社会人として一年過ごして
気がついたら、社会に出て一年が経つ。どこからを「社会に出た」とするのかは謎だけれども、研修はギリ給料が発生する学校なので、研修が終わった頃からとしよう。
社会に出てから一年が経つ。
一年前は、初めての一人暮らしでゴミ屋敷にならないかどうか。大学時代ゴミのような生活を送っていた私が、毎朝起きて働くことができるのだろうか。パワハラ上司、セクハラ上司はいないだろうか。自分のやりたいことは出来るだろうか。
色んなことを心配していた。
大丈夫。意外といけてる。自炊もまあまあしてるし。今朝もゴミ出しした。
でも全然、自分自身の生活に満足できていない。
病んで会社行けなくなったり、踏み場もないほどのゴミ屋敷になったり、パワハラ上司に怒鳴りつけられたり。
そんな型にハマった不幸とか
大事な提出物を寝坊で出せなかったり、何百万も損害出すようなポカミスをしたり
型にハマった失敗はないけれど(クソ男に引っかかったりはあったかもしれない)
帰り道でちょっと涙出てきたり、洗濯物が溜まったり、ちょっと嫌な上司がいたり、打ち合わせには間に合う程度に寝坊したり。
なんか、ダメなことがある。
だけど全然不幸とかじゃなくて、凄く中途半端な状態で、自分の人生についてくだらないことばかり考えている。
何かの枠組みの中に束ねられることを毛嫌いしてきた人生だったけれど、結局のところ私は全てにおいて「中途半端」という一番しょうもない括られ方をされるのかもしれない。
そもそも本当に型破りに生きている人は枠組みとか気にしたりしないのだろう。
そこまでアイデンティティに自信がないから、人とは違うんだ!と無理に自分の複雑性をアピールしようとして絡まった私はどこの型からもあぶれてしまって、型の間で毛玉になって落っこちている。
東京を出て地方創生を謳いながら、都会に住んでいる自分。事業を立ち上げることもせず、日々を消化している自分は何もかもが中途半端だ。
社会人として、今後何をしていくのか。
二年目のぺーぺーにはこれからの自分なんてまだ想像がつかないけれど、毛玉だって転げまわれば大きくなるはずだ。どんな形になるのかはわからないけれど、ゴミとかカスだらけになるかもしれないけれど、転げるうちに気がついたらどこかの枠の中に入るかもしれないけど、とにかく転げ回ってみようと思う。