のようなラップも波羅夷空却は展開している。
波羅夷空却はヒプステの初登場曲においても、またしても自らを「龍」と名乗っているのである。
少し脱線することとなるが、のちの議論にもつながる部分があるため、ここで歌詞の意味についても触れておきたい。
「達観のdragon」という言葉については、Monk:僧侶(※正確には波羅夷空却は僧侶ではない)が文字通り浮世から離れたままに世を観るというイメージを受けることもできるし、龍のように高々と天空を飛びながら俗世を見下ろし達観しているという意味にも取ることができる。(どちらにせよ滅茶苦茶カッコいい)このリリックは、それそのものが抽象的であることから解釈はさほど難しくないと言えよう。
しかし、「龍の婆羅門」については尼は解釈が2通りに分かれると考えている。婆羅門とは、古代インドのカースト制度における頂点「バラモン(brāhmaṇa)」という司祭位を指す言葉である。
仏教はこのバラモンを中心としたバラモン教に対するアンチテーゼとして発生した思想のため、通常はあまり婆羅門という言葉を仏教僧侶の呼称として使うことは一般的でない。
つまり、ここでは婆羅門の本来の語句の意味をただ追えばいいというわけではなく、少しく超訳的な読解が必要となるのである。
一つ目の尼の解釈は、婆羅門をバラモン教の司祭の意として受け取るのではなく、「広義の僧侶」の呼称として考えること。実際に「バラモン」がインド宗教の僧侶における包括的呼称として利用されることもあるようなので、これはもっとも自然かつ無理のない解釈となるだろう。
二つ目の解釈は、婆羅門とは「婆羅門天」を指すと考えること。一般的には「梵天」の音写語を用いて呼ばれることが多い仏尊である。
ここでは話が逸れるため詳しく説明を行わないが、婆羅門天(梵天)は仏教の守護神とされており、のちに触れるが同じく仏法守護の性質をもつ龍と重なる性格をもっていることや、「仏罰を下す」という枕詞を考えても、波羅夷空却が自らを「龍を冠する仏法の守護神」として仏罰を下すという意味でラップをしているという解釈ができるのではないだろうか。ここで触れた龍の性質については、後の章で詳細を説明することとする。
というわけで話を戻すと、何はともあれ波羅夷空却が自らを龍と自称する、あるいは龍を冠する存在であると主張しているのは、興味深いことにヒプノシスマイク原作・ヒプステともに彼の初登場一発目のリリック(また、楽曲)であったということが分かるのである。
龍を想起させるキャラクターデザイン
続いて異なる切り口として「キャラクターデザイン」の観点から論じてみよう。
尼はデザインには滅法疎い方である。視覚的認知能力に至っては殊更に自信がない。
そのようなわけなので、自分自身の直感がまったく頼りにならないのだが、波羅夷空却の瞳を初めて見たとき、なんとな〜くヘビっぽいな……とぼんやり思ったのであった。金とも黄とも言えない色合いや、瞳孔?の開き方、鋭い目つきなど、ともかくなんだか他のヒプマイキャラクターの目と描かれ方が違うと感じられたのだ。
龍のビジュアルについては、ヘビのイメージに引っ張られて同様の目を描かれることもあれば、九似(龍は9つの動物に似た身体的特徴を持っているという考え方)に基づき「鬼(または兎)のような目」を持つとも言われる。証拠のない感覚的な話なのでなんとも言えないが、筆者はなんとな〜く、前者のヘビのような目を龍に見立ててデザインしたのではないか……?と感じているのである。
また、曖昧模糊な瞳の件とは対照的に確固たる「龍をモチーフとしたキャラクターデザイン」として挙げられるのは、波羅夷空却のヒプノシススピーカーである。
彼のスピーカーは仏教寺院で用いられる梵鐘に龍がとぐろを巻いている姿で描かれている。当時、尼を含む波羅夷空却のオタクたちは彼のスピーカーのビジュアル解禁を長らく心待ちにしていた。コミカライズでは龍にまつわると思わしきシルエットの示唆があったものの、ついに全貌を明らかにして登場した際は、なるほど!龍に梵鐘ときたか!と喝采を送りたい気持ちだった。というのも、製作陣の手の込んだ(発想をひねらせた)デザインが大変素晴らしかったからである。
仏教では梵鐘の鳴らす音には功徳があると考えられており、その音は苦を除き、人々をさとりへ至らせしめるとも言われている。
