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ふるせらる(2) 日本はなぜ敗れるのか 読了3

感想についてはこれにて一旦完結。あまりに今の日本、万博などと共通点を引きずっているのでどこかで引用するかもしれない。

(トップ絵はせっかくなので又Kitasan氏の写真を利用させていただきました。)

第11章 不合理性と合理性

敗因三 日本の不合理性、米国の合理性
敗因一一 個人としての修養をしていない事

一個人として、日本人が不合理性をもち、アメリカ人が合理性をもち、それが各々の天性だということはありえない。それならばなぜ「日本の不合理性、米国の合理性」という命題が成立するか。小松氏は決して、日本人の不合理性、米国人の合理性とは言っていない。

272ページ 第11章 不合理性と合理性

個人で見たときに不合理な行動をするアメリカ人は多数いる。組織の中にも不合理性を持ち込んでいたりもする。書籍内のれいでは米軍には従軍牧師というのがいるらしい。それもカトリック・プロテスタント・ユダヤ教で3人いる。普通に集会をしておしまい。おなかが減ってて食料はありませんかと問うても祈りましょうだけのようだ。日本の組織はピラミッドだから、権威が複数ということはない。そういう不合理性は組織から排除している。
・・なのだが、排除した結果不合理なことが起きていた。一つは戦場での慰霊といった場合で、牧師などいないので軍人が行う。ただ僧侶でもないので形だけしかできない。碑などを立てて終了である。戦中だからそれでもよいのだが、本来の職務のかたわら行うことになる。もう一つは、この小松氏がブタノールなどの蒸留技術者で呼ばれたにも関わらず、すぐ中止になり他にも生かせず権威のためといって留め置かれたこと。

陸軍は最後まで、民間の知識も技術もその組織に合理的に組み入れて活用しようとせず、また、最後の最後まで知識人にも学生にも背を向けていた。これは志願兵が続出して大学が空になり、一方軍は彼らの知識・教養を百パーセント活用したといわれる米英と対蹠的

277ページ

万博でも平気で国の威信がとか言ってしまった人が居るが、ピラミッド構造組織の合理性を守るために、行うことが非合理的になる典型なのではないかと思う。それで幾度も失敗したので経団連企業といえど合理的な構造になっていると思うが、あの構造が戦前の日本の組織でもあったと考えればイメージしやすい。日本人はよく人を使うのが下手だといわれるが、この合理的組織を守らんとするばかりだからなのかと感じる。田中角栄が問題もあったが良かったと言われるのは、そういう人の使いどころのうまさがあったのかなとも思う。

「司政官となって比島にきた。着任直後、低物価政策を進言したが、軍人には理解できず彼の説はいれられなかった」(中略)そして軍は、経済的支配権の確立に対しては、ただ比島全部を軍の組織に組み入れて弾圧すればよいと考えていた。だがその結果、おそるべき急激なインフレに見舞われた。

280ページ

組織の体裁を壊すものは取り入れない。その結果非合理な行動をとってしまう。ここまで読んでみると、第7章の芸の絶対化、一芸主義が続いているという風にも読み取れる。芸の絶対化は環境が変わらないことが前提になっている。完成形になってしまった組織は、新しい環境に対応しようとすると崩壊してしまう。なぜならその前提の上に合理性をもって立っているが故。
新しいことが起きたときにピラミッドの中腹に新たに小屋を建てるという事は出来ないのである。

独系の米兵がいうのに、米国は徹底した個人主義なので、米国が戦争に負けたら個人の生活は不幸になるという一点において、全米人は鉄の如き団結を持っていた。日本は皇室中心主義ではあったが、個人の生活に対する信念が無いので、案外思想的に弱いところがあったのだという。

