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教える人のハニラミメソッド

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私は英語教師です。自分の運営する教室、生涯学習センター、親子サークル、小学校などでほとんど全部の年齢の皆さんに英語をご指導しながら見つけたアイデアや考え方をシェアします。 もし…
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#先生

小学校英語って

 小学校英語、最後の授業が終わった。 病気療養のため、小学校英語一旦お休み。次に小学校に行く時、現場はどう変わっているのだろう。2011年から携わって、現場にいてもその環境が年々悪化していることを感じた。  講師でありながら「英語をしている場合か?」と思うこともあれば、逆に「英語の時間が救いになることもある」と思うこともあった。  2010年。小学校英語指導者の研修時に言われた「(何もジャッジされない)英語の時間だからこそ、無条件で褒められる時間になり得る」という言葉をず

先生

 ある本に「先生が何を教えなくても、モゴモゴ言ってるだけでも、響く生徒には響く。その子は先生の表情や言葉から何かを感じ取って「ということは、〜ですよね」と教えてもないことまで学び取る、というのがあってとても好きだと思った。内田樹さんの本だったと思う。  そしてこの記事も大好きだった。やっぱり指導者大事。  え?前のと後の、内容逆やんって思うでしょう? 私も自分の中のこの2つの考えが対立してる気がしてずっと気分悪かったけど、まさにさっきこの記事読んでて気付きました。  大

"どーでもいいこと"を敢えてシェア

 フリーランスの英語講師。基本的に私の授業プランは自由。以前は人に見てもらって意見されることが必要なんじゃないか、と思ったこともあるけど。ある時に学校の研究授業に参加してみて、ある若い先生の授業にいろいろな立場の方々が意見しているのを見ながら思った。 「どのアドバイスも、私にとっては的外れ」  多分それは「学校の先生として」必要な指導法だったからだろう。テーマが「いかに管理するか」「いかにゴールに導くか」で、それは私のゴールと全然違った。  というかそもそも私にゴールはない。

子どものことは子どもに聞け

 英語教室で、私は下は0歳から上は一応中学生で送り出す様にしている。(その後ご要望があったら、その先もう少し続く…) だから、同じお子さんの成長の根っこの時期を十数年、かなり長い間一緒に見守らせていただくことになるのだ。 カオスの中の英語はリアル  幼児でやってきて、教室の中を歩き回ったり突如ゴミ箱の上に立っていたり。トイレに行ったかと思ったら全然出てこない…水道がいつの間にか出しっぱなし…英語どころではないと思いつつも、子どもたちは私の真似をして "Oh, no!" あ

たとえ話

 私はたとえ話が好きだ。 自分自身が考える時に、もっと噛み砕いて考えたいとたとえ話をよく作るから。だからかな。私はいつも自分の中に3歳児を抱えていて。 「どうして?」「なんで?」がいつも心の中を占領してる。 だからだろうね。  それが自分が育児をする時、そして今の仕事に大いに役立つなんて、誰が想像したでしょう? 本当に役立ってる。そして相変わらず私の中にいる3歳児にも、もちろん。  めちゃくちゃ厳しくて、ヒステリックな程に何かに怯えている大人の人を見た時に、私の頭にネジ式

「ごんぎつね」を忘れない

 子どもの頃、勝手に人のことを決めつけて叱る大人が嫌いだった。そんなつもりない、って子どもの立場では言えない関係性を作っておいて、頭ごなしに叱る。とんでもない話。  しかし大人になってみて、その大人の事情もわかる様になってしまった。大人としての責任を背負い過ぎている時こそ、その状況に陥りがちだ。大人を背負い過ぎている人は、子どもからバカにされないか、なめられないか。いつもドキドキしてる。そして、少しでもバカにされた様に感じると怒り狂う。また、それを予防しようと躍起になってい

試行錯誤しない・させない不思議

自由な教育者  私はフリーの英語講師。自分の教室を持ち、週に数回は小学校で英語の授業をしたりオンラインで英語を教えたり、未就園児と英語で遊んだり、大人の方々と一緒に学んだりしている。そんな私の毎日は試行錯誤。 もうこの仕事をし始めて15年が経とうとしているが、それでも毎日が新鮮で毎日が発見。生徒はどんどん変わっていき、同じ生徒だとしても環境や成長でどんどん変わっていく。その時のその人の横を一緒に歩んでいると自分から見えるのとはまた全然違う景色が見えるし感情が見える。  私は