波羅夷空却が自らのラップを「説法」とかけて表現することはしばしばあり、その説法ラップを世に響かせる役割を担う梵鐘スピーカーは、まさに元来梵鐘が持つ文脈と重なった秀逸なデザインと言えよう。そして、その梵鐘に何故龍が巻きついているのかというと、梵鐘の「龍頭」と呼ばれる部分に由来するものと思われる。(余談だが、実はこの龍頭というパーツにあしらわれているのはいわゆる龍ではなく「蒲牢」という中国の伝説上の獣である。龍と酷似しているため日本では龍頭という名前で呼ばれるようになったそうだ。この蒲牢という生き物はよく吠えるようで、その鳴き声のように鐘の音が遠くまで響き渡るようにという意図が込められての装飾だという)
なお、スピーカーにかかわる考察について尼の立場を明らかにしておくと、一昔前に界隈を風靡した安珍清姫伝説と波羅夷空却の関係性については、尼は懐疑派であるためここでは取り扱わないこととする。
さて、作品上で見られる(あるいは示唆されると思わしき)波羅夷空却と龍の関係性についてはこれまでの通りである。※他にもあったら教えてください……。
ここからはいよいよ本論へと移っていくが、この論考では「なぜ波羅夷空却が龍とかかわりがあるとされるのか」ということについてを論じる予定はない。例えば、中日ドラゴンズから龍の着想を得たのでは?という考察もあるが、どのような説だとしてもオタクには検証のしようもなく、論ずるところにキリがないからである。
そのため、この論考では「波羅夷空却の設定を龍とのかかわりの中で論ずるならば、どのような新たな観点が得られるのか」ということに焦点を当てる。何事も創造には原資が必要であり、その原資を得ること……ここでは龍について学ぶことによって広がる、波羅夷空却というキャラクターの魅力を本論によって創造(想像)してみようではないか。
というわけで、続いては我々の想像の原資となる「龍」について学んでいこう。
そもそも「龍」とは何か?
東西世界にまたがる空想生物
皆様は「龍」というと一体どのようなものを想像するだろうか。蛇のように体は長く空を飛ぶだとか、あるいは翼を持つ恐竜のような躯体で炎を吐くだとか、その答えはさまざまであろう。
世界の龍は東方の龍と西方の龍に分けられる。蛇のように体は長く……というイメージは代表的な東方の龍のイメージであり、後者は西方に代表される龍のイメージと言えよう。本論はおよそ日本と推定される国で生きる波羅夷空却を中心とするため、主に東洋の龍に焦点を当てることとする。
東方の龍について概論を述べるならば、代表的なものとしては「インドのナーガ」「中国の龍」の2つがある。これらに様々な思想や崇拝が習合することによって、日本、朝鮮、チベットなどの各地域において独特の「龍イメージ」を形成させてきたというのが概ねの東方の龍の様相である。
さて、尼が調べる限りの見解では、この「龍」というものは学問的に研究をすることが非常に難儀なツワモノであった。言葉を選ばずに言えば、ともかく調べれば調べるほど、龍の起源も、想像される姿も、介在する思想も信仰も、何もかもが混沌としていてグチャグチャな有様なのだ。
当然である。龍とは実態のない空想生物なのだから、龍が人類史に登場して以来、人々が想像するままにさまざまな言説が付け加えられてきた。誰も見たこともないし、実在するかどうかもわからない動物にもかかわらず、東西を超えた広い文化圏でなぜか「龍と思わしき生物が存在する」とまことしやかに囁かれ、人間の想像力によって龍は形成されてきたのだ。いうなれば、現代もなお龍のイメージが形成されてく途上にあると尼は思う。様々な芸術作品や思想、漫画やアニメなどの創作作品で龍は扱われ続けており、それらの全てが現代人の龍に対するイメージ形成に大きな影響を与えている。もしかすると古代人が想像もしなかった龍の姿や性質がすでに現代で生まれている可能性もあり、これからも龍は形を変えて人々に伝播され続けていくのであろう。
そのような状況なので、この場で龍という動物の全容をたとえ東洋の龍に絞ったとしても語ることなどは到底できない。(そもそも学術的にも歴史学、考古学、思想哲学、美術といった信じられないほど様々なジャンルで龍は研究されている、しかも何度も言うように龍は存在しない動物なので、ほとんど文献学や推論によってのみ……正直、今回ちょっと調べただけでも尼はお手上げ状態である)
