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俺ガイルで学ぶ"まちがい"の分類・後編

後編はじめに

本記事は、ライトノベル「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」(俺ガイル)を題材に、人が起こす「まちがい」すなわち「ヒューマンエラー」の分類について、前後編の2回にわたって考えていく後編の記事である。
前編未読の方は、まず以下の前編をご覧頂けると幸いだ。

前編では、行為の7段階モデルを取り上げた上で、人の「まちがい」がミステーク・スリップ・ラプスの3つに大別できることを説明した。
今回の後編では、俺ガイルの実際のシーンを題材に、その3つを更に細分化していく。
まちがい続けたという彼らは、一体どんなまちがいをしてきたのだろうか。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。続


4.ミステークの分類

不適切なゴールまたはプランが設定されたことによって起こるミステークは、さらに2つに分類することが出来る。それが、ルールベースのミステークと知識ベースのミステークだ。


4.1 ルールベースのミステーク

我々がなにかの行動をするとき、それが慣れたものであれば特段の意識を払わずとも行動ができる。しかし、あまり慣れていない状況下に置かれた場合は、意識的に適用すべきルールを選択して、それに従った行動を行う。
Aという状況ならばBという行動をせよ」といったルールだ。

これに対して、
・実はAという状況ではないのでBすべきではない(正しいルールの誤適用)
・ルール自体が適切ではない(悪いルールの適用)
という場合、結果としてルールベースのミステークが発生する。

ルールベースのミステークは、ある程度システマティックに行われる(明確なルールが存在する)行為において発生しやすいものであり、高校を舞台とする俺ガイルにおいて明確に該当するものは多くないが、例えば以下の例が当てはまる。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

「あの、千葉に行くんじゃ……」 俺が問うと、平塚先生はニッと笑った。
「逆に聞こう。いったいいつから千葉駅に向かうと錯覚していた?」
「いや、錯覚もなにも千葉行くって言ったら普通は千葉駅のほうを……」
「千葉駅かと思った? 残念! 千葉村でした!」

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。4(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.614-617).小学館.

原作4巻2章・アニメ1期7話で「千葉に行く」と聞いた八幡が、千葉駅に行くものだと思っていたら、実際は千葉村であった、と言うシーンだ。

別のシーンで八幡は以下のように回想しており、千葉県民は一般的に「千葉に行くといえば千葉駅を指す」という暗黙的ルールがあるようだ。

千葉県民なり千葉市民なりが「千葉に行く」と言えばまず間違いなく、千葉駅周辺へ行くことを指すのだが、この感覚はほかの地域の人には伝わりづらいかもしれない。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。10.5(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.864-866).

そこで、小町から「お兄ちゃんは小町と一緒に千葉へ行かないといけないのです」と言われたときに、千葉に行く=千葉駅周辺に行くというルールを適用し、承諾した。
しかしながら一般的千葉県民には正しいこのルールが、このケースでは千葉に行く=高原千葉村(群馬県みなかみ町)に行くであったためにまちがいが生じた。千葉駅に行くと思って平塚の車に乗るという行為は意図通りだったのだろうが、そもそも千葉駅には向かう予定がなかったのだ。

もっとも、この例においては、平塚と小町は「千葉村に行くと言ったら八幡は来ないだろう」と予測して、敢えて千葉に行く、と嘘ではないが意図的に誤解を与える言い方をしたと思われるので、八幡には単純にまちがいといえない、同情すべき面もある。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

※注釈
悪いルールの適用を行った結果発生するミステークについて、リーズンはルールベースのミステークと分類しているが、ノーマンは知識ベースのミステークにつながるとしており、見解が一致しないことに注意が必要である。
(正しくないルールをルールと考えるのか否かについての見解の相違であるといえるだろう。)

4.2 知識ベースのミステーク

一方で、手持ちの情報が不完全であったり、あるいは情報自体は充分でも、遭遇した状況が未知の状況であり、手持ちのルールが活用できないとき、人は自ら新しい手順を考え、行動しなければならなくなる。
その場合、把握している情報と自身が持つメンタルモデル(人の頭の中にある「こう行動すればこうなる」というイメージ)から様々な仮説を立て、出来るだけ合理的な判断を下そうとするが、しばしばその判断が誤っていることがあり、知識ベースのミステークを引き起こす。
これは話を聞きまちがえたり、話の主語が欠落していることで、状況を正しく判断できない場合にも起こりがちである。

