女性が人になる時

 女性蔑視と言うけれど、そんな社会を作っているのは女性でもある。私の周りにも「男を立てておけば、不自由なく生きていける」と耳打ちしてくれた先輩がいた。「男を満足させられたら、あなたの生活は保証される」とアドバイスをくれた人も。私自身、「部屋とYシャツと私」を歌いながら素敵な奥さんを夢見たこともあった。

 海外を旅していろいろな国の人と話していると、私は性別を超えたものを感じた。「君はどう考える」と聞かれることが多いのだ。

女はあれこれ言うもんじゃない。
男の決めたことに口を出すなんて。
強い女は可愛くない。

 私の聞き慣れた、私にべったりとくっついていた言葉が、そんな人たちと交わる中でどんどん剥がれていくのを感じていた。私が日本で封じてきた自分の考えや想いを口にすると、まっすぐ向き合って聞いてくれる。同感だよ、いや僕はこう思う。私の意見は…なんて素敵なんだ。
 私はそれまで二十数年間過ごしてきた自分にとっての「当たり前」が本当に小さな世界のルールだったんだってことに気付いた。そして英語で話すことが大好きになった。それから帰国しても、不思議と日本語で話す時の私は男性の喜びそうなことを言い、英語で話す時は自分の心から湧き上がる声を発していた。それが私を通して映し出された文化の違い。悲しいけれど、そういうことなのだと気付いたのはそれからずっと先の話だった。

 私は2人の女性の母になった。そこで改めて女性というものを考える様になった。私の大切な人たちが誰かの為の道具になるなんて、想像しただけで許せない気持ちになる。だからこそ、自分が今まで黙認してきた違和感と向き合いたい。自分の生活と引き換えに男性を悦ばせずとも、自分の足で歩める力と判断力をつけたい。そのためにも好きなこと、興味のあることを学んで欲しい。そして、彼女たちが持つ美しい心や価値観を大切にしてくれる人、共有出来る人と出会って欲しい。それに対する母としての努力は惜しみなくしたいと思っている。私の健康も能力も、そのために注ぎたい。
 そして、随分と気付くのが遅くなってしまったが。否、時代の流れに逆らう勇気がなかった自分がずっと見て見ぬ振りをしてきた違和感を、今大きな声で発していきたいと思う。私が海外で感じた性別を超えた人としての尊厳を、この国でもいつも守られるために。声をあげていこう。

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