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日向坂46・清水理央さんの悩みから考える、「他人と比較しない」ために「分析的に比較する」という視点

先日、清水理央さんがメッセージアプリで書いていた悩みが、まさに最近自分が考えていたことだったので、思わずこの記事を書きました。

その悩みをかいつまんで書くと、「より自分らしいアイドル活動をしていくために、人と比べて落ち込んでしまう気持ちをどう乗り越えていくか、未来を見据えて前向きに模索したい」というような内容でした。

自分も同じく人と比べて「どんだけしょぼいねん自分」と落ち込んでしまうタイプなのでとても良く分かるなぁというのと、こういう思考をどう克服したらいいのかについて、ちょうど最近考えを整理していたところでした。

今の結論としては、

  • 人と比べて落ち込むのは、自分の特徴や得意分野を把握できていないから

  • 自分を把握するには、むしろ分析的に他人と比較し尽くすとよい

ということなんじゃないかなぁと感じています。そんなようなことを書いているのがこの記事です。そして本文に日向坂はほぼ関係ないという、タイトル詐欺になっております。


落ち込むのは「行動」ではなく「状態」を見てるから

自分と他人を比べて落ち込んでしまうという悩みについて、まさに直球で回答しているのが「その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」という本です。「自意識・劣等感」の章に、「自分を他人と比べて落ち込んでしまう」という、そのものズバリな節があります。

その節ではまず、 社会のありかたを以下の2つに分ける考え方を示しています。

  • 「である」こと(状態)を重視

  • 「する」こと(行動)を重視

「状態」を重視するというのは、たとえば大企業の社員であるとか、会社の偉い人であるとか、有名大学卒であるとか、いわゆる肩書きとかステータスなどと呼ばれるものに注目することとしています。「(現時点で)人気がある」なども状態ですので、こちらに入ってくるでしょう。

一方、「行動」を重視するというのは、先に述べたような「状態」は関係なく、自分の持てる能力をぎりぎりまで使って、クリアできるかできないかの課題に真剣に取り組むといった、体験の強さに注目することとしています。

一般的に、人と比較して「自分が下で相手が上」と思って劣等感を感じる時というのは、「状態」に対する劣等感であることが多いように思います。現時点であの子のほうが人気がある、あの子の方が結果を出している、あの子の方がスタッフに気に入られている、あの子の方がダンスがうまい、歌がうまい、顔がかわいい、身長が高い、運動ができる。現在の「状態」として自分よりも優れている点に注目し、さらにはそれを根拠に自分を卑下してしまう考え方です。

一方、「行動」に注目する人にとっては、そういった「状態」を他人と比較することは無意味で、やるべきことに自分の持てる限りの力を出し切れるかどうかがすべてだとしています。心理学者のチクセントミハイは、このように他人はおろか我を忘れてやるべきことに没頭することを「フロー体験」と呼んでいるようです。

「人生をどうしたら幸せなものにできるか」というテーマに生涯かけて挑んだチクセントミハイは、人が生きていることを実感し、自己肯定感を感じられるのは「チャレンジとスキルのバランスがとれている時」であるという結論に至りました。
(中略)
「チャレンジとスキルのバランスがとれている」とは、「『できないかもしれないこと』と『絶対にできること』のあいだにある仕事」、つまり、自分の能力でできるぎりぎりの仕事だということです。
チクセントミハイはこのような作業に没頭する状態を「フロー体験」(あるいは「最適経験」)と呼びます。この状態にあるあいだ、人は時間の流れを忘れて没頭します。能力を限界まで使うので他のことに関心がむかわず、そののめりこみから静かな高揚感と幸福を味わうのです。
(中略)
つい他人と自分を比べてしまい、他人に劣っていることが気になるのであれば、我を忘れる「フロー体験」を求め、向いている分野で能力ぎりぎりの課題に取り組む、そういう機会を積極的に求めるのがよいのではないでしょうか

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています」p.95-97より引用

これを読むと、「なるほど!フロー体験を求めて、向いてる分野に没頭すれば他人と比較して落ち込んだりせずにすむんか!がんばるで!」と理屈ではなると思います。でも個人的には、「いや、それが出来たら苦労せんわい」とも思ってしまいます。

なぜかというと、そもそも人って「自分には何が向いているのかよく分かってない」ことが多いと思うからです。