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日向坂46の選抜を受けて、メンバーから欲しかった言葉に気づいた話

結論からいうとそれは「嬉しい」という言葉です。
選抜に入った何人かのメンバーから発せられたこの言葉を見てハッと気付きました。

選外になったメンバーは多かれ少なかれ悔しい気持ちだろうと思いますし、実際そういう言葉も見ています。一方でそれと同じく、選出されたメンバーにも「嬉しい」という気持ちがあるんじゃないかなとも思うんです。

「悔しい」の対義語(の一つ)が「嬉しい」なのだから、悔しい人たちがいるならば、嬉しい人たちも自然といるはずなんですよね。

世の中的にはなんだかいろんなことに対して、負の感情にこそ配慮し、正の感情を表現することが憚れるような雰囲気があるような気がしています。でも「喜ぶこと」だったり「嬉しい」という感情を声に出すこともちゃんと尊重される世界であってほしいなと日頃からぼんやり思っていました。それがメンバーからの言葉でよりはっきり輪郭を持った感覚になったんです。

「ありがとうございます」にも当然うそ偽りはないでしょうし、「頑張ります」というのも当然本意なはずですが、その前にもっと動物的な、本能的な感情もあると思うんですよね。それは「悔しい」もそうですし「嬉しい」もそうです。

もちろん、主観的評価と客観的評価が概ね一致し、選抜に入る覚悟を持っているような人には、「嬉しい」というよりは「安堵」が大きいかもしれません。もし「主観的評価<客観的評価」と感じているなら、むしろ「不安」が大きいかもしれません。あるいは、この状況自体を苦しく思うかもしれません。それらはもちろん本当の気持ちであってそれでいいんですが、もし少しでも嬉しい気持ちがあるのであれば、不安や覚悟と同時に嬉しさを表現してもいいんじゃなかろうか?そしてその表現も、「悔しい」という気持ちを露わにするのと同様に、ちゃんと尊重されるほうが健全なんじゃないかな、とそんなことを思いました。

また別の機会で考えを詳しく書くつもりなのですが、選抜と選外の関係はスポーツでいうと「スタメン」と「サブ」の関係で捉えると整理しやすいと思っています。(戦術的起用であえてサブにするみたいな各論はおいといて一般論として)スタメンに選出されるというのは「誉れ」ですよね。そんな誉れ高い場に選ばれたのなら、嬉しくても自然だと思うんですよ。

だから自分はもっと、「悔しい」という気持ちと同じくらい、「嬉しい」という気持ちも表現してほしいんだろうなぁと思いました。そういったところに最も人間味を感じるというか、ファンをやってておもしろいな・興味深いなと感じてるんだと思います。


ちなみに選外のメンバーからファンへ向けて、期待する結果にならなかったことを謝る言葉が出ていますよね。「罪の意識を感じる必要はないからそういう言葉は言わなくていいよ」と思う方も多いかと思います。

これについては個人的には気になっていなくて、なぜならそれは「期待に応えたい」という熱意の裏返しだと思うからです。

もちろん、そういった言葉を「言うべき」とまでは思わないし、言葉で表現しない人に熱意がないとも思いませんが、自分ひとりだけのためじゃない人生を真剣に生きてたら、思う結果が出ないと「スマンなぁ」という気持ちに自然になるじゃないですか。だから言葉にして表したくなる気持ちは分かるんですよね。成果自体はコントロールできませんが、成果に至るまでのプロセスについては各人の裁量もそれなりにある状態なので、なおさらですね。

そして言葉以上に大事なのはやはり「アクション」だとも思っているので、この地殻変動を機に誰がどのような変貌っぷりを見せるのか。そこがやっぱり楽しみでもあります。

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