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絵もの


絵は一人で描くから
感情の波が押し寄せてきた時どうやってやり過ごすかが
私の場合、重要である。
今よりもっと脆弱だったころは
感情の輪郭を掴む術もなく
荒波にのまれて、よく座礁した。
感情という海坊主に憑依されると
海底へ引きづり込まれて帰ってこられない。
今日も、海坊主め
見事に飲み込まれてしまった。

わたしの感情は
じゃぶじゃぶと湧き水のように
絶え間無く溢れ出してくる。
山泉のように水脈が分かっていれば
計画的に対処できようが
それは源泉が定まらない。
知らぬ間に噴出し
わたしの命をふさぶる。

表層は自覚が容易い。
問題は深層部。
気づけばぬかるんだり、澱んだり。
放っておけば
冠水や、氾濫も起こす。
海坊主め
湿気った場所で
好き放題しやがって。

わたしは、感情で絵を描かないから
制作中はそれをおいている。
けれど、制作が滞ったとき
それはジワリジワリと音を立てず
波も立てずに
重く、深く
存在を気づかれぬよう
絵を侵食してゆく。
そして
違和感を感じ始めたころ
ようやく「あっ」と気づく。
気づいた途端
それがトリガーとなって
更に深く深く潜ってしまう。
わたしは焦って
絵はさらに歪み
最後は絵筆を止める。

その場を離れること。
おそらくそれが一番の対処法だ。
だから侵食に気づいた時には
筆を洗い、油皿を洗い、猫を撫でるか何処かへ出かける。

幸運にも此処には、少し走れば山々があり
道は湖面へも繋がっている。

気持ちのいい空気で身体を満たし
帰宅して、描きかけの絵をみれば
じんわり新しい表情になっている。

絵は、聡明だ。
ゆっくりと動いて
おさまる場所に
落ち着いてゆく。

わたしをしたたって
画布に落ちた色たちと
時が纏って、絵になってゆく。

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