よって以下、各国の龍をそれぞれ紹介するが、深掘りせず極めて表面的な部分のみ紹介できればと思う。気になるものがあれば、各人個別で追加調査をしていただければ幸いである。
インドの龍
まずはインドの龍、ナーガ(Nāga)について紹介しよう。
ナーガ(Nāga)とは仏教の誕生以前より、元々インドで土着的に信仰されていた蛇(コブラ)を指すものである。そう、インドでいうところの龍とは実は「蛇」に始まるのだ。
このナーガと呼ばれる蛇が仏教と習合し、さらには中国の龍信仰と結びついた結果、東アジアの仏教ではナーガを「龍」として解釈することが定着したた。そのため、厳密に言えばこの蛇を「龍」と呼んでいいのかどうかいささか疑問が残るが、そのあたりの呼び方や認識も含めて、ほとんど国を超えてグチャグチャな状態なので、ここではインドの龍としてナーガを紹介することとする。
ご存知の通り、波羅夷空却のリリックにおいてもナーガは取り扱われている。
シンジュクとの戦いで登場したこのリリックは、いわゆるインドの蛇の姿をとったナーガではなく、ヒプノシススピーカーに現れる中国式の龍の姿を指すものとして解釈すべきである。
水神とは?というところについては後述することとするが、つまり「インドの龍、ナーガ自体を学ぶことがどうやら波羅夷空却のスピーカーを考察することにもかかわりそうだ」ということがこのリリックからお分かりいただけることだろう。
さて、ナーガとは元々はモンゴル系混淆民族と呼ばれるナーガ族に由来すると言われている。彼らは蛇をトーテム(その部族・氏族などと特別の関係にあると信じられる動植物・自然物)とし、一説によればその信仰要素をインド地域にもたらしたことからインドの蛇信仰が始まった可能性もあるらしい。
興味深いことに、彼らが信仰する蛇は後々にインド地域へ侵入したアーリア人に由来する『リグ ・ ヴェーダ』において、インドラ神の強敵として描かれ、その蛇を退治するという文脈で登場することとなる。これはおそらく、アーリヤ人がナーガ族を征服することを象徴するエピソードとして描かれているのであろう。(日本の国譲りエピソードのようなものである)
ナーガとはコブラが起源であると言われているが、伝説上の姿としては上半身が人間で下半身が蛇の形をしており、複数の蛇の頭を持つ姿とされた。蛇の性質を受け継いでか水辺や井戸などに棲むと言われている。このように見られる「龍と水との関わり」は後述する各国の龍信仰においても共通する部分であり、波羅夷空却の検討においても重要な要素として、後に触れることになるだろう。
また、後世に誕生した仏教においては、ナーガは特殊な力を持つ神に近い存在として描かれるようになる。例えば雨を降らせる能力や人間に変身する力を持ち、仏教経典の内容を理解できるような智慧を持つ存在へと変質していったのである。そしてナーガは釈尊(ブッダ)に帰依した仏法の守護者として受け入れ られ、いつしかコブラの文脈を超えた「龍王」として仏教徒の信仰を集めるようになった。その信仰の発露として『法華経』の八大龍王の誕生が挙げられる。
こうしてナーガは仏教に習合され、後に仏教の伝播とともに数々の諸国へインドの龍概念が運ばれることとなったのだった。
中国の龍
中国の龍はインドの龍と異なり、蛇に由来するものではないという説が有力である。なにしろ、中国に仏教が伝来する以前よりいわゆる「龍」という存在は独自性を持って古代中国の文献史料に登場していたのだ。このことからも、インドのナーガ信仰とは切り離された「龍」が中国には存在していたと言えよう。
では、一体何が中国の龍の起源なのだろうか。
司馬遷の歴史書では、なんと古代王朝(夏王朝)では龍を飼育していたという記録が残っている。龍を飼育!?と思うかもしれないが、つまりこの記録を信頼するならば、龍はかつて実在する動物だったということ。すなわち龍の起源となる動物が、何かしらの形で存在していたということだ。
最近の研究で最も有力なのは、古代日本に生息していた「マチカネワニ」と呼ばれる巨大ワニの近縁種が龍の起源であるという説だ。寒冷化に伴い日本からは約40万年前に絶滅したが、研究によればその近縁種が中国では有史以降も生息していたことが明らかになった。