例えば、俺ガイルにおいては以下のシーンなどが当てはまる。

「に、似合う、かな?」 少し恥ずかしそうに視線を外して立つ由比ヶ浜の白い首元を黒のレザーが彩る。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。3(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.2816-2817).小学館.
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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

「いや……、それ、犬の首輪なんだけど……」 
なのに、なんでこいつこんな似合うんだよ……。
「へ?」 由比ヶ浜の顔が見る見るうちに真っ赤になる。
「──っ!さ、先に言ってよ!バカっ!」そう叫ぶと由比ヶ浜は包み紙を俺に投げつけてくる。
いや、見て気づかんのか。あー、まぁ大きさ調整できるしな......。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。3(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.2820-2823).小学館.

原作3巻6章・アニメ1期6話で、八幡が結衣の誕生日にプレゼントしたサブレ(犬)の首輪を、結衣がまちがえて自分の首に巻いてしまうシーンだ。

結衣からすると、今もらったばかりのプレゼントであり、「これは犬の首に巻くものである」というこの首輪の使用ルールをまだ知らなかった。
そこで、首輪の持つ「自分の首に巻ける」というアフォーダンス(その人(結衣)がそのモノ(首輪)をどのように扱えるかという関係性)から、「これは自分用のアクセサリーである」というまちがった判断をしたため、意図したとおりに自分の首に巻くことはできたが、その行為自体がまちがいであった、ということになる。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。


5.スリップの分類

正しいゴールやプランに対して、誤った行動をとってしまう、あるいは行動に対するフィードバックを誤って解釈してしまうことによって起こるスリップは、多岐に細分化される。
前編でも紹介したドン・ノーマンは、自身の論文の中でATSモデル(Activation-Trigger-Schema)というスリップ(ならびにラプス)のメカニズム及び分類に関する理論を構築し、細かくスリップの分類を行っている。
今回はその中でも代表的な4つのスリップを取り上げる。

5.1 乗っ取り型スリップ (Capture errors)

乗っ取り型スリップは、なにかの行為を行おうとした際に、意図した行為をするはずが、より頻繁に行う・馴染みのある行為あるいは最近行った行為を行ってしまう、つまり意図した行為が別の行為に乗っ取られるというスリップである。

俺ガイルにおいて乗っ取り型スリップに該当するまちがいは、例えば以下がある。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。続

「まぁまぁ、雪乃ちゃんもだいぶ急いで来たみたいだし……」 
ピリピリした空気を和らげるような爽やかな、聞き覚えのある声。それが耳慣れない呼び方をしたことに思わず振り向いてしまう。
すると、その声の主、葉山隼人はしまったとばかりに顔を歪め、すぐに誤魔化すように微笑みをつくる。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。10(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.945-950).

原作10巻2章・アニメ続10話の、カフェで葉山が雪乃のことをうっかり「雪乃ちゃん」と呼んでしまうシーンだ。

彼らは幼馴染であり、明言はされていないものの、幼い頃は「雪乃ちゃん」と呼んでおり、その呼び方が慣れていたのであろう。(もしくは、他の同級生がいないところでは今でもそう読んでいるのかもしれない。)よって、久しぶりに陽乃も含めた3人が揃ったという状況もあり、「雪ノ下さん」という今の呼び方をするつもりが、より馴染みのあった「雪乃ちゃん」という呼び方に乗っ取られてしまったと考えられる。

5.2 記述類似性スリップ (Description errors)

記述類似性スリップは、何かの行為を行おうとした際に、行為自体は正しいものの、その行為をよく似た、あるいは近くにある別の対象に対して行ってしまうというスリップである。本来の対象と別の対象が似ていれば似ているほどこのスリップは発生しやすいが、こういったスリップは充分に慣れていて意識を払わずとも実施できる行為に対して発生することが多いため、ときには「なぜこんなまちがいを」と思うような対象に対して行為をしてしまうこともあり得る。

