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賢者のセックス / 第9章 アダルトビデオと音楽 / 彼女がセックスについてのファンタジー小説を書いていた六ヶ月の間に僕が体験したこと

クラスター分析

 二四インチのモニターいっぱいに全裸の男女の痴態が映し出されている。男性は女性の胸に大きな音を立ててむしゃぶりつき、乳首を撫で回し、ブラジャーを剥ぎ取り、舌を絡め、そして時折、静止する。静止した男女の股間にはモザイクが入っている。

 モニターの男女が静止するたびに、隣のモニターのスプレッドシートの上をマウスポインタが動き回り、文字が入力されてゆく。キーボードを叩く乾いた音。そして痴態は再び動き出す。二面モニターの両側に置かれたモニタースピーカーから、少し低音を強調された女性の喘ぎ声が流れだす。ソラちゃんの顔に一瞬、苦笑いのようなものが浮かんで消えた。

 三月六日、土曜日。僕たちの調査は六週目に入っている。

 先週末のフィールドワークで得られたものは大きかった。考えなければならない問題は幾つもあったが、僕たちはまず風景にラベルを付けて考えることにした。

 僕がソラちゃんとのセックスの最中に見る風景は、全て僕とソラちゃんの生まれ育った自治体の中にある。その多くは水や子供に関係した場所であり、中には水と子供の守り神である天之御中主神を祀る神社すらあった。罰当たりじゃないのかなと僕は少し不安になったが、ソラちゃんは、この子は何を言っているんだろうというような視線を僕に突き刺して言った。

「あのね、男性器や女性器は大昔から世界中で信仰の対象だったんだよ。日本にだって男根や女陰を象ったものなんか、探せばそこら中にあるから。昔はあちこちの神社に陽石があったって言うよ」

 既に左のモニターには男根の形をした物体の画像検索結果が映し出されている。バリキャリ魔女は仕事が本当に早くて的確だ。見習いたい。

 マリアージュフレールのマルコポーロ(超高い紅茶です。僕はソラちゃんの家で初めて見た)をすすりながら、ソラちゃんがゲーミングチェアの上で膝を抱えた。

「でもなあ……。ほとんどが水や子供に関係する場所だったのは確かなんだけど、ちょっと違うかなって場所もあったよね。例えば膝立ちの私に君が後ろから入れておっぱいを触ってる時に見えたってとこ」

 真面目な顔で淡々と言ってくれて助かります。あの体位も何か名前があるんじゃないかと思ってかなり時間をかけて英語のサイトも調べたんだけど、見つけられなかったのだ。みんなプロレス技みたいな体位を考えてプロレス技みたいな名前を付ける前に、やることがあるのではないだろうか。

「あれなんか、水じゃないよね。山の中。谷戸っていうのかな。尾根と尾根の間の、でも谷というほどえぐれてもいない地形だったよね。そこに固くなった君のものみたいな大木があった。あれはどういう意味だろう? あそこに雨水も集まって流れていくとは思うけれど、あの空間の基調になっているのは水でも子供でもないように私は感じたけどね。君はどう思った?」

 ああ、油断してたらお鉢が回ってきてしまった。

「ええと、たしかにあそこは水や子供にはあまり関係ない気がする。うん。でも、ほとんど同じ体勢で右手が……」
「私のクリトリス?」
「の方に行ってた状態で、どこだかわからないけど梨畑が見えたよね」

 すかさずソラちゃんがスプレッドシートをスクロールさせて、「膝立ち後背位・胸・クリトリス」という行を表示させた。

「たしかに。こっちはわかりやすかったね」
「あそこも水とか子供じゃない場所だと思うんだよ。あとはディープキスの時も水や子供じゃなくって、駅だったし」
「うん」
「正常位でもソラちゃんの左胸を触っている時には、幼稚園の芋掘り遠足で行った畑が見えたけど、あそこも丘の中腹だから、そこまで水属性じゃないよね。子供属性はあるけど。だから、見えるものの全てが水や子供に関わるわけじゃないと思う」
「なるほど。論理的だね」
「最近はそうならざるを得なくて」
「成長してるね、お互いに」

 ソラちゃんがにこりと笑った。

「私がうつ伏せになって君が後ろから覆いかぶさって入れるやつでも、確か畑が見えてたっけ」

 再びスプレッドシートがスクロールされる。僕はその間に長袖のシャツを一枚脱いだ。ソラちゃんが何か言うたびに全身から汗が吹き出る。暑い。

「うつ伏せに寝て入れてもらう体位がぶどう畑、そこから手を繋ぐとどこかの雑木林。共通なのは植物という点かな? 植物属性というのを仮に設定してみようか」

 あっという間に「水」「子供」「植物」という列が追加されてゆく。その上で、植物属性列でソート。ソラちゃんがモニターに向かって上半身を乗り出した。ゲーミングチェアがきしむ、かすかな音。