このワニは体長7メートルという巨大な躯体を持つだけでなく、獲物を見ると恐ろしい叫び声を上げながら人や動物を丸呑みにする大変凶暴な動物だったという。中国で発掘された骨からは、人間がこのワニと戦闘し傷を負わせた痕跡が見られたらしい。つまり当時の人々にとって、この巨大なワニは討伐すべき畏怖の対象であったと思われる。そんなワニを古代中国人は呪詛を込めて忌むために「龍」と名づけたという分析もまた、甲骨文字の研究から推測されている。
その後、寒冷期が訪れたことからこの龍と呼ばれたワニは絶滅、あるいは南下したものと考えられ、人々を脅かしていた凶暴な龍が忽然と文明から姿を消すことになった。だが、龍という名前やイメージだけがそこから数百年の間で人々の中に残り続け、結果として龍という概念だけが文明に残ったのではないかと考えられている。
つまり、元々は龍と呼ばれた巨大なワニが、絶滅と共に実体から「龍」の概念のみを切り離され、その概念に人々が様々な想像や伝説を付け加えていった結果、現在のような「想像上の動物」というべき龍の姿に変化していったのではないかということだ。
このようにして、概念としての「龍」が一人歩きを始めた。その過程で早々に「龍の神聖化」も同時に進み、その姿形や性質にどんどんトンデモ設定が付け加えられるようになったのである。
たとえばワニの性質に近いところで言えば、中国の「龍」もまたナーガと同じく水との関わりのある伝説を有するようになった。ワニは池や沼地などの水辺に生息する。その生息動向が龍という名前とともに後世まで伝えられていたのか、「龍は水から神通力を得る」とか「雨や洪水の原因」といった能力を後々付け加えられることとなった。
文献上『菅子』には「龍は水から生ず」、『春秋左子伝』には「龍は水物なり」という記述がある。ひょっとすると後世、龍の姿を見たことのない古代中国人が河やそこで起こる自然現象から、龍のイメージを着想した可能性もある。河の営みは人間の生活や生存問題と密接な関係を持っており、そういった脅威の中から信仰が生まれていったことも容易に推測される。(これは日本の龍信仰にも全く同様のことが言える)
かくして龍は水を呼び、雨や洪水の原因であると考えられた。たとえば『山海経』には「応龍のかたちをまねると大雨が降り出す」とある。また、龍は水から神通力を得るため、雲の水気を用いて天を飛行するとも考えられた。この水に関わる自然現象と龍の結びつきは、後に論ずる日本の龍信仰にも多大なる影響を与えた。
さらなる神格化としては、文献『史記』『淮南子』『山海経』などから「龍」の姿を断片的に確認することができる。たとえば『史記』などには、龍が自在にその姿を変化させ、天を飛ぶことができると述べられている。また、『淮南子』には、龍の種別には飛龍・応龍・蛟龍・先龍がおり、これらから麒麟や鳳凰、亀を含めた全ての鳥類・獣類・魚類・甲殻類が生まれたと書かれている。龍はあらゆる動物の祖であると主張されたのだ。
龍の見た目そのものについても、漢代までには「様々な動物の長所をそなえた怪獣」という観念が定着した。その代表説が先ほど触れた「九似説」である。角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、目は鬼※兎とも述べる論述もある、項は蛇、腹は蜃(みずち)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛といった特徴を、龍が持っているという。
なんじゃそりゃ!?と思われるかもしれないが、何しろ2000年以上前の伝説である。人々はまことしやかにこれを信じて、龍は別格であり最高の存在、瑞祥であるとして神格化されたのだった。
さて、このように龍は神格化されるにとどまらず、およそ漢代頃から古代中国人のトーテムとして扱われるようになる。すなわち、「自らを龍の子孫」と考えるようになったのだ。この考え方は後に王権と神権の結合の過程に取り込まれ、龍は神秘的な瑞祥と意義を超え、皇帝の祖先や化身、象徴として扱われるようになっていった。
つまり、龍の存在は皇帝としての権威の正当性の証拠として用いられるようになったのである。たとえば秦の始皇帝を祖龍と称したり、前漢の劉邦は母が龍と交わって生まれた子と説明された。さらには、皇帝は龍の顔を持つだとか、龍を皇帝の乗り物としたり、玉座は龍座と称され、皇帝をあらわす龍は5本の爪を持つ(このため日本の龍は3〜4本しか爪がないものが多い)など、王権と結合したことによって龍の神聖性はさらに強化されていった。