289ページ

正直この辺りは唸ってしまう。日本はピラミッド構造、よく言われる歯車の一つ一つが日本人なのだろう。ピラミッドの底辺が抜けていくと全体が崩壊する。従って逃げることを許さない。しかし、何かあるときは下から削られ水没していく。下々は逃げるも戦うも厭戦気分なのだろう。
アメリカ型組織はパッと集まって、またパッと離れて個人主義だから、他の人が残業してようが知ったこっちゃないのである。しかし共通の敵が出来たときはとても強い。一時的な組織だから権威とかいらないので合理的にやってすぐ終わらせる。無理ならすぐに降伏もする。

第12章 自由とは何を意味するのか

この力が貫いていたものは、軍人だけでなく、全日本人であり、それは昔も今も変わらない。その力はどう作用しているのか、一言で言えば、各人の自由を拘束している、これは、その力なのである。

311ページ 第12章

さて、この章は哲学的な話である。小松氏の残した敗因21か条とはなんだったのか。ということである。同時期に同じような感想を持ちえた別の技術者もいたらしい。つまりこれは小松氏だけが感じた分析することが出来た特殊な非日常性ではなかった。また終戦時に比島の部隊もあまり誰も驚かずなんとなく分かっていたようで、ちゃっかり私物を処理する上官などもいたようだ。そのように各々感づいていたのに、なぜこのような戦争が、また江戸期は暗黒だったと言い、終戦後戦中の暗黒ぶりをいいが繰り返されたのか。
それはひとえに自由が拘束された社会、またはその力がなせる業。ということになるのではと著者は言う。
自由と言うのは自由思考であるからにして、あの上司××とかもし××ならのような一瞬の妄想も含む。当然そういう思考はすぐ打ち消されるが、全部が公表されてしまっては社会が崩壊する。だからそういうフリートーキングをレコードして公表するようなことは思考の自由に基づく言論の自由を何も理解していないととあるアメリカの記者は言ったそうだ。

感想 まとめ 日本はなぜ敗れるのか

その前の章でも触れたが、ピラミッド型社会において、各人の自由などというものは頂点にくらいにしかないのである。土台が自由を求めて放棄した瞬間崩れてしまう構造なのだから。
よくデモを起こす外国の風景のニュースが飛び込んできて、日本人はおとなしいと言われるが、あれもきっとその時だけパッと集まる欧米型個人主義と、普段から形が決まっていて持ち場を離れることが出来ない日本型(アジア型?)社会との差、なのではないだろうかと思う。
一芸主義というのも同じようなものである。何かを極めればすべてにおいて勝るように錯覚してしまうのだが、それは緒戦その組織内でしか通用しない。要するに日本の形態の特徴として、ピラミッド的な組織ありきなのだろうと思う。この形は特定の前提においては力を発揮するが、それ以外の前提では非合理となってしまい力を全く発揮できない。変化に弱い組織なのだ。
これは儒教的な文化の影響もあるように思える。家父長制は組織だけはしっかりする。秦の始皇帝から始まった何度も繰り返される中国の組織形態は、欧州の何度も侵略と国の崩壊を起こす組織形態と異なっている。欧米型と言うのはピラミッド型ではなく、パッと作れるタワー型なのかもしれない。

さて、ここまで書いて気が付いたのは私のいるような中小企業でも何かあると組織をいじろうとすることだ。取引先の上場企業でもしょっちゅう人事異動、官庁でも人事異動、ピラミッドのバランスをどう取るかばかり行っているように思える。完璧な組織などあり得ないので、すぐいじろうとする。だから環境の変化に弱いママ。プロフェッショナルも育たないし、ポスドク問題にもつながっているように思える。

勝手な理想の欧米型では必要な時にだけチームを作って、終わったら解散する方が合理的だと思う。でもそれができない。だから自分はルパン3世やオーシャンズ11のようなチームに少し憧れを抱くのかもとふと気が付いた。個々の個性を消して土台とするのとは違って、普段まとまりがないが個々の才能を伸ばしてチームを組む。自分はそういう方が好きなんだなと。ま、過去あまりチームビルディングがうまくできたことはないけれど。いいチームを作りたいとは常々思う。もちろん、個性を消して土台とするから変化に弱いが生き延びれることもある。どちらが正しいという事ではないのだが。

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