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【読書ログ】ミライのつくり方 2020-2045

ミライのつくり方 2020-2045を読み終わりました。面白かった。

前半はGOROmanさんの自伝になるのですが、共感できる部分も多く、時系列も奇麗でした。ネタバレもかなり含みますが、ざっくりと内容を書きながら感想を書いていきます。

父がプログラマーをしており、幼少期のGOROmanさんの家にはいろいろな家電や道具があった。白黒テレビを分解してみたりしていた。とにかく分解して、モノの仕組みを知る事が好きだったそうです。

この気持ち、分かります。自分も小さいときよく分解して遊んでいました。親の使わなくなった携帯電話を全部ドライバーで無理矢理分解して遊んでみたり。(携帯電話に貴金属が使われている事を知って取り出せないかなと思ったことがきっかけ)

そんな中、幼稚園の時にゲーム機に出会って、そしてパソコンが家にやってきて、プログラミングをはじめた。プログラミング言語がBASIC時代の話です。

小学生になると、音声合成プログラムを書いたり、マイコンで絵を書いたり、この時点でGOROmanさんはプログラミングが大好きだった。

そして、中学生、GOROmanさんにちょっとした変化があって、パソコンやアニメ雑誌のイメージが悪いと思ったため、趣味はあまり表に出さず、隠れパソコンマニアとして中学生活をスタートしました。でも、仲が良くなった友達とはゲームで一緒に遊んだりと、パソコンやゲームを嫌いになる事は無かった。

そんな中、モデムが家にやってきて、GOROmanさんはパソコン通信をはじめます。同じ趣味を持つ遠方の人と通じ合える。GOROmanさんはパソコン通信にハマります。しかし、落とし穴が...笑

この頃のパソコン通信は電話回線を使っていました。今みたいに定額制とかが無かったので、通信時間に応じて課金がされます。GOROmanさんは一日に何時間もパソコン通信をしていたので、ある時、月に数万円の電話代が来てしまいました。

このミスもやったことがあります。親の携帯を借りてGREEのゲームをやっていたら、翌月に万を超える請求が来て、めっちゃ怒られた。子供の時ってあんまりその辺が分からないので、意識しないんですよね。

もちろん、親にパソコン通信は禁止されてしまいますが、あの手この手で通信料がかからない方法を模索。なんとかパソコン通信を続ける事ができました。

時は経ち、高校生。GOROmanさんは工業高校に入る事になるのですが、高校の理想と現実にギャップがあって、ネットの世界に浸るようになりました。学校もほとんど行かず、引きこもりの状態になっていた。そんな中、友人の持ってきたある資料がGOROmanさんに変化をもたらします。

それが、進路に関する資料。ここでGOROmanさんはインターネット(この時代はインターネット=超大規模なパソコン通信という認識)ができる大学がある事を知ります。となると、選ぶ道は一つ。インターネットができる大学に行く事を決心します。

その後、GOROmanさんは無事インターネットができる大学に入学し、一旦はパソコン通信をやめてしまいますが、中学時代の友人の熱い思いを受け取り、パソコン通信を再開。さらに、シェアウェア開発で大学生なのにも関わらず、数百万を稼いでしまいます。凄い。その流れで、GOROmanさんは大学を辞めてゲーム会社でプログラマとして働くことになります。

そして、様々な開発、会社を通して、GOROmanさんはソフト開発を極めていきます。最終的にGOROmanさんは会社を立ち上げることになるのですが、その会社が今のXVI(エクシヴィ)です。社名の由来は「シャープ X68000 XVI」から取ったもの。

こうして、GOROmanさんはXVIで仕事をしていたのですが、ある日転機が訪れます。GOROmanさんはその日、アメリカの研究者がWii(ゲーム機)のリモコンを使ったポジショントラッキング技術のデモ動画を見ました。GOROmanさんはその動画に衝撃を受け、技術をマネしつつ、独自のコンテンツを作成。これをニコニコ動画に投稿すると、たちまち話題に。伝え方が良ければ技術が人に伝わる事を学びます。

その後、GOROmanさんは遂にOculusに出会う事になります。

最初のOculusに出会ったのは2012年。GOROmanさんは2013年に開発者向けモデルのDK1を手に入れます。今こそ、Riftをはじめ、多くのVR機器がありますが、Oculusは当時、VR機器の先端を行っていました。DK1を使ったGOROmanさん、これは世に広めなければと直感します。

