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ー2020年 春のフクシマを訪れてー 避難指示が一部解除になった町は 今もいたるところがバリケードで封鎖されたままだった

 2020年5月5日・6日、私は春を迎えたフクシマを訪れた。今回は2020年3月14日に全線運転再開したJR常磐線の駅周辺の街並みについてお伝えしたい。

 常磐線は、東京から千葉北西部、茨城、福島の太平洋側を経由して宮城までを結ぶ東日本旅客鉄道の鉄道路線である。その沿線のうち、福島第一原発事故の影響によりJR常磐線富岡駅ー浪江駅間の約20.8キロで運行の不通が続いていたが、2020年3月14日に全線で運転再開し9年ぶりに震災の不通区間が解消した。

 運転再開に合わせ、帰還困難区域の避難指示区域が一部解除され駅周辺を歩くことができるようになった。その区域にあったのは夜ノ森(富岡町)、大野(大熊町)、双葉(双葉町)の3駅。しかしその区域の住宅地などは避難指示解除の対象になっておらず住民の帰還は伴わない。その様子を私は自分の目で確かめてみたいと思った。

以下写真62点 2020年5月5日・6日 筆者本人撮影 

↓上野駅から仙台駅に向かう常磐線特急「ひたち」

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↓上野駅にて。毎時0.12マイクロシーベルト

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 私は現地を訪れる前に富岡町の宿泊施設を予約してから向かっていた。その施設が富岡ホテルだ。

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 この施設は富岡町の未来のために2017年10月17日にオープンした4階建て・客室69室の宿泊施設である。

富岡ホテルについてフリージャーナリスト・烏賀陽弘道氏が記事に書いている。私はそれを読んでその施設やスタッフに興味を持った。そこで現地を訪れる前に何かスタッフと話をするきっかけができたらと考え、インターネットの予約フォームに一言メッセージを添えて予約を取った。「初めて利用します。フリージャーナリストの烏賀陽弘道さんの記事(note)を拝見してこのホテルを知りました。どうぞよろしくお願いいたします」と。
 しかしいざチェックインをするときに私は緊張して何も尋ねることが出来なかった。そのため翌日は思い切って話を聞いてみようと思いフロントに向かった。するとその場にいたスタッフが声をかけてくれた。その方は富岡ホテル代表取締役社長・渡辺吏さんの後輩で、現在取締役支配人の渡辺信一さんだ。

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 このときに対応してくださった渡辺信一さんは、震災前は車のディーラーとして働いていた。このようなホテル営業に携わることは初めてで 『富岡町のために何かをしたい。そして後輩につないでいきたい』という思いを抱いており、約10分ほどの立ち話の中で渡辺さんはこのようにおっしゃていた。

 『富岡町内の桜並木は通行できるが、家の前はバリケードでふさがれている。常磐線は全線開通になったけど富岡町や大熊町や双葉町は人が入れる場所はわずかしかない。だからここを訪れた人には見たものを伝えてほしい。発信してほしい』と。

 渡辺さんが語る話を横で聞きながら私は現地で見たことを伝えていきたいと強く思った。

◎以下写真28点 2020年5月6日富岡町にて撮影

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↓住宅の入り口には延々とバリケードが続いている

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↓住宅の敷地内に置かれていたフレコンバッグ

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↓屋根が部屋の中に落ちて窓越しに空が見えている

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↓住宅が木々に埋もれている

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↓敷地に落ちたツバキの花が次から次に積み重なっている

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↓じっと見ていると花びらがポロポロと下に落ちてくる

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↓毎時0.60マイクロシーベルトは原発事故前のおよそ10倍。バリケード前には警備員が立っている。

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↓キックボードで遊んだ子どもは元気にしているのだろうか

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↓町内のいたるところに置かれている通行止めの表示看板

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↓夜ノ森駅へ向かうアクセス道路。両側はバリケードでふさがれている。