現代の我々のイメージする龍がなんだか威厳があり厳しい面持ちや雰囲気であるのは、この中国皇帝と結び付けられた龍のイメージから伝承したものであるからと考えられる。(皇帝=龍、とすれば、龍は荘厳で威厳があるべきといった方程式により、後の龍美術がそのようなイメージのものとなったため)
こうして龍は清王朝の滅亡まで皇帝のシンボルであり続け、人々の間では神格化された動物としてその概念が形成されることになったのであった。
なお、この「中国の龍」の形成とは異なる流れで、インドから仏教が伝来した際に「ナーガ」という生物の概念が流入した。
ナーガはただの蛇ではない。水に縁のある様々な神通力を有する神のような存在である。このナーガに対して、漢訳の過程で与えられた漢字名が「龍」だった。同様の動物を中国国内で検討した結果、「龍」と表現することが最も近しくわかりやすいと考えられたのであろう。
前段にて論じた「中国の龍」要素に加えて、こうして「仏教のナーガ(龍王)」という要素が新たに龍へもたらされた。この混合の結果がまさしく、日本に伝わった「龍」の姿であることは、ここまで読んでくださった読者の方々にはきっとお分かりいただけることだろう。
日本の龍
ここまで、インドと中国それぞれの龍について、相当の文字数を使って解説してきたことには理由がある。
なぜならば、日本の龍は「土着の蛇神」「インドの龍(ナーガ)」「中国の龍」の三つが溶け合って形成されたものだからだ。
まず、日本には土着の蛇信仰が存在した。おそらくコブラと同様に「牙が持つ毒性」や「他の生き物を丸呑みにする習性」「脱皮をする」などの特徴に基づいて、まずは原初的な信仰が誕生したのではないかと推測される。縄文時代の土器にはすでに蛇の姿が描かれており、古代より蛇が信仰対象となっていた可能性は高いだろう。
文献上では『古事記』『日本書紀』『風土記』において蛇神が登場する。八岐大蛇や、三輪山の大神神社にまつられた大物主の神、夜刀神などがその代表格である。もとより、やはり蛇の習性によるものか、それとも河川の流れを蛇に見立てたことによってかは定かではないが、日本の土着信仰においても蛇と水の関わりは密接なように思える。そうして蛇神をして「水の神」とすることもあれば、あるいは蛇の姿より男根を想像し「豊穣の神」とされることもあった。農耕民族の古代日本人にはどちらも重要な要素であり、各地でそれぞれが信仰を集めていたことは想像に難くない。
だが、そもそも日本の蛇神は、インドの龍や中国の龍と異なって「その地域、その村、その山河」などの土着性が非常に高い。インドの龍は仏教との習合により一定の統一的性格が保たれ、中国の龍においては皇帝との結びつきが統一的な龍の解釈を実現させた。
ところが、日本の龍信仰はインド・中国から受け継いだ龍の性質を取り除いたならば、残るは日本各地でそれぞれ生まれ、信仰されてきた土地固有の「蛇神信仰」と呼ばれるべきものであり、日本国内全体としての蛇神に対する統一的解釈はほとんど存在しないものと思われる。大きな区分として水の神、豊穣の神といった性質は共通する部分があるものの、さらに追求しようとすれば「その土地ごとの神による」というところに尽きるのではないだろうか。
先述の通り、文献に登場する八岐大蛇などの蛇神は解釈の統一化に成功しているともいえるが、これも「蛇神というものは…」というよりは「八岐大蛇というものは…」というその神単体の固有の解釈に過ぎないのである。
言うなれば、日本におけるA山の蛇神とB山の蛇神は、伝承される伝説も、神としての性質も完全には統一されていない個々の存在と捉えられるべきという意味で、インドや中国の龍とはやや異なる存在だと言えるだろう。(そこが日本の土着信仰の面白さである)
このように日本の土地と文化に根強く存在していた蛇神信仰の中に、仏教伝来とともに「インドの龍(ナーガ)」と「中国の龍」が合体してまとめて流入してきた。おそらく、日本人はこれらの龍を蛇神と同一の神として受容し、習合させたのではないかと考えられる。
