プンプン

怒らない人になりたかった。
でも、ずっと怒っていた。

おおらかで、小さいことは気にせず
誰に対しても穏やかに凪いだ態度を取れる人になりたいと
物心がつく頃から、なんとなく思っていた。
やさしい が正解で
やさしくない は 良くないこと。
子ども心にそう思って、優しい人を目指した。


中学生、高校生と思春期を経て専門学生になった頃、優しいってなに?どうしたら優しくなれる?の時期に突入。
自分の正しいと思ってきたことが、どれもこれも嘘っぽく感じて
上手に優しくも出来てない上に
優しい人って思われたくてする行動が「優しさ」とは思えなかった。
その頃、大好きなバンドのBUMP OF CHICKENがorbital periodというアルバムを発売し、その中の「ひとりごと」という曲に、ひどく共感した。

(ひとりごとの歌詞を引用して掲載したかったけど方法がわからないのと曖昧な知識で載せるのは良くないので一旦諦めた。気になる方は是非聴いてみてくださいませ)



優しいって思われたい。
好きになってほしい。
そんな下心たっぷりのこれが、果たして優しさなのかわからず
優しい人になるのは、無理かもしれないと思った。


そして優しくはなれないけど、ある程度おおらかであることを目指した。
が、これも結構しんどかった。
社会人になり、理不尽な場面に立つことも増えたこともある。
自分の間違いや、出来なかったことに対するお叱りは、落ち込みはすれどそれを反抗的に捉えることはなかった。
それ以外の、理不尽なルール、八つ当たり諸々にぶち当たった時
私は全然おおらかではいられなかった。
表面上は勤めて平気な顔をしていたけど(でもだいぶ顔に出やすい)
心の中でそれはもう、存分に怒っていたし
あまりに理解出来ないことを言われた時は、失礼承知で物申したこともある。(若輩者が生意気にも、と今は思う)


もともとが結構プリプリ怒る人間のくせに
おおらかを目指したせいで、失敗ばっかり繰り返した。


過去の恋愛では、「物言わぬ私」を求める人ばかりが近づいてきた。
否定的なことは言わない。反論しない。
知っていても、反対意見でも、それを口に出さない。
恋愛における甘やかな部分だけを楽しみたい人に好かれた。

好かれた、というより
ただただ都合が良くて、簡単だったんだなと今は思う。
私のことを好きなわけでは無かったと思う。

でも結局、私は最後にドカーンと爆発する。
嫌われたくなくて飲み込んだことも、我慢したことも、好きだからと目を瞑っていたことも、しまいには許せなくなって、相手にぶちまける。
そして「物言わぬ私」に都合の良さを感じていた相手は離れていく。

というような恋愛もどきを繰り返して
自尊心のかけらもなくなって
情けなくて軽く引きこもるくらい落ち込んだりもしたけど
きちんと朝起きて、食べて、働いて、という健全な生活をし、健全な人たちに囲まれていると「あれ、私が怒ったことって別に間違ってないなあ」と思えるようになってくる。

相手だけが悪いとか、そんなことは全く思わないけど
少なくとも自分が傷つけられたことに対して
意見したことは、何の間違いでもないし
ただ、誠実に向き合ってほしいだけなのに
それを認めず更に傷をつけてきた人を許せない気持ちがあることも、変なことじゃないと思えたら楽になった。

恋愛だけじゃなくて、生きていく上で起きるいろんなことに「怒らない」ということが正しいわけじゃない。
優しいことや親切であることも、すごくすごく大事にしたいけど
何もかも飲み込んで、怒っている自分を隠す必要もないのだなと思う。

とは言え、無闇に怒り散らかしているわけではない。のんびりボーっとしてる時もあれば、ニコニコ、ワクワクしてたり、チャキチャキ張り切ることもある。もちろんウジウジメソメソする時も。

私を怒りっぽいと思う人もいれば、ぼけっとしてるなと思う人もいると思う。それで良いし、そういうものなんかな、と思う。
自分がたくさんの色んな面を持つように
人もそうであることを忘れずにいないと、と思う。


そして、こんな色々言ったけど
未だ性懲りもなく、ほんわか優しめ癒し系な人に憧れてはいる。笑
なれないから、焦がれるのかもしれないな。


おわり







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