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人を見る目を養うことが人生の苦労を半減させる

人を見る目が、我ながら無いなと感じている

不惑ではないのか、40代は。


解釈違いがないかしっかり意味を調べる。

「迷いがなくなる」という意味
または
「区切りなく判断ができるようになる」という意味だそう。

孔子はほんとのところどんな意味でそう言ったんだろう。

平均寿命が昔と今ではかなり違うとはいえ、
今の時代も
30代40代50代60代とそれぞれに経験値は違っても、そこそこ置かれる立場はそんなにかわらないんじゃないかと思もう。


私は人を信じやすい。
厳密に言うと
全く知らない人に対しての警戒心は強いけど
少しでも自分と共通する部分があるな
と分かると、何とか相手が信用置ける人だと確証を持ちたくなってしまう。
希望が強くなってしまう。
信じたいというか、何というか。

人をむやみに疑いたくないという
思いがあった。

だけど、
これが自分にとっては良い方向にならないと気がついた
(勿論これは個人の見解です。)


人を疑うことは悪いこと
疑うなんて失礼なこと
自分の物差しで人を見るということは良くないこと

人を疑いたくない裏にこんな感情がある。

まだそう思ってるとこもあるんだけど
思考の癖、疑いようのない自分の性格、
これとの格闘がある。

疑うって言葉が良くないイメージある?
ま、「疑ってる」んだけどね。
「よく見る」ってことだよね、大事なのは。
で、もっと言ったら【星の王子さま】の王子の言葉
『大切なことは目に見えない』
あれです、本当に。

信じて疑わないのも、良い人だと思いたいのも
相手の言葉を聞けなくなるのも、鵜呑みにするのも
全部自分矢印が自分の方向にしか向いてない


ある意味私の40代
「区切りなく判断できるようになる」---不惑
様々なベクトルで気づきが人生に活かされるようになってきてる。

人生なんで綺麗事ではないのは承知の上、素敵な言葉に囲まれて、前向きな気持ちでいたいけど、
それは希望であって
実際にその中で生きていきたい訳では無いし、そんなもの土台無理。

そういう意味では「迷い」もなくなってきた。
ただ、人を見る目を養うことは本当に難しい。
私の中では確証得られないまま
だけどいい大人の中であまりな人間だなと思わされる出来事に、度々出くわす。
ちっさな事から大きな事まで色々と。

迷いはない。
信用バロメーターだけが下がってくだけ。
そんな中でも楽しい人やいい人、しっかりした人もいる。
だけど信用メーターはひたすら下がってくんだな。
そんなこともある。
後どう付き合うかは自分の判断の中だから。

だからこそ
人を見る目を養う為の努力をしなければならない。
相手の考え方、行動、性格に関わることだから、私自身のそれらも、同じようによく理解しておかなければ。


全部人間関係に繋がることだけど、
人からどう見られたいのかって呪縛があると、人を見る目は養えない。

そして、どちらかに良い顔をすることや気を使うだけの言動も結果、他の狙いが透けて見えるからよくない。

物事と人を一括りにしてみるのも良くはない。
言って良いことと悪いことは
誰が言うかで変わるわけではない。
物事の良い悪いの基準は、状況だけで変化してはいけない。

だからといって自分の考えだけでそれを裁いてもいけない。


感情が先走ることもあれば、冷静でいられなかったり、機嫌の良し悪し、人によりけり、損得、経験、上下関係、好き嫌い、
色んなことが考えられるから、人を見る目を養うのは難しいのよ。

難しいことだけど、私はそれでも人を見る目を正しく養いたいと願っているのです。






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