20240127 血豆だけが誇りだろう

熱はないが寒気だけがある。仕事が忙しく休めないため微妙に具合が悪いまま日々を過ごしている。日本から持ってきた葛根湯はそろそろ無くなりそうだ。これが風邪なのかもよくわからないし大した症状もないため付ける薬がないななんて思う。
ご飯を食べなかったり、食べても栄養の偏ったものだったりすると当たり前に風邪を引く。好き嫌いが激しいわけではないが、同じ食べ物を飽きるまで食べ続けるような癖があるため、自炊をする余裕がなくなると毎食同じヨーグルトばかりを食べ続けたりする。その変化のなさに縋って食事の間だけでも心の平穏を保とうとしているのかもしれない。

帰り道は常に苛々している。童話の人魚姫に出てくる「歩くたびに足がナイフに刺されたように痛む」というのはまさに人生の暗喩だと思う。足があるというのはそういうことなのだ。生きているだけで痛い。「ほら、人生って苦しいじゃないですか」と溢したら「捉え方次第じゃない?」と言われた。体のいい言葉でネガティブな事象を誤魔化して何の意味があるんだと思った。それに、私は苦しみが悪いだなんて一言も言っていない。この世が苦しみに満ちていることなんて東から太陽が昇るみたいな当たり前のことで、それにいいも悪いもない。ただその中で生きなければならないってことだけが明らかな真実だ。それぞれの十字架を背負って死ぬまで生きていかなきゃならないだけで、別にそれは美しいとかそんなものでもない。傷つくほどに美しくなるとか輝くとかそんなのは傷ついた過去を俯瞰で見て肯定するための言葉で、真実ではない。
「皆使命を持って生まれてくる」とか言うけれどじゃあ生まれた瞬間に殺された子供の使命ってなんだよと思う。殺されるのがお前の使命だったとそのガキの目を見て言えるのか?お前は。無慈悲なほどに命には意味がない。それに向き合わずキラキラした言葉で脳みそチカチカさせて上から目線で人に人生を説いている奴が本当に嫌いだった。勘弁してほしい。人が生きている事実に耐えられない日がある。息をするなと口を塞ぎたくなる。揺らぎやすく苛烈な精神を持っていることは罰ではなく罪だ。その罰はその精神のまま生きることだ。一人暮らしをしていてよかったと何度も思う。他者と暮らしていた時に比べたらずっといい。人にはそれぞれのキャパがあって私はこの程度なんでしょう。そういえば、これまで心の底から憧れて尊敬してその人のためなら死ねる!とか思った人っていたかなと考えたけど誰一人思い浮かばなかった。対等に長所と短所を見るから傾倒することはない。傾いて倒れるってすごいな、他者を当てに生きるべきではないと考えている。人のために死ぬな。
諦念で死ねるような人生を送りたくない。満たされた後に待っているのは、現実の虚しさだ。だから苦しみを悪だと思っていないのかもしれない。血豆だけが誇りだろう。

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