残念ながら、俺ガイルにおいて私が読んだ限りでは記述類似性スリップに該当するまちがいは見つけられなかった。そこで実際のシーンではないが、例を挙げる。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。続

八幡は、家でもマッ缶の味が恋しくなり、冷蔵庫から練乳を取り出してコーヒーにたっぷりと入れた。満足した八幡は、まちがえて練乳ではなくコーヒーを冷蔵庫に戻してしまった。

この場合、冷蔵庫に物を入れるという行為を、本当は練乳に対して行うはずであったが、近くにあるコーヒーに対して行ってしまったため、練乳を冷蔵庫に戻す、という意図した行為が行われなかったスリップである、と言える。

その他の例でいくと、この昔のCMで描かれている佐藤浩市の犯すまちがいが記述類似性スリップの典型例といえる。

5.3 モードエラースリップ (Mode errors)

モードエラースリップは、現在の状況(モード)を誤って判断して、別の状況では正しいが現在の状況においては正しくない行為を行ってしまうことで起きるスリップである。

このエラーは、複雑な操作が可能な機械など、一つの操作部や表示がモードによって異なる状態を持ち得るものを扱う際に起こりやすい。
例えば、パソコンのキーボードが"全角かな"になっていると思って「やっはろー」と入力しようとしたら、実は"半角英数"であったために「yahharo-」と入力してしまうエラーだ、といえば誰もが思い当たる経験のあるまちがいだろう。

俺ガイルにおいて、以下がそれに該当すると考えられる。

「──それは俺の存在感のなさを揶揄しているのか」
『──あら、そんなこと言ってないわ。それよりさっきからどこにいるの? 客席?』
「めっちゃ揶揄してんじゃねぇか。ていうか見えてんだろお前」

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.2650-2652).
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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

『──あの、副委員長。みんなに聞こえてます……』 
インカムからとても遠慮がちな声が聞こえた。 
……そう。インカムは全員聞いてるんだよな。何か痛烈に恥ずかしい思いをしてしまった。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.2653-2655).

原作6巻7章・アニメ1期11話の文化祭オープニングにて、たどたどしい挨拶をする相模に対する指示出しのシーンで、インカム越しのじゃれ合いをみんなに聞かれてしまうシーンだ。

本来の指示出しに関するやり取りをしているときは良かったが、徐々にインカムで会話していることを忘れて普段のような会話をしてしまっている。対面で2人で会話している、という状況(モード)ならばそれで特に問題のない声量だったのであろうが、インカム越しの会話という状況であったため、聞かれるべきでない言葉までもれなく全員に聞こえてしまった、という恥ずかしいスリップである。

電話会議などでやりがちな、ミュートにしたまま話してしまう、というようなまちがいもこのモードエラースリップに当てはまる。

5.4 考えの行為化スリップ (Thoughts leading to actions)

考えの行為化スリップはその名の通り、頭に浮かんだだけで実行するつもりがなかったのに、うっかり行為に走ってしまうというスリップである。

俺ガイルにおいては、以下のまちがいが該当する。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

「おはよ」くすっと微笑むようにして、戸塚は目覚めの挨拶をしてくれる。
「……毎朝、俺の味噌汁を作ってくれ」
「え……ええっ!? ど、どういう……」
「あ、いやなんでもない。寝ぼけてただけだ」 
あぶね、うっかりプロポーズしちまったよ。くそ、なんでこいつこんな無駄に可愛いんだよ。男なのに! 男なのに! 男だから? ………毎朝味噌汁作ってくれねぇかなぁ。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。2(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.681-686).小学館.

