イマジン
ほんの10秒だけでいい、神様が本当に居て、本当に私のことを愛してくれていると想像してみよう。目を開けば、疫病や戦争など、ひっきりなしに私を不安にさせる情報が飛び込んでくる。かと思えば、グルメやスポーツ、映画、音楽、コメディーなど『人生を謳歌しよう!これを味わわずにいるなんてなんて勿体無い!美味いものを食べ、高級な酒を飲み、もっともっとたくさん愉快な経験をしよう!』とせわしない執事のように、頼んでもいないメニューを並び立てる。『何故かって?』『そりゃあ死んだら人間終わりだからです。さあさ時間がありませんよ、急いだ!急いだ!』
私は恐れている。今ある地位や収入を取り上げられ、惨めな生活に陥ることを。健康をそこない、決して癒えることのない病や怪我に苛まれ、老い、人としての尊厳を保っていられないほどボケてしまう事を。死ぬなら、まだマシかもしれない。しかしそれがいつか、わからない事を。
神の愛は条件付きでしょうか。いい子にしていたから、私を愛してくれるのでしょうか。『宿題やったら遊んでいいよ』と言う、人間の世界でもよく見るタイプの親なのでしょうか。国家や社会という共同幻想に生きる私には、時間やルールを守ることや、知識や技能を身につけ、周囲に価値をもたらす存在になることが必須のように感じてしまうが、野生の生き物達は時計を気にしているでしょうか。もっと仲間にたくさんの餌を与えられるようにと、寝る間を惜しんで狩りの練習をするでしょうか。それとも神は、人間以外は愛していないのでしょうか。
〇〇放題っていいなって思う。いくらやっても誰にも怒られない感じ。食べ放題。飲み放題。好き放題。やりたい放題・・・は、さすがにご迷惑かもしれないが、例えば誰もいない無人島とかだったら基本、何やっても誰にも迷惑はかからないし、私と神様と二人きり。物理的に不可能なこと以外は何をやっても良いはず。そんな場面を想像してみる。
この宇宙の全員が私を嫌いだと言っても、神様だけはいつも、ずっと、こんな私のことを『好きだよ』と言ってくれると、信じる事、信じられる事。仮に、脳に電極でも刺されて思考を操作され、強制的に神様を信じられなくされるような事が私の身に起こったとしても。この瞬間、たった10秒だけでも神様の愛を感じる事ができたという事実、これだけは決して誰にも取り上げることが出来ない。
だからほんの10秒だけでいい、想像してみよう。
人生色々有りましたが、今は筋トレ好きが極まり、トレーニング関連の事業を展開するべく奮闘中です。資金面・ノウハウの面など、まだまだ準備することが沢山です、是非サポートをお願いします!