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【電車旅】タイの鈍行電車(Day1,2)

Day1 シンガポール→タイ(スワンナープム国際空港)
電車旅では電車・列車に乗りに行っているため、スワンナープム国際空港からトンブリー駅近くの宿まではエアポートレイルリンク、MRTブルーラインなどを駆使して到着。コインのような「トークン」と呼ばれるプラスチックの切符に子どもらも私もドキドキ。

Day2
7:00  宿出発
7:15ごろ トンブリー駅着、切符購入
7:45 トンブリー駅発車
12:05ごろ ナムトック駅到着
12:30ごろ 宿到着、お昼ごはん
14:00ごろ ヘルファイアパス博物館(ナムトックからタクシーで片道30分程度。ホテルに手配してもらい往復1000バーツ。駐車場で待っていてくれた)
16:00ごろ 宿帰還

この旅行の隠れたメインはヘルファイアパスを歩くこと。
https://www.dva.gov.au/recognition/commemorations/memorials/memorials-asia-pacific/thailand#hellfire-pass-interpretive-centre-and-memorial-walking-trail

博物館はオーストラリア政府が運営していて、戦争捕虜の人が国際条約に反して鉄道建設に駆り出され労働をさせられて、熱帯特有の病気にも悩まされ、たくさんお亡くなりになったことなどを伝えることが主な目的のもの。日本は戦争捕虜の取り扱いに関する国際条約を批准していなかったとのこと(生きて捕まるのは生き恥をさらすことと自軍には教えこんでいたから、自軍の者は戦争捕虜にはならないとしていた。)。
博物館は切り立った崖の上に立っており、崖の下におりていくと、泰緬鉄道のあとが遊歩道のように整備されて残されている。

遊歩道から見えるのは山まで続くジャングル。どうしてこんなところに鉄道を作ろうと思ったのかという思いと、なぜタイ国は独立国だったのに日本軍の自国内での鉄道建設を了承したのかということが不思議だった。(翌日、解をくれる本に出会う)

切通し

切通しのところに行くと何かいらっしゃる感じがして、手を合わせた。

7歳の3番目がいたので遊歩道は20分くらいで帰ってきたが、本当は3~4km程度ある歩道を歩きたかったな。もう一回来たら歩きたい。

7歳は7歳なりに博物館のミニ映画が怖かったと言い、10歳は10歳なりに切通しが人の手で削られたものと理解し、13歳はかなりのダメージを食らっていた。
私はというと、この年になるまで日本軍がタイとミャンマーの間で鉄道建設をしていたことは知らなかったし、占領していたシンガポールから捕虜を移動させて労働させていたこと、鉄道は出来上がって終戦まで動いていたことなども知らなかった。知らなかったことが多い。日本の中高での「あと読んでおいてー」で終わっていった近代日本史。泰緬鉄道建設が教科書に載っていたのかさえ微妙。

暑季ということもあり、乾燥していて暑かった。雨季の建設工事が大変だったとあった。雨季になるとどうなるのだろう。


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