したい人だけすれば良い

 あぁ、新鮮な言葉。 「したい人だけすれば良い」  学校に行きたい人が行けば良い。 勉強をしたい人がすれば良い。 仕事をしたい人がすれば良い。 恋愛も結婚もしたい人がすれば良い。  これは「人」を分けているのではなく、「時」を分けている。 勉強大嫌いだった人が、ある時ふと「勉強したい人」になることだってあるし、仕事したかった人が「したくなくなる人」になることだってあるから。  要はその人のタイミングでいいんじゃない?ってこと。  今多くの「したくない」でこの国が溢れて

 今年はキュウリの苗が二度、病気と虫にやられた。去年は大豊作で食べきれない程だったのに、今年は二度も。三度目は種を撒くことにした。5つの芽が出た。ある程度育った時に、虫がたくさんつくようになった。 いろいろ調べて、換気扇カバーの不織布で覆ってみた。虫に食われた葉がレースみたいになって瀕死状態だった苗たちは数日後、不織布をググッと持ち上げてそこから顔を出した。彼らは青々とたくさんの葉をつけて「見て見て〜!」と言っている様。可愛い。  オクラの花を見てホクホクしながら、ふと小学

英語のハードル

夏休み前最後の授業  小学校でこの学年の英語の指導をし始めてから2ヶ月。月に数回のペースで会っていた子どもたちとの信頼関係も、昨年から関わっている4年生ではより深まっている気がする。廊下で会うと "Hello, Ms.Koyama!"と多くの子どもたちが声をかけてくれるし、怪我をした指を見せてくれたり、「おじいちゃんに習った」と英語のフレーズを聞かせてくれたり、今日の服の色一緒だね、ってニコニコ。こんな他愛もない関わりが、私が子どもたちと共有したかったものだから、かなり嬉し

ある日の小学校英語

 今日の授業、楽しかったな。4月から始まった授業。そろそろ私との人間関係もいい感じになってきた頃。さて、子どもたちに授業を振ってしまおう。私の大好きな子ども主体の授業。実はこれが一番、英語力アップの活動。そして英語を知っている人でも楽しめる活動。そして何より先生がラクラクな授業。  欧米の先生に学んだことは「教師は楽をすること」子どもたちが安全に学べるように見守ることが私たちの仕事。あれこれお膳立てをして、先生がいないと、これがないとあれがないと学べないみたいな雰囲気や気持ち

心えぐられる希望の書

 話題の本を読んだ。#教室マルトリートメント 。 いろいろな方のレビューなどで大体内容はわかっていたし私の違和感そのものが綴られているんだろう、と思ったから敢えて手に取らなかった。  ただ、ある方から「これを読んでどう思うか、知りたい」旨の言葉をいただいて、確かに私自身も散らかった心の中を整理する必要があったから改めてしっかり向き合って、考えをまとめてみようと思った。 違和感を大切に  私は小さな子どもの頃から「違和感」に弱い人間だった。少しの違和感がストレスになる。それ

「やらせれば出来る」もんなのか?

英語教育の迷走  そもそも私の専門は児童英語および英語教育だから、英語の切り口一つ取ってみても、その舵取りの酷さは目を覆わんばかりだ。そりゃ「小学校でも英語してくれる」ってなると「英語教室に通わせなくてもチャンスがある」と喜ぶご家庭もあるだろう。でもプールと同じ。以前我が子の懇談会である保護者が「学校の水泳の授業では、泳げる様になるんですか」と先生に尋ねていて、先生が口籠もったのを思い出した。  みんなそれを思い出すべきだ。英語もプログラミングも。学校でちらっと見せてもら

今を生きる先生の独り言

 長く教育に携わっていると、「勉強出来なくてもスポーツがあるじゃん」とか「目的を持て」とか「やれば出来る」とか。言葉をかけ続けられて育った自分としては、その言葉の意味や背景さえ感じられないくらいに「ただ耳に入ってくる当たり前の言葉」になってしまっていることに気付くよね。そして自分自身も何の不思議もなく「愛情の印」としてかけてしまう言葉でもある。  でもこうして言葉一つ一つを味わってみると、まぁ、どんだけ期待を背負わせてんだ?!子どもの選択肢を奪ってたんだ?って気が付いて凹む