カテゴライズされることへの嫌悪感
カテゴライズって便利だよな〜と思う反面、自分が何かのカテゴリーに分類されることを嫌う面もある。
本当にイチ大学生の素人意見なので温かい目でこの記事は見てほしい。
例えばマーケティングとかで、「男児向けのアニメ」「成人女性向けの雑誌」とか、ある程度ターゲット層を絞る際に「女性」「男性」とカテゴリー化されることは、確かに商品を的確に売るために必要なのかもしれない(これも果たして他に方法はないのかなと思わなくないけど)
でも例えば、日常的に「女性だから」「男性だから」というふうにカテゴリー化されてしまうことには疑問を感じる。
インターン先で以前、社員の方が「女性は話を聞くことが上手いから営業に実は向いているんだよね」と話していた。
これを聞いたとき、なんとも言えない気持ちがこみ上げた。
その方はきっと悪気があってとか、での発言ではないのだろう。しかし、「女性だから」=「話を聴くことが上手い」というのは、違和感でしかなかった。
女性というカテゴリーに入れられ、個人の能力ではなく見た目の性別で判断されてしまうことがまだまだある世界に、虚しさを覚えた。
(私が女性であるゆえ、女性目線ばかりのエピソードになってしまうことには反省…)
あとは過去には、「〇〇は真面目だから!」という、“真面目ちゃん”カテゴリーに入れられることもよくあった。
鮮明に覚えているのが、小学校の頃の道徳で「お互いの良いところを書いて相手に伝えましょう」という授業があった。
まあ所詮小学生が書くものだからしょうがないのだけれど、私に書かれた長所はすべて「頭がいい」だった。
これはかなりショックだった。自分は勉強しかできない奴だと思われているんだ、と思ってそこから真面目であることにコンプレックスを抱くようになった。
これを読む方には「頭が良いと書かれるだけマシだろ」とか「頭が良いことの自慢なのか」と思う人もいるかもしれない
けれど、小学生だった私にとっては、そのメッセージたちは私に中身が何もない、勉強しか取り柄のない人間なんだと思わせた。
真面目カテゴリーにいれられると、真面目だからこうだろう、ああだろうと期待されたり、予測されたりする。特に嫌だったのが、真面目だからつまらないという考え方をされることだった。
確かに私は真面目だけれど、真面目というカテゴリーだけで自分を見てほしくなかった。
という真面目コンプレックス話はさておき…
先程の女性の件も、女性ではなく、そうした話を聞くことが得意な人は営業に向いているよ、とかそうした言い方であればいいのにな〜と思う。
人を見るときも、例えばサバサバタイプとか、ぶりっ子タイプとか、色々タイプ分けして見てしまうことって多いし、私も普段してしまうことがあるなと思う。
あとは無意識に、女性だからこういう行動だろう、とか男性だからこういう行動だろう、とかそうして性別で考えてしまうこともある。
確かに性別による傾向とか、性格による傾向はあるのかもしれない。けれどそれを正解のようにカテゴリー化してほしくない、ひとりひとりを、個性を見てほしいと思う。
「女性」「真面目」「20代」、私をカテゴライズしたら色々な側面が出てくるだろう。けれどその側面ではなく、私を私として、私個人として捉えてほしい。
私自身も含めて、少しでも個性を受け止めると言う言葉が上辺だけではなく実現される社会になってほしい。
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