そこで、ポジショントラッキングの時と同様に、Mikulusなどの独自コンテンツを作成。話題が広がっていき、VRへの注目が高まる。同時にVR開発者達のコミュニティも作られていきます。この時、GOROmanさんは暴走状態。会社そっちのけで、DK1を布教し、会社でも本来の業務ではないVRを宣伝します。こうして、少しづつVRが日本で認知される訳ですが、一つ問題が。

当時、販売されていたDK1はクラウドファンディングで販売されていました。さらに、会社は海外なので、大量入手が困難だった。VRを日本に広めるにはより多くのVR機材が必要でした。GOROmanさんはこの状況をどうにかできないかと考えます。そして行き着いたのが、Oculus Japanを作ることでした。こうすれば、日本でOculus製品を販売する事ができる。

しかし、ここでも苦難の連続。簡単に日本法人を立ち上げる事はできません。そんな中、ある一人の人物に出会います。

それが、Oculusの創設者である、パルマー・ラッキーさん。

パルマー・ラッキーさんとGOROmanさんの出会いが、後々のOculus Japan設立に繋がっていきます。この部分の経緯は詳しく書きませんが、読みごたえがあるので、ぜひ本で読んでみてください。

そして、数々の苦難を乗り越えたGOROmanさんは遂にOculus Japan設立を決めるのですが、大問題が起こります。なんと、OculusがFacebookに買収されてしまいます。結局、GOROmanさんはFacebookの社員としてOculus Japanを設立します。この時、Facebookとの契約もあり、XVIでの業務がほぼできなくなったので、業務を副社長に任せる事になります。

Facebookの社員として働きはじめたGOROmanさん。でも、馴染むことはありませんでした。その一つにOculusとFacebookに買収されたOculusは会社として組織も社風も違ったというのがあります。

パルマーが元々、Oculusで考えていたのは、良い新しいVR体験を世に広める事でした。そのために、オープンな開発環境を与えて、開発者向けのモデルも低価格で提供する。Facebookも良い新しいVR体験を世に広めたいという意味では同じものを持っていましたが、VRに対してオープンであったかと言われると少なからずそうでない部分がありました。

その他にも様々な要因が重なり、GOROmanさんは最初に思い描いていた理想である、日本にVRを広める事が困難であると感じ、2016年のクリスマスイブにFacebookを退職します。Facebookを退職したGOROmanさんはXVIに戻り、VR開発をしつつ、VRを広める活動も精力的にできるようになった。こんな感じで今のGOROmanさんの活動に繋がっていきます。

一連の生い立ちを見て、今のGOROmanさんを形成しているのは好奇心であったり、人に良いものを伝えたいという気持ちだったりがあるのだと思いました。それはエンジニアにとって必要不可欠な要素に違いありません。

関連する事柄として、TEDスピーチの一つにダニエル・ピンクのやる気に関する驚きの科学というのがあるのですが、その中で取り上げられている事例の一つにEncartaとWikipediaの対比があります。Encartaはマイクロソフトが多くの報酬をプロに払って、書かせた百科事典。一方でWikipediaはオープンな環境で誰でも自由に編集できる百科事典。残ったのは、Wikipediaでした。この対比でダニエル・ピンクは何が言いたかったかのというと、人のモチベーションは「お金」ではなく、仕事への動機付けは「自主性」にあるという事。

人間、生きるためには、お金が必要で、名誉も欲しくなります。そのために、コードを書いたり、何かを開発したり、何かを広める(営業的な)事は決して悪くないのですが、自分の中の価値観として、そんなのより、好奇心や人に伝えたい思いが強く、勝手にやっていたら、自然と人が同感してくれて、勝手にお金も入るようなった。というのが理想的だと思います。どんな生き方にも正解は無いのですが、少なくとも自分は後者寄りです。

多分、今のGOROmanさんにとって、VRは未来を作るものであって、それは日本に、そして、世界に広めていかなければならないと考えている。自分もそれを最近思うようになりました。そこで、最近VR開発を最近始めたわけです。きっかけは、GOROmanさんが最初では無かったのですが、影響は受けています(だからこそ会って話してみたかった)。そして、世の中にもっとVRを広めたいし、最終的にはVRが概念になるくらい当たり前になって欲しいと思っています。おわり。







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