ウソツキ
ー1ー
スーパーで玩具付きのお菓子を手にした子供が、母親に
「みんなもってるから買って」
とねだったところ、
「みんなって誰と誰?どうしてそんな嘘をつくの?お友達全員が持ってるの?違うでしょう?嘘をつく子は悪い子だよ」
嘘をつく人間は、裁かれるべき人間である?だったらきっとわたしは身体がいくつあっても足りないと思う。とわたしはその時思った。
何気ない親子の間のよくある会話の一つなのだともう。わたしにはわからない。だってわたしの記憶の中には両親との思い出が何一つないから。わたしは2歳の時見ず知らずの女性にバスに置き去りにされた。わたしが背負っていた小さな鞄の中にはわたしを証明する戸籍の書類と両親とわたしが映る写真が入っていた。その後わたしをバスに置き去りにしたその女性はわたしの母親ではなかったことがわかった。
わたしの生きるための証の記憶はここから始まっている。どれもこれも朧気な思い出であって、鮮明に覚えているかと言われれば嘘になる。けれど実感として目の前にないものを紙切れ一つでこの人があなたを生んだ親だと言われてもピンとこない。親じゃないと言われても同じことだ。
お菓子をねだっている、半べその子供もいつかきっと大人が放つ矛盾との間で悩むのかな。そんなことを考えながら買い物かごの中の商品がレジ打ちされるのを待っていた。わたしの買い物かごの中身は今日食べるお弁当。17年後のわたしは清掃会社に就職し生活していた。
身寄りのない子供が暮らす施設で育ったわたしは子供の頃、お菓子をねだることなんてなかった。おやつの時間は決められていたし、食事もちゃんと三食困ることなく食べられていた。もめ事も無きにしも非ずだったけれど、争いことを好まないわたしはわたしの内側に籠ることでその場をしのげ、自分の居場所を守ることができた。
けれどわたしの内面を読むことができる誰かがいたら、わたしはその誰かから刺殺されるか、闇に引きずられて人生のすべてを台無しにしてしまいたいほど恨まれていると思う。わたしも同じように、わたしの安泰で平安な日常とわたしを否定する人間すべてを闇に引きずりこんでめった刺しにして人生を奪ってやりたいぐらいの恨みがわたしの中にも渦を巻いているのも確かだった。
その狂気的な感情をもってして、わたしはいい人になんてなれない。そんな中で、この先何年も続くわたしの命をどう扱っていくかその方が重要に思えると、自然と生活の手筈は整っていき、税金などの社会的義務をはたし、一人で生活できている。
「笹塚さん、シフト来週の木曜日シフト変わってもらってもいい?」
レジを通してスーパーの袋を下げて自分のアパートに帰る道中、帰り際に職場の卯木さんという40代の女性に言われたことを思い出した。
「かまいませよ。わたしは水曜日が休みですけど」
わたしはロッカーの前で着替えながら答えた。
「来週の水曜日との交換になるけれど大丈夫?子供のサッカーの試合があってね」
そっか来週の水曜日は祝日で休みだった。了承すると新しくシフトを変えた紙を手渡してくれた。わたしはその紙を受け取りながらペコリと頭を下げて、会社を後にした。人付き合いが得意ならば
「息子さんのサッカーの試合ですか?楽しみですね」
などという会話も生まれるのかもしれないけれど、生憎わたしにはそんなコミュニケーション能力は備わっていない。
「なにかいったらどうなの?不愛想な子ね」
わたしがドアを閉めて去ろうとした瞬間、わたしは横目がおばさん連中の会話をとらえた。そして卯木さんの視線を感じ、そちらに目を配ると不安そうにわたしを見ていた。わたしはまた小さくペコリと頭を下げて静かにその部屋のドアを閉めた。
ー1ー / 次回
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