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AIはアート的な画像が制作できるか?

まず論理を展開しやすくする前提として、用語の定義をしましょう。
ここでは用語の定義が学術専門的に正しいかどうかとか、あるいは定義された概念の良し悪しは抜きに、論理的な考察をするための仮の用語定義です。

創作活動をするとき、二つの方向性があると考えます。

・お客のニーズを満たすように作品(商品)を制作するのがクリエイターと、定義しましょう。

・自分の創作意欲や表現欲求を動機として活動する(アート・芸術)のがアーティスト、と言う定義。

実際はその中間あたりで、比較的にどちら寄りの方向性でやるか、と言う問題になると思います。

アーティストは自分自身の表現欲求が満たされれば満足、下手な落書きでもなんでも自分が好きに描いたものなら、とりあえずアートだとしましょう。

他人の評価もここでは無関係。
ただ、創作行為であると同時に表現活動の要素もあるから、他人に見せたいと言う気持ちはあると思います。

他人の評価を全く気にせずに平気で公表できるならば、その精神と活動自体が純粋にアート的とも言える。

究極的には自分が自由に創作・表現できたことを、純粋に自分自身の喜びとするのがアートでありアーティスト。

これとは別に、お客に作品を売ったり報酬を得る目的で活動(仕事)をするのがクリエイター。少なくとも自分のお客のニーズや評価を考えながら制作し、お客に認められて報酬を得ることの繰り返しで達成感や充実感を得る。

制作したものがデザインか、写実的な絵か、または抽象的なイラストか、などの作品の瑣末なカテゴリは関係なく、【制作の動機やその過程のどこに喜びの中心を見出すか】の違い。

その制作過程にAIを使うとどうなるのか?
と言うがここでのテーマです。

クリエイター的な方向性でAIを活用するならともかく、AIに画像を制作させたら自分自身で描いてないからアート的な活動ではないのでは?

と言う問題があります。

クリエイターにしろアーティストにしろ自分で描くなら、描く前にある程度の作品イメージのようなものがなければ描けない。
少なくとも制作過程で自分の意識の働きがなければ制作できない。

事前の作品イメージが皆無の状態から気ままに制作するにしても、純粋に無意識の状態で制作を続けると言うのは非常に難しい。
むしろ意識や感覚を鋭く働かせ、自分の何らかの感情もできるだけ正確に表現したい、と考える。

そのような個人的な精神や意識の働きを、できるだけ自由に開放して制作したものがアート的な作品である、と。

この点AIは、今のところ個性的な意識の働きも、絶えず変化する感情の揺れのようなものも無いとされている。
(実際にはアルゴリズムの中にそのような要素も取り入れられているかも知れないですが、一般的な人間と同等程度のレベルのものではない)

しかし他方で、ごく一般的な人間個人については、純粋な精神や意識が開放されず、感情が活き活きと働いていない、つまり抑制された状態というのがあるのではないか?

むしろそのような状態であることが現代の日常生活に必要なことであり、何らかの仕事や社会的役割をこなす場合なら、なおさらそのような抑制が働くようになっている。

クリエイター的な方向性の活動ならば、少なくともそのような抑制のバランスが取れている必要がある。

単なる抑制だけでなく、欲と言うものも働く。
創作意欲と言えばポジティブにとらえられるが、多分にそれとは違う社会的欲望や経済的欲望、それに関係する意図や計算と言えるものが混ざることも否めない。

抑制だけではなく雑念と呼ばれる、アート的な活動では取り除くべき意識の働き。

純粋なアート的な活動を不可能あるいは不十分にする、一般的な人間の非常に日常的な、当然とも言える意識の働きと言えます。

ここで再びAIについて考えると、どうやらAIにはそのような抑制や雑念は無いらしい。
アルゴリズム的な仕組みとしての抑制の作用はあるかも知れないが、人間が普通に持っている複雑に絡み合う雑多な欲望のようなものは無さそうです。

つまり一般的な人間よりも、AIのほうが欲望を主体とした雑念が無い。AIは売れるような絵を描こうとか、他人に見せても恥ずかしくないように描こう、などと考えていない。

つまり現在のところ、【人間が普通に持っているような雑念が無い】それが【画像の作成過程でのAI特有の強み】になっている。

実際に小さな子供など、欲や雑念が無い状態の人間が描いたものはユニークで面白い、興味深いと感じられることが良くあります。

AIが小さな子供と違うのは、あらかじめ作画に必要や様々な技法を知っていて、小さな子供よりは作画技法においては勝っている。

そしてAIに作画をさせる際の人間個人の側には、様々なナマの意識や感情の働きがあり、それを正確に表現したいと言う意図があるから、AIの作画の特徴やアルゴリズムとうまくマッチすれば、それほど悪くもないアート的な作品が出来上がる可能性がある。

そのようにAIと向き合いながら制作を繰り返していく過程で、人間個人の側に何らかの意識の変化が起こる。
無意味に持っていた自分自身の雑念に気づき、純粋な創作活動に必要な精神を活性化させるきっかけになる可能性がある。

つまり、人間の意識の可能性を広げるサポート的な役割を、日常生活のごく身近で手軽な場面でAIに期待できるのではないかと、私は考えています。

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