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山頂付近の動物たち

この数ヶ月間 世界中の人間の行動が規制された裏で、山々に住む動物たちはどれほどの緊張緩和だっただろう。車の音も無く、ただひっそりと静まり返るアスファルトに、どれだけの動物たちが道端を闊歩し、寝そべり、走り回っていたのか。そんな想像を容易にさせるほど、久しぶりに走る山頂付近の山道には、動物たちの姿が沢山見られた。

里山を少し上がったところにあるカーブが続く道には、可哀想だけれどリスがはねられて死んでいた。私が山に住んでいた頃、台所の窓から見える木に時々リスが登りに来ていて、「あっ、リスだ」と私が室内でそっと見つめていても、ほんの小さな物音や、私の動く気配を感じると、すぐ隠れるように木の裏側へ回り込んで、山へ消えてしまう。そのぐらい警戒心の強いリスが道でひかれるなんて。おそらく普段では考えられないくらいリスも警戒心を解いていたんだろう。安心して木の実集めに夢中になれるほど、山は動物たちの気配に満ちていたに違いない。そう考えるとワクワクしてやまなかった。


この車道を日中夜、縦横無尽にそれぞれ好き勝手に行き交う動物たちのことを思い浮かべながら運転していると、またすぐ次にカモシカに会った。カモシカは天然記念物だから以前から割と頻繁に遭遇する動物だけど、いつ会ってもキョトンとしていて私は毎回微笑んでしまう。車に気づいたカモシカは、ハタと立ち止まり、運転席の私を眺めるように目で追う。私も釘付けになりながら車をスローダウンさせて、カモシカに近づけるギリギリの所でゆっくりと停車する。「邪魔するよ、山に入るね。」わたしは念じるように無言で挨拶をする。それを察してかいないのか。カモシカもしばらくそっと私を見つめる。互いに静かに見つめ合っているとカモシカが急に何か思い出したように身を翻して、白いお尻の可愛い尾っぽを見せつけながら、土を蹴って、山へ消えた。
動物の反射は電気信号。
見届けたわたしも再び車を走らせる。

動物との、この真空のような会話が好きだ。
同じいのち在るものとして、ただ見つめ合うこうした時間は
人と人との間にはなかなか生まれずらい。

カモシカの関所を抜けて
もっと、もっと山奥へと
入っていく。


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新緑がモコモコになって山を膨らませる。
空には高く鳶が飛び
眼下遠くに川が流れている。
音といえば
森が吸いこむ川の音。
遠く鳴く鳶の木霊。


くねくね曲がる山道を進みながら、目的地手前のカーブをきると、なんと次は向こうからキツネが歩いて来た。運転席のわたしに視線を固定させたまま、しっかりと、タッタッタと、こちらへ歩いてくるのだ。今までにも森でキツネを見かけたことはある。向かう先遠くにサッと森へ入る長い尾を見て、ああ、あれはキツネに違いないと思ったり、車道を走っていてスッと目の前を横切られることはあっても、こんなふうに完全に、まるでウェルカムに、向こうから歩み寄って来られることなんて、かつて一度もない。この先だってあるか知れない。誰だって無いでしょう? だから「え!?」って、最初は分らなかった。


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「あなた、キツネだよね?」

まっすぐに見つめられて、その瞳が何故か親しみ深く感じて、でも頭は、この非現実的な出来事を言語的に処理しようと必死に空回りしていて。しばらく混乱したまま、わたしは車のウィンドウをジーと下げた。すると、まるで猫がジャンプして飛び乗ってくるような姿勢になったので「え?!来るの?」と更にびっくりして、慌てて窓を閉める。えー!?なんなの??

窓を開けるたびに飛び乗る姿勢になるキツネと、否でも実際飛び乗って来られたら怖いわたしとの道端でのやりとりが数分間。しばらく経っているのに逃げる気配もない。すると、後ろから違う車がやって来た。気づいた運転席の方がブレーキを踏みつつ物珍しそうに笑いながら、わたしたちの横を通りすぎる。助手席では奥様がにこやかに身振り手振りしている。キツネなんですよ?とわたしもジェスチャーなど加えながら見遣って、その車はカーブを曲がって行ってしまった。キツネは逃げない。逃げる気配は微塵もない。

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不思議なことを今までも結構体験して来たけれど、今回もきっとまた記憶に残る経験だなあと思いながら、どこか愛猫に似ている瞳をずっと愛でていて。特別何かメッセージもなさそうだし、そろそろ退散しようと思って車をゆっくり滑らせてみた。するとまた驚くことに、キツネは並走して追っかけてくる。えー!? ホントになんなの?

邪悪な気も感じないし、かといって特別なテレパシーも発信してこないし。物珍しさに写真も動画も撮った。もう20分は過ぎていようか。このキツネはわたしに何を求めているのか、いよいよ分らなくなって途方に暮れかけた時、また後ろから車が来たのでタイミングとばかりわたしは車を車道に戻して走り去った。バックミラーにキツネが小さく写っているのを確認して、カーブを切った。




通りすぎる車からなにか美味しい食べ物をもらったのかな…。
考えても考えてもやっぱりよく分らなかったので、もうこの出来事の意味を見出すのをやめて、屈託無く見つめられたあの獣の瞳だけを。心に納めた。

またいつかあの山へ行ったらあのキツネはいるだろうか?
仮に美味しい食べ物を人間からもらう味をしめて、「キツネの曲がり角」なんてちょっとした有名スポットになってしまったら、それはそれで少し悲しい。人間を毛嫌うぐらいの感性を野生に求めてしまうのは、きっとわたしの欲なのだろうけど。

コロナ禍の恩恵。それを享受する野生動物たちの振動が、世界中の山々で、もっともっと増えれば、近代を生きるわたしたちの知らない地球が、隅の方からきっと動き出す。動物たちの第六感は6Gになる頃 活かせれられるといいのにな。




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