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腕枕の理論(フェスやります。)

 むかしむかし、10代の終わり頃、当時の彼女の家でシャワーを浴びて出てきたら着替えが畳んで置いてありました。
 なんかね、そういう事があると嬉しい。これ別に、女なんだからそういう事やれよ的な感覚ではなくて、シンプルに気配りが嬉しかったわけです。
 当時やっていたアルバイトの関係で、しばらく彼女の家に泊まる事になっていた俺は、次の日もその次の日も、丁寧に畳んで置いてある着替えにポッと温かい気持ちになりながら過ごしていました。その次の日も、そのまた次の日も。
 しかし、しばらく経ったある日、ふと背中に悪寒のようなものを感じ、彼女にやめてくれるように頼みました。

 "腕枕の理論"。俺はこういった事をそう呼んでいます。
 たとえば、腕枕をして寝ていたとします。女性の頭いっこ分くらいしばらく乗せていてももちろん平気なわけですが、なんとなく、微妙に姿勢を直したい時。そういう時に起きる事から"腕枕の理論"という名を付けました。
 つまり、ちょっと身体を動かした時に、頭を浮かせてくれる相手が良いのか、それとも気にせずそのままにしている相手が良いのか。という理論です。結論から書くと、俺はそのままにしている人の方が良いのではないかとそう思っているわけです。

 まとめると、風呂入る度に着替えを畳んで置いてくれるのは嬉しいのだけど、なんかそういう事がいずれストレスになるんじゃないかと。もしくは、俺の行動が逐一意識されている感じとか。腕枕の時に頭を浮かせる感じが、なんか「いやいやいや、そういうわけじゃないんよ。違うんよ。」みたいな気分になるような。なんかそんな感じだという事です。かといって完全に放っておいて欲しいわけではなく、なんかそのふわっとした部分が心地よくある事が良い事なんではないかなーと思うよと。そういう話です。

 "腕枕の理論"に関する事柄は、つまり"別にいーのに案件"と言い換える事もできるわけですが、俺は「別にいーのに」と思う事が案外多いタイプなのかもしれません。逆神経質というか。
 お弟子さんとかがウチに来た時、流しに溜まった洗い物をしてくれようとしたり(たまにありがたいんだけど)、端っこに座ったり。「別にいーのに案件」は普段の生活にも数多く潜んでいるわけです。楽にせえよと。ウチ来たら皆んな楽にせえよと。「別にいーのに」を言う労力が面倒くさいなと。

 なんだかよく分からない話になっている事は自覚していますが、女性の在り方やジェンダーに関する話として書いたわけではありません事をご理解ください。
 そして、本当にどうでも良い話を読んでくださった方には、感謝と尊敬の念を送りたいと思います。
 仕事行ってきます。

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