原作2巻3章・アニメ1期4話で、八幡が戸塚に対してうっかりプロポーズをしてしまうシーンだ。ちなみにこのシーンで八幡は実際には寝たふりをしていただけなので、寝ぼけていたわけではない。

八幡は自分に挨拶してくれた戸塚の可愛さに思わずプロポーズをしたくなったのだろう。しかし、考えただけで本当は口に出す意図はなかったはずだ。しかしながら、つい発話という行動が活性化してしまったために口をついて出てしまい、スリップとなったわけだ。


6.ラプスの分類

どこかのタイミングで記憶が失われ、意図した行為が行われないか、結果の評価が行われない場合に起こるラプスについては、前編でも述べたとおり、行為の7段階モデルのどこで忘却が発生したかによってミステークとスリップに分類することは可能である。
しかし、ここでは独立したものと扱うため分類は行わない。

なお、ラプスが発生したことによって結果的に起こる事象としては
意図の忘却(行動の途中で意図を忘れて中断したり、続行できなくなる)
手順誤り(行動の順序を間違える)
手順の省略(必要な手順を飛ばす)
手順の繰り返し(実施済みの手順を再度行ってしまう)
などがある。

俺ガイルにおいて、ラプスに該当するまちがいは、例えば以下のものがある。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

俺も一緒に行っていいのか? そう言おうとしてやめた。 
だから、代わりにこう言おう。
「お前、ジュースのパシリはいいの?」
「はぁ? ──あっ!」

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.2379-2380).小学館.

原作1巻6章で、ベストプレイスで昼食を食べる八幡のところに、雪乃とのじゃんけんに負けてジュースを買いに来た結衣がやってきて、そのまま戸塚も交えての会話が行われるシーンだ。
(アニメ1期3話でも同じシーンはあるものの、雪乃のジュースを買う事を忘れたというくだりはカットされている。)

このとき、結衣は「ジュースを買いに行く」というゴールに対しての行動中であり、自動販売機に向かう途中ベストプレイスを通りかかった。(アニメで結衣はジュースを持っていないので、まだ買っていなかったと推測される。)
そこで八幡とのエンカウントという割り込みが発生したため、行動を中断し、隣りに座って話し始めた。
そのうちに「ジュースを買いに行く」と言うゴールを思い出すことなく、以後の行動が行われないまま昼休み終了のチャイムが鳴ってしまい、ゴールが達成されることがなかった、ということになり、ラプスによる意図の忘却が起こったと言える。

きっと同時刻に部室では雪乃がソワソワしながら待っていたことだろう。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。


7.まちがいを問題につなげないために

ここまで、人が起こすまちがい・ヒューマンエラーについて、俺ガイルのシーンを例に分類を説明してきた。しかしながら、ただまちがいを分類しただけで終わってしまってはあまり意味がない。
なぜヒューマンエラーという分野が1世紀以上に渡って研究されてきたか?というと、それは同じようなまちがいを繰り返さないためであろう。

これまで例に挙げたようなまちがいは比較的些細なものであり、その程度のものならばあまり気にしすぎる必要はないかもしれない。だが、まちがいは時として重大な事故やトラブルの原因にもなり得る。
今回分類した個々のまちがいの種類について、まちがいを避ける具体的なテクニックまでは取り上げないが、まちがいを問題につなげないために我々は何が出来るのか、その考え方について最後に2つ取り上げたい。

7.1 人はまちがえるものである

ヒューマンエラーが何らかの問題を引き起こした際、そのエラーを起こした人の不注意さが非難の対象になる。起こした当人も、「こんなミスをするなんて自分がバカだった」と自らを責める。そして、「もっと気を引き締めればこんなヘマは起こらない」「ミスした人間が注意力がなかったのであって、普通にしていればこんなまちがいは起こらない」と考えられてしまうことがある。

残念ながら、そのような考え方では問題は繰り返されるだろう。多少の個人差こそあれど、人間が注意を配れるリソースは有限であり、何かのイベントに注意を払っていれば、他のことに充分に注意を払えないし、何かの作業に慣れれば、その行為に徐々に注意は払われなくなる。だからこそ人間はリソースを最適に分配して、効率的・合理的に行動することが出来る。

したがって、人間はまちがえるということを前提に、まちがいづらいシステムやルールを構築したり、仮にまちがったとしてもその影響を最小限にするようなしくみを用意するべきである。

7.2 原因は大抵一つではない

もう1つ重要な点についても述べておきたい。
4-6章までのまちがいの例を見て、こう思った人もいるかもしれない。
ずいぶん些細なまちがいばかり取り上げているな

たしかに俺ガイルという作品において、物語を左右するようなもっと大きなまちがいがいくつも存在する。
修学旅行での嘘の告白や、生徒会長選挙に対するアプローチ、共依存という言葉に囚われたプロム、他にもいくつもあるだろう。

