あの日から変わったこと

2011年3月11日
私は髄膜炎で入院していた。

2月の終わり頃、頭痛が何日も続いていた。
元々、偏頭痛持ちなので市販の痛み止めを飲んでいたけど効かず、仕事もままならない。
心配した母が隣に寝てくれたが、痛みから寝ている間私は唸っていたらしい。
そして、深夜嘔吐してしまい救急のある病院へ。
意識が朦朧とし、気持ち悪い。
そのまま入院になった。

通常だとバイ菌?が0〜10くらいしかいない骨髄?の中に100くらいバイ菌がいて脳が膨れていたらしい。点滴を2種類くらいと飲み薬で治療開始。
入院してから3日間くらいは寝ていて、ほぼ意識がなかったんだけど…
一週間もすれば意識もはっきりして、元気なつもりだった。
腰のあたりの背骨の骨と骨の間?に注射をして髄液?を取る。バイ菌の数値は落ちるどころか200にまで増えていた。
入院がもう一週間延長。
自分としてはもう、痛みもなかったし帰りたかった。
でも、それは抗生剤と痛み止めがあるからなのだと言われた。

そして、入院二週目に入ったときにそれは起こった。

イヤホンを付けてテレビを見ていた。
最初は何が起こっているのかわからなかったけど、コップに入ったお茶がバシャバシャこぼれるのに驚いた。
すぐに見ていたテレビが緊急速報に変わった。
イヤホンをテレビから外して、音を出す。
看護師さんたちが入れ替わりたちかわり、私のテレビを見ては忙しそうに動き回っていた。
「大丈夫だから、病室から出ないで」と言われた。

そして、見ていたテレビが映したのは、爆発。
その光景に、現実とは思えず映画かなんかの撮影かとさえ思った。
全く現実味はなかった。

発生当時、病院に向かっていた母は乗っていた電車が止まり、線路を一駅分歩いたらしい。

それから余震が続き夜中に起きてしまうことが多かった。
交通機関の乱れで、母は中々お見舞いに来れず、毎日病室でひとりで過ごした。
計画停電の影響で、病院の夕食は16時。
断水の影響で一週間以上お風呂に入れず、耐えられなくてトイレの流しの水で髪の毛を洗った。

毎日、テレビは震災のニュースとACのCMのみ。

退院してコンビニに寄ったとき、買い占め?で棚に何も並んでいなくてビックリしたし、津波に飲み込まれそうな人の映像とか、行方不明の奥さんを探すおじいちゃんのインタビューを見ると心が痛んで目を背けたくなった。

でも、正直、他人事だった。
全く現実味がなく、私にとっては私の病気の方が重要だった。

ただ一つ、あの日から私が続けていることがある。
当時、節電がすごい叫ばれていた。
その一環として、寝るときの電気は完全に消して真っ暗にするようになっていた。
小さいオレンジの電球がついていないと眠れなかったのに、なぜかあの日から暗くても平気になった。
今では、真っ暗じゃなきゃ眠れない。

どこか他人事のような気持ちがあるからか、募金をしたりボランティアに行ったりしていない私でも、変わったこと。
ずっと続けてきて、これからも続けていくであろうこと。

今日も心地よい暗闇の中で私は眠る。

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