これこそが日本文化の中に存在する「龍(または龍蛇)信仰」の成り立ちであるとすれば、日本国内の龍のはたらきを考える上では、インドの龍(ナーガ)と中国の龍のそれぞれの性格を理解しておくことが非常に重要であったことをご拝察いただいたことだろう。
さて、是の如き諸文化との習合の結果、日本の龍信仰は以下の通り分別することができると尼は考える。
①水神・雷神としての龍
元々、日本の蛇神が担っていた「水の神」の性質を、龍の姿をとってそのまま受け継いだ形としての龍である。河川については先述の通りの経緯を連想することができるが、水神の龍には「雨乞い」をする信仰もある。すなわち、天候と龍を結びつけた信仰もまた存在するということだ。
そもそも古代中国では農業に雨が必要となる季節(春分から秋分)にかけて出現する星を龍と見立て、雨をもたらす神として雨乞いの儀式を行うようになったことを契機とし、龍と雨の結びつきが強くなったという説がある。その影響を受けてか、蛇神信仰の名残ゆえか、日本の水神信仰においても各地で雨乞いを目的として龍を祀る祭事が今もなお残っている。また、雨は雷とともに降る。このことから龍は雷そのものであるとも考えられ、雷(龍)が雨を呼ぶとも言い伝えられていた。雷鳴(神鳴り)は龍のなき声とも言われていることからも、すなわち龍が「雷神」と考えられていたことについても窺い知ることができるだろう。
また、水神信仰と同様に「海神」としての龍も日本では信仰されていた。海神信仰もまた『古事記』や『日本書紀』に遡ることのできる起源を持ち、主に漁業に携わる人々を中心に信仰を集めた。この海神信仰はちょっと調べただけでも相当な複雑性を有していたため、波羅夷空却との直接的な関係が管見の限り見られないことを踏まえ、ここでは深掘りを避けさせていただきたい。
②日本仏教との習合
古来、日本の仏教は神仏混淆のままに発達してきた。そのような宗教環境ゆえに、当然のことのように日本の龍と仏教も習合の一途をたどることとなる。
そもそも、中国から伝来した龍の概念はインドの龍(ナーガ)を内包していたため、すんなりと僧侶にも民衆にも受け入れられた結果、土着信仰の蛇神が中国式の龍の姿に形を変えて、日本仏教世界にもナーガの役割を買う形で登場するようになった。
その伝播に一役買ったのが、いわゆる「密教」である。密教とは、呪術信仰を代表するインド土着思想を内在した仏教のことで、その中には当然雨乞いといった祈祷修法も含まれたままに日本へ密教が伝来する運びとなった。
たとえば、空海が招聘した「請雨経法」は、龍王を本尊として降雨と五穀豊穣を祈念するものである。この龍王とは、①の文脈と似通ってはいるもののあくまで「ナーガ(龍王)」を対象とする仏教祈祷であることに留意すべきである。そう、この通りもはや日本での龍信仰においては、中国の龍もナーガも蛇神も①の龍も、玉石混交のぐちゃぐちゃ状態なのだ。
さらに、同様の儀礼としては「龍王講式」が挙げられる。この儀礼もまた龍王を本尊とし、龍宮世界を飾り立てることによって祈雨を試みる性質のものである。龍に祈祷を捧げる仏教修法は密教において特に盛んに行われ、国家における龍と天候との結びつきを強化させる役割を担ったといえよう。
さらに、雨乞いとは異なる文脈での活躍としては、日本の禅宗における「雲龍図」が挙げられる。雲龍図とは、禅宗寺院の天井に描かれる雲を取り巻いた龍の絵のことであり、インドの龍であるナーガの「仏法守護者」という性質を用いて、仏教に励む修行僧たちを見守り彼らに「法(仏教の教え)の雨」を降らせるという意味で描かれている。中国の宋代の寺院建築様式にならって寺院を建築した際、主に法堂の天井にこういった龍の絵が描かれる様式が取り入れられたのであった。
日本の龍に関してはいささか短くまとまってしまったが、我々が波羅夷空却を検討するために必要な龍の概略は尼の考える限り以上の通りである。
これをお読みいただく中で、すでに「これって、そういうことかも……⁉︎」と波羅夷空却に想像を巡らせた方もいらっしゃったのではないだろうか。
これぞ学びの醍醐味である。本論の集大成として、以上で説明した「龍に関する見識」を活用し、いよいよ波羅夷空却のキャラクター性や設定、周辺環境について思いを巡らせてみようではないか。※あくまで「こういう想像もできる」という二次創作的な考察である。悪しからず……。