なぜこういった大きなまちがいを例としなかったか。
それは、原因が一つではなく、分類を説明する例として挙げられないからである。


上記に挙げたものほど大きなまちがいでなくとも同じことが言える。例えばこのシーンで考えてみよう。

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©渡航、小学館/やはりこの製作委員会はまちがっている。

礼の一つも言っておこうと部室のほうへと回り込んだ。
「ゆきのし……あっ」 思いっきり着替え中だった。

渡航.やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(ガガガ文庫)(Kindleの位置No.3403-3404).小学館

原作1巻7章・アニメ1期3話のテニス対決の後、雪乃と結衣が着替え中の部屋に八幡が入ってしまうという、この作品に珍しい、いかにもラブコメらしいシーンだ。

このシーンについて、単純に考えれば「確認もせずにドアを開けた八幡が悪い」となるだろう。しかし、雪乃や結衣が「部屋に鍵をかけなかった」あるいは「八幡(あるいは他の男子)が入ってくる可能性のある場所で着替えを行った」ことも原因と言え、そのどれか一つでも回避されていれば問題にはならなかった、と言えないだろうか。

このように、「問題には、その原因となったまちがいがいくつかあり、そのうちのどれか一つでも起こっていなければ問題は起きなかった」という考え方について、ジェームズ・リーズンは「スイスチーズモデル(Swiss cheese model)」という、スイスチーズ(海外のアニメなどでよく見る、穴の空いたチーズ)を比喩として用いた説明を行っている。

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スイスチーズモデル

上記のモデルで描かれているチーズの一つ一つが、まちがいに対する防護策であり、矢印が(危険な)行動である。
各々の防護策には完全ではない脆弱な部分(チーズの穴)があり、その全てが一列に並んでしまっていたときに問題が発生してしまう。

このモデルは、2つの教訓を示している。
①それらしい問題1つを見つけて満足してはいけない
問題を調査して、何か1つ原因が見つかったとして、確かにその原因がなければ問題は発生しなかったかもしれない。しかし、それが本質的な根本原因とは限らないし、唯一の原因とも限らない。そこで調査をやめず、より本質的な原因を見つけられるように更に掘り下げていくべきだ。

例えばトヨタ自動車が生み出したトヨタ生産方式の一つ、なぜなぜ分析が一つの手法である。
問題が起こった時、
・なぜその問題が起こったのか?→〇〇だったから
・なぜ〇〇だったのか?→△△だから
・なぜ△△なのか?→・・・
というように、問題を掘り下げていくことで表面的に見える原因から、より根本的な原因を見つけ出すことが出来る。

これを複数の観点から行うことで、より多角的に問題を発見できるだろう。
例えば、アプリなどのソフトウェア開発において、何か問題が発生した時には、少なくとも混入原因(なぜその問題が入り込んだか)と流出原因(なぜその問題に気づけなかったか)の両面から問題を深堀りする。
これによって、最低でもチーズ2枚分の検討ができることになる。

※注釈
ここでもう1点、身も蓋もない事を言ってしまうようだが、こういった問題の原因を考える際、今回の記事のように推測を含めて原因を考えることは、本当はよろしくない。
フィクションを題材にしている以上仕方ないのではあるが、本来であれば当事者や状況をしっかり確認した上で原因や対策を考えることが基本であり、そうでないと、真の原因を見落とすことになりかねないことには注意してほしい。
真の原因を捉えていない対策は無意味だったり非効率的であったりするだけではなく、別の新たな問題を引き起こしかねない危険がある。
なお、今回の記事を書くにあたっては、原作の記述やアニメの描写から、極力推測の余地の少ないものを例をして選んでいる。

②問題が起きないように余分に予防する
チーズの例で考えた時、より問題を起こらなくするにはいくつかのアプローチがあるだろう。

・チーズの数を増やす(防護策を増やす)
・チーズの穴を減らす/小さくする(スリップやラプス・ミステークを起こりづらくする)
・穴が一列に並ばないようにする(防護策の観点や仕組みをそれぞれ異なるものにする)

