それは誰の物差しか

松田青子の男の子になりたかった女の子になりたかった女の子を読んだ。
またもや私の中のモヤモヤを言語化してくれていて、松田さん、すごい、ありがとうと思った。
大人になってから、小中学校の同級生の男の子と同窓会で会った時、「君たちは真ん中だったよね」と言われた。初めはどういう意味か分からなかったが、つまり、「イケてる度ランキングの中で、イケてるグループとイケてないグループがあるが、その中間のグループにカテゴリーわけされていた」というわけだ。もう10年以上前に言われたこの言葉がいつも頭の片隅にあってずっとモヤモヤしていた。信頼できる職場の男性が、飲み会の席で、小学校の時に女の子をランキングしていたという話を臆面なくするのを聞いて驚愕したこともあった。振り返ると、私は皆の輪の中に入ることには必死だったけど、誰がイケてるとかイケてないとかは意識していなかった。でも無意識的に自分でジャッジしていたのだろうか。
少し前に私から見ると可愛い普通のZ世代の子と話す機会があったが、その際に「自分はオタクだからキラキラしている人たちとは違う」と言っていた。私はオタクだと自分で思ったとしても恥ずかしくて公言できないので、Z世代はすごいな、と思う反面、やはりまだ言葉を変えて、イケてる度ランキングは残っているのか、と思わされた。
私が読んできた小説やBLマンガの中にもスクールカーストという言葉がよく出てくる。でもそもそもこのカーストは誰が決めていてどんな物差しで測られているんだろう。これまで考え至らなかったが、松田さんの本を読んで、そもそもそんなのないよな、虚構だな、捨てていい物語だったなと思った。
無意識的に自分の中に刷り込まれてる誰のかわからない物差し、松田さんの言葉を借りるならおじさんの物差し。いらないなぁ、けれどわたしも、中高生の時に中性的な女の子にとても憧れた。これも男の子になりたかった女の子に対する憧れだったのかもしれない。そしてそれがBLに繋がったのかも。他人の物差しを排除して自分に残る価値観は何か、考えるようにしよう、大切にしよう。

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