龍の性格から波羅夷空却を紐解く
空却の荒行と龍
すでに前回の論文で言及済みのことではあるが、再度ここに記載すると、波羅夷空却の成し遂げた荒行と龍には何かしらの関わりがあるのではないかと尼は考えている。
周知の通り、波羅夷空却の成し得た荒行とは「滝行」らしいものであったということがコミカライズの描写により明らかになっている。仏教では実は滝行は修行法としてけして一般的ではなく、むしろ山岳信仰の要素を持つ修験道において用いられる修行法であることや、ここでは言及しきれないそのほかの要素も踏まえた上で、尼は空厳寺を「修験道の風習を持つ禅宗(曹洞宗)寺院」であると結論づけた。
ところで修験道においては、滝行を「水神」への加持祈祷を行うためとして実践することが多い。そう、宗教思想に基けば「波羅夷空却は荒行を通じて、水神(龍)からの加護を得た」と考えられる可能性が高いのだ。
もし、空厳寺の裏山にある山岳信仰がその滝に棲むとされる龍神を中心としたものであったなら、空厳寺はさながら龍神の守人であり、それと同時に龍神の加護を受けて鎮守される対象となるだろう。
さらに、空却は父親も成し遂げられなかった程の難行と思わしき滝行を完遂している。これをもって修験道の教義的に考えれば、波羅夷空却が「龍」に認められ、その力(加持力)を得ることのできた存在として解釈することができるのである。
なぜ波羅夷空却が自らを龍と名乗るのか?その答えを、龍の性質をもって波羅夷空却の宗教的背景を検討することにより、一つの仮説を立てることができるのだ。
空厳寺の縁起と龍
前述の通り、龍は仏教思想と集合した結果、仏法の守護者としての役割を担うようになった。特に日本仏教においては天龍八部衆という括りで龍を「仏法のみならず、仏教徒を守る神様」と考え、護法善神に数えることが一般的である。
中でも有名なのは、八大龍王と呼ばれる8種の龍王であり、これらの龍王は釈尊(ブッダ)の説法を聞いたことでこれ以上ないほど最上の覚りを得て仏教の守護神となったと言われている。彼らは教えを広める役割というよりは、外敵から仏教徒を守護する役割を担っているそうだ。
この「釈尊の説法により、龍が仏教の守護神となる」という構図は、実は釈尊を日本の僧侶に置き換えて仏教寺院の縁起として用いられることがしばしばある。それが中世以降で特に顕著だったのが、尼が空厳寺の宗派ではないかと考えている「曹洞宗」だった。
前回の論文からの引用となり恐縮だが、中世の多くの曹洞宗寺院がその建立の際に山岳信仰と曹洞宗の教えを習合させる形をとっていたことが史実として明らかとなっている。
ここで空厳寺の立地を思い出してみよう。ヒプノシスマイクのアニメ2期で明らかになった通り、空厳寺もまた中世の曹洞宗寺院と同様に山間に境内を構えている。そして波羅夷空却は山岳修行を好んで行っており、彼の成し得た荒行(おそらく寺に代々伝わると思わしき)もまた山岳修行に数えられる滝行であった。
この事実から推論できることとしては「空厳寺もまた、神異譚を寺院建立の起源(縁起)として成立した曹洞宗寺院である」ということと、「当寺に伝わる究極の行、滝行が水神(龍)に関わるものであるとするならば、空厳寺を建立する際の縁起そのものにも龍に起因するかもしれない」という仮説である。
釈尊の説法を聞いて仏教の守護神となった龍のように、日本の山間で修行する僧侶が龍を降して仏教に帰依させるというエピソードは少なからずある。
このように仮説を立てることによって、空厳寺の縁起に龍が関係しているという想像をすることも可能となるのだ。
もしかすると、空厳寺を開山した波羅夷空却の祖先(あるいは法脈上の祖)は、尾張地方のとある山に棲むとされる龍の話を聞きつけてこの地に修行へ参じたのかもされない。その中で龍と対峙し、この龍と問答を行った末に仏教へ帰依せしめたことから、空厳寺を建立する縁が生まれたとする。
「空厳寺はさながら龍神の守人であり、それと同時に龍神の加護を受けて鎮守される対象となる」という先ほどの仮説が、この空厳寺縁起の想像によってより一層の存在感を増してくるといえるだろう。
B.A.Tの稲妻と龍
B.A.Tのメンバーは各々のファッションのどこかに「稲妻」のようなマークを身につけている。