※穴のないチーズを用意する、という考え方はすべきではない。仮に完全なシステムを用意できたとしても人がまちがえる事はあるし、人間に一切のミスを許さない完璧さを求めることも現実的ではないことは先に述べたとおりだ。

こうした対策を組み合わせることで、まちがいが起こりづらい、あるいは起こったとしても問題になりづらいように、レジリエンス(回復力)を持った仕組みを構築することが、まちがいを大きな問題につなげないことに繋がるのである。


8.終わりに・参考文献

今回の記事では、前後編に分けて人が起こすまちがいについて、その分類を俺ガイルを題材に考えてきた。

この記事が、俺ガイルに散りばめられた他のまちがいを探したり、あるいはヒューマンエラーについてもっと深く理解したい、あるいはエラーを避ける具体的な方法について知りたいと思うきっかけとなれば幸いである。

そういった方のために、より深く理解するための参考文献を示しておく。

誰のためのデザイン?認知科学者のデザイン言論
D.A.ノーマン著、岡本章・安村通晃・伊賀総一郎・野島久雄 訳、新曜社

以前の書字スリップの記事でも紹介している、人間中心設計を唱え、アップルのフェローとしてデザインに関するガイドラインの策定にも関わった認知科学者ドン・ノーマンが、人の認知とモノの使いやすさについての原理原則を説明した名著だ。
個人的には、何らかのシステムや製品の開発・企画に携わったりそういったものに興味のある人は一度は読んで損はないと感じている。
とくに今回は行為の7段階モデルやエラーの分類において参照しているが、今回取り上げた各エラーについて、デザインの観点からどのようにそれを防ぐことが出来るかについても取り上げられている。
5章のタイトルが非常に秀逸だ。「Human error? No, bad design (ヒューマンエラー?いや、デザインが悪い)」

Categorization of Action Slips
D.A.Norman, Psychological Review 88,1 (1981)

5章スリップの分類の中で取り上げたATSモデルについて取り上げられており、「誰のためのデザイン?」では取り上げられていない種類のスリップについても述べられている。今回の記事でも代表的なものしか取り上げていないので、より詳細な種類を知る上では上記を確認するのが良いだろう。

ただ、当然ではあるが英語なので、英語を読むのが面倒だという人は以下の論文でかなり丁寧に説明されているのでそちらから見るのが良い。

ヒューマンエラーと組織管理
関岡保二, 中央学院大学商経論叢 18, 51-65, (2004)


ヒューマンエラー 完訳版
ジェームズ・リーズン著、十亀 洋 訳、海文堂

「スイスチーズの人」ことジェームズ・リーズンによる、その名の通りヒューマンエラーに関するメカニズムや分類についての研究結果がまとめられた文献である。ノーマンがデザインの観点からヒューマンエラーにアプローチしているのに対して、リーズンは安全管理の観点からエラーについて研究の結果をまとめている。
多少の解釈の差はあるが、ノーマンもリーズンも互いに互いの研究結果を大いに引用しあっているので、自分のより興味のある観点から読む方を選べば良いだろう。
なお、この本にはスイスチーズモデルの原型となる考え方は示されているが、スイスチーズの比喩を用いた説明はなされていない点はご注意いただきたい。

失敗のメカニズム 忘れ物から巨大事故まで
芳賀 繁 著、角川ソフィア文庫

立教大学の名誉教授で交通・運輸業界の安全管理についての第一人者である芳賀繁先生の著作である。
ヒューマンエラーについては、ノーマンやリーズンを始め、多くの研究者が定義しているが、私個人的には前編の最初に示した芳賀先生の定義が最も的確だと思っている。

また、特に芳賀先生の著作は日常生活のまちがいについても活用できる示唆に富んでいると言えるが、さらに日常生活に根ざした各エラーの解説とそれを減らす対策としてどういったことが実践出来るのかという観点では、今回直接は参照していないが、以下の本が役に立つだろう。

あなたはなぜ同じ失敗をするのか?
芳賀 繁 著、カドカワ・ミニッツブック


以上、長文に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
コメントやご指摘あればお気軽にお願いいたします。
また俺ガイルの中で、記述類似性スリップを見つけられたら教えていただければ幸いです。




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