「これは、何だろう? ほとんどは君が後ろから入れている行だな。でも、正常位でも植物属性がないわけではない? もうちょっと愛撫パターンに対応した風景地点座標のサンプルがあれば、階層クラスター分析が使えそうだね。どうしようかな」

 ク、クラスター分析? 魔女さまぁ……

音楽のような

 こうして僕たちはさらなるセックスの展開のバリエーションを収集する必要に迫られた結果、アダルトビデオの分析に取り組んでいるのだった。ソラちゃんが選んだのは新人さんのデビュー作だ(タイトルにそう書いてあった)。

 何故これを選んだのか尋ねたところ、「アダルトビデオ」「ランキング」で検索して一番上に出てきたページに入って、年齢と体型が自分に近くて、わけのわからないシチュエーションが入っていないもので、一番ランキングが上だったから、だという。実にシンプルでわかりやすい。

 さて、この作品は何と全部で三時間もあって、その中でセックスシーンは四回も出てくるのだけれど、ソラちゃんは不要と判断したシーンをどんどん飛ばしていった。それでもセックスシーン四回分を数分ごと、場合によっては数十秒ごとに要素分解していく作業は大変だった。

 画面を眺めながらソラちゃんが不思議そうにつぶやく。

「ねえ、これさあ、体位がどれも不自然じゃない? 君、私以外とする時はこんな姿勢になるの?」
「これは女優さんの身体を出来るだけ沢山画面に入れるためだと思う」
「なるほど。だからこの人たち、出来るだけ性器以外は離してるんだね。大変だなあ」

 ソラちゃんが苦笑した。またしばらくすると、ソラちゃんが僕に尋ねる。

「この女優さん、最初からずっとすごい声出してるけど、これも演技なのかな?」
「僕に聞かないでくださいよ……」
「だよね。じゃあ質問を変える。君は、これくらい最初から最後まで大騒ぎしてる子のが好き?」
「いやあ、それはどうかなあ……」

 僕がセックスしたことがある女性の中では、ソラちゃんが一番声を出す人だとは思う。でもアダルトビデオに出てくる女優さんはもっと大きな声を出す人が多い気がするし、なんだかわざとらしい。変な喩えになってしまうが、レーシングカーがスタート前に空ぶかしして大きな排気音を轟かせているように見えてしまう。だから、これはセックスのパートナーの間のコミュニケーションになっていないように感じる。もちろんアダルトビデオは商品なのだから、視聴者に聞かせるための声なのだとは思うけれども、少なくとも自分にとっては魅力的ではない。

 そのような内容を、慎重に言葉を選びながらソラちゃんに伝えると、ソラちゃんはなるほどねえという表情で頷いた。

「たしかに、私たちはセックスしてる時も、もう少し何か話すよね。こんな、男の人はひたすら無言とか、ハラスメントっぽいセリフをペラペラしゃべり続けて、女の子は大きな声で喘いでるだけみたいなのは、まともなコミュニケーションじゃないよね」
「女優さんも男優さんも頑張ってるのはわかるけど、家畜の種付けを見てるみたいな気がする」
「君、意外に口が悪いね」
「すいません……」

 でも、実際にそう思ってしまうのだから仕方がない。

 この前の水曜日、ソラちゃんの「女の子の日」が終わるのを待って僕たちは一〇日ぶりにセックスをした。僕たちはお互いに気持ち良ければ気持ち良いということを素直に言葉や声で伝えたし、僕はもうソラちゃんの名前を呼ぶことも、大好きだと伝えることも、ためらわなかった。

 ソラちゃんは僕が「好き」を伝えるたびに「うれしい」と言ってくれた。僕たちの言葉と声とため息は、ほんのかすかな響きになることもあれば、少し大きめの叫びになることもあった。僕はそれを二人の間にある音楽のように感じていた。いや、むしろ僕たちのセックスそのものが音楽なのかもしれない。他の誰のためのものでもない、ソラちゃんと僕、二人だけのために束の間現れて消える音楽。

NTRって何?