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↓夜ノ森駅前にて。線量計を取り出すと毎時0.47マイクロシーベルトを示す。これは原発事故前のおよそ10倍。

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↓震災当時の姿を残す建物と大きく成長する木

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↓夜ノ森駅から富岡町内へ続くアクセス道路。住宅の入り口はバリケードでふさがれているため入ることができない。(冒頭の写真)

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 このように富岡町内をめぐったあと、私は福島第一原発が立地する大熊町へ向かった。ここは2019年8月に訪れたことがあったが、それはピカピカに新設された村役場周辺だけだった。そのためこの町内でそれ以外の場所を訪れるのは初めてだった。

写真2点は2019年8月18日 筆者本人撮影

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 大熊町は福島県双葉郡に属する町で福島第一原子力発電所の1号機から4号機が立地し、2011年3月11日の東日本大震災では震度6強を記録する被害を受けた。翌月の4月、国は福島第一原子力発電所の半径20㎞圏内を警戒区域に設定、町内の立ち入りを禁止した。その後、2012年12月10日に大熊町は帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つの避難指示区域に分類された。(大熊町ホームページより

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 2017年11月、帰還困難区域内のJR大野駅周辺や先に解除された大川原地区と連なる地域が「特定復興再生拠点」に認定。除染やインフラ整備を進め、2020年3月5日に帰還困難区域のうちJR大野駅周辺などの避難指示が解除された。しかし福島第一原子力発電所周辺は未だに放射線量の数値が高い場所がありその推移は大熊町のホームページで確認することができる。

◎以下写真28点 2020年5月6日大熊町にて撮影

↓大野駅前にて。線量計を取り出すと毎時1.12マイクロシーベルトを示す。これは原発事故前のおよそ20倍。

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↓大野駅前の様子

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↓大野駅から数十メートル歩くと線量計が ”危険” と示した。毎時1.29マイクロシーベルトは原発事故前のおよそ25~30倍。

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↓上記写真の道路は信号を挟んでバリケードでふさがれている。その前には警備員が立っていた。

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↓大野駅へ向かうアクセス道路。この両側はバリケードでふさがれており住宅に入ることはできない。

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↓大野駅構内にて。線量計を取り出すと毎時0.35マイクロシーベルトを示す。

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↓駅員も乗客もいない駅構内は静まりかえっていた

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↓仙台方面へ向かう特急「ひたち」。ホームは単線になっている。

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↓仙台方面へ向かう常磐線普通電車。特急と普通電車、そのどちらもホームに降り立つ人はいなかった。

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↓常磐線沿線にたたずむ住宅

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敷地内の木々が成長し続けている

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↓常磐線沿線にて。フェンスの前に線量計をかざすと毎時0.78マイクロシーベルトを示す。これは原発事故前のおよそ15倍。

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↓大野駅から富岡駅を循環するバスの停留所

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↓大熊町内にて。小雨が降っていたため自動車の車内にて空間線量を測定。線量計が ”危険”と示す。毎時1.45マイクロシーベルトは原発事故前のおよそ30倍。

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↓現地のモニタリングポストは毎時2.969を示す。

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『noteをご覧になった皆様へ』

 最後までこの記事をご覧いただき誠にありがとうございます。今回のnoteはいかがでしたか。私はこのような記事を書くとそこに感じたことを込めたいと思うため文章が長くなることがあります。しかし今回は私が現場で見たものをなるべくそのままお伝えしたいと考え、文章を綴るよりも現地で撮影した写真を中心にまとめました。

 そしてこの記事を読み、もし何かを感じていただけたらその思いを写真と共に広めてほしいです。あるいはお友達やご家族と一言会話をしていただくだけでも結構です。

 それは今回の福島訪問で出会った富岡ホテルの支配人・渡辺信一さんがおっしゃっていた『今の現地の様子を広めてほしい』というその思いが広がるきっかけになるからです。

ー2020年6月30日 記ー

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