稲妻という説の他には、ロゴに鳥居が描かれていることから推定して「紙垂」ではないかという説も囁かれたが、その後リリースされた「R.I.P」の曲中では「勇・迅・雷・進・陽・月・星・召・舞」というリリックが登場する。ARB等で登場したイベントカードやキャラクターデザイン、ソロ楽曲などを鑑みると、どうやら陽=空却、月=十四、星=獄を表すと思われるが、そうするとやはりあの「紙垂」と思われたマークは「雷」の文字をとって稲妻マークと考えることが妥当なのではないか?と尼は考えていた。
仮にその前提に立ったとすると、(雷神の性質を持つ)龍を象徴する波羅夷空却が率いるチームの共通マークを「稲妻」とするというデザインは非常に得心がいくのである。
前述の通り、龍は雲を呼ぶ。そして雷となって雷鳴を轟かせ、法の雨を降らせる存在とされている。
波羅夷空却および彼が率いるBad Ass Templeはいつも楽曲や生き様を通じて我々に説法ラップを聞かせてくれている。波羅夷空却という龍が率いるこのチームを雷と形容するならば、彼らがもたらす説法とは、ここにおいては「法の雨」と形容できるのではなかろうか。
つまり、Bad Ass Templeのディビジョンの稲妻マークについても、波羅夷空却が自ら龍を名乗っているという前提に立てば、龍と雷と雨との関係性から新たな観点をもってその意味を検討することができるのである。
魔除けと龍
波羅夷空却は除霊能力を有するキャラクターである。これは考察でもなんでもなく、事実と事実を並べてただほくそ笑むだけなのだが、龍は古代中国より「魔除け」の効果があると考えられていた。
漢代以降、銅鏡、建物、墓の門柱などには龍が頻繁に装飾され、持ち主の魔除けとなるほか、建物や墓を守護する存在として扱われていたとみられる。また、墓室に描かれた龍については、その龍が人々の死後に墓へ眠る人を乗せて天に上るという伝説もあったそうだ。
龍の存在を波羅夷空却とみなすならば、彼は奇しくもキャラクター設定の中で除霊を担うという「魔除け」にも似た役割を果たすことがある。
そして、コミカライズの特典で描写されるように、死後の世界へ逝くことのできない人々に寄り添い、彼らの成仏を支援するシーンもあった。あの世への橋渡し、という点においても、またも数奇なことに波羅夷空却は龍と似通った役割を担っているのである。
絶対にそこまで公式は考えていないと思うが、運命的な偶然の重なりに尼のトキメキは止まらない。誰か存分にご創作をお願いいたします。
まとめ
本当はこのほかにも、今回学んだ龍の概要と波羅夷空却をかけ合わせて想像できることは様々ある。
例えば、空厳寺は禅宗寺院と思われるため、広い境内のどこかにある法堂の天井にはきっと「雲龍図」があるだろうとか。つまり波羅夷空却は龍に見守られながら育ち、仏教を学んできたのではなかろうかとか。
波羅夷空却がもし水神(龍)の加護を得られたとすれば、その滝には龍が棲むという伝説があっただろうか。
滝行で座禅に耐えていた際に、波羅夷空却は龍の姿を垣間見ただろうかとか。
その時の原初体験が「meditation」というラップアビリティや龍をモチーフとしたスピーカーにも現れたのだろうかとか。
波羅夷空却の目に龍の面影があるのはその加護を受けたためだろうかとか。
もしかして龍の背中に乗ったり、雨や雷を呼ぶ能力を手に入れることができただろうかとか。
ほとんどファンタジーの域とはなるが、考えれば考えるほど如何様にも想像することができるのである。
当然、公式はこんなこと絶対に考えていない。
だが、このように諸有を調べて論じてみると波羅夷空却と龍の関係は想像以上に語り白があるということがお分かりいただけたことだろう。
尼の考察はここまでである。
正直考察と言えるほどの内容でもないままにこれを公開することが悔やまれる気持ちあるが、本論を契機として、もしオタクの皆様が「こんな波羅夷空却+龍の設定・シーン・関係性があるかも!?」ということをさらに想像することの助けになったとすれば、これ以上に幸せなことはない。
あとのことは皆様にお任せして尼は一旦成仏し、波羅夷空却と龍のめくるめく創作世界をXで拝見できることを祈って、本論を終えることとする。
最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。
波羅夷空却くん、辰年のお誕生日おめでとう🥹🫶