 他にも、アダルトビデオは冷静になって見ると奇妙な行為の宝庫だった。例えば、何故、わざわざ女優さんの顔面に向けて射精するのか。直前まで膣に入っていたものを引き抜いて大急ぎで女優さんの顔に近づく男優さんの姿は、僕には滑稽に見えた。

 変な喩えになって申し訳ないが、目の前に美味しい手作りの料理があるのに、わざわざ離れた場所にある得体の知れないものを食べに行く、みたいな。僕にとって愛する人、つまりソラちゃんの膣の中で射精することは、他に比べる対象が思いつけないような幸福な瞬間なのだ。ちなみに昨晩はソラちゃんの中で射精しながら「死ぬならこの瞬間に死にたい」とつぶやいて、いきなりソラちゃんにグーで殴られた。ま、正確には

腹上死であった。

とツイートしてくれて良いよと付け加えた後なんだけどね。あれは賢者のセリフっぽくはなかったかもしれない。

 ソラちゃんは頬杖をつきながら、呆れ果てたというような顔でモニターを眺めている。モニターの中では男優さんが女優さんの顔めがけて精液を放っていた。本日二回目の顔面射精だ。どこかにそういう教義の宗教か何かがあるのだろうか。

「……セックスが男性による女性の支配と抑圧の場になっているなんて主張は五〇年も前からあってさ。ケイト・ミレットとかドウォーキンとか。彼女たちの主張はいくらなんでも飛ばしすぎだと思うけど、こういうの見ちゃうと、うーんってなるよね。これ、楽しいのかな? 私は未経験だけど。君、やったことある?」

 僕はためらいながらも正直に答えた。

「一度だけ。相手の女の子と二人で実験してみた。もちろん合意の上でだよ。相手の子も試してみたいって言ったから」
「楽しかった?」
「それがさっぱり。射精直前の流れが慌ただしくなるし。女の子も髪についたのを洗うのが大変だったって言ってた。正直、お勧めしませんね」

 ソラちゃんは手を叩いて大笑いした。笑ってくれて良かったと思った。

 ソラちゃんが露骨に眉をひそめたのは、男優さんが女優さんの膣に入れた指を激しく動かしたり、女優さんの性器から何かのよくわからない液体を飛び散らせるシーンだ。

「こんなの痛いだけじゃないの? 一〇〇円ショップで水鉄砲でも買ってきて飛ばしてれば良いのに」

 僕も全くの同意見である。

 結局、アダルトビデオは分析に時間がかかったわりに得るものが極めて少ない資料だった。ここまでの調査で、僕が風景を見るにはパートナーであるソラちゃんと慈しみあいながらセックスすることが重要だとわかっていたし、アダルトビデオの中で繰り広げられている行為の大半は、僕たちには慈しみではなく支配の表現に思えた。

 不思議なのは、以前ならば僕はこういうものを見てもそれなりに興奮出来ていたということである。その後に長い長い賢者タイムが来るとはいえ、とりあえず射精も出来た。だが、今は無理だ。ソラちゃんとアダルトビデオのようなセックスをしたいとも思えない。

 土曜日の午後の全てをアダルトビデオの分析に使った僕たちは、疲れ果てていた。なんだか、水で薄めた毒を大量に飲んでしまったような気分である。

 日はとうに落ちて、窓の外には高層マンション群の夜景が見えていた。僕はソファの上で、ソラちゃんはくるくると回るゲーミングチェアの上で、半ば呆然としている。ダイニングテーブルの上には金色の包装紙に包まれたフェレロのチョコレートが三つ。チョコレートをのろのろとつまみ上げながら、ソラちゃんがつぶやいた。

「AVを作るのって、大変なんだね」
「どの体位でも身体を密着させられないのは辛いよね。お客さんが見たいのは女優さんの身体だからね」
「それにセックスしてるのは恋人同士でも夫婦でもない男女でしょ? 演劇学校や大学で演技の訓練を受けてるわけでもないし、愛し合ってる感出すのも難しいよね」
「愛し合ってる感は売れないらしいよ。紗倉まなが、NTRものが流行るのは女優としても女性としても恐ろしい、気持ち悪いってどこかで書いてた」

「まず、紗倉まなって誰?」
「ええっと、超売れっ子のセクシー女優さんで、すごい頭の良い人で、NHKの性教育の番組に出てる。小説も何冊か書いてる」
「小説かあ。良いな。作家さんなんだ。読んでみようかな。あと、NTRって何?」
「寝取られの略で……」
「ああ」

 ソラちゃんが天井を見上げて目をつぶった。

「キリエ・エレイソン」

 神よ、憐れみたまえ。ソラちゃんは目を閉じたままだ。

 寝ているのかなと僕は思った。僕は立ち上がってそっとカーテンを閉じた。足音を立てないようにしてコンピューターデスクに近づき、ソラちゃんが飲み終わったティーカップを下げようとした時のことだ。目を閉じたソラちゃんが、まるで歌うような口調で言った。

「今日は一緒にお風呂入ろうか」

 この提案を断る理由が、僕にはどうしても見つけられない。

 神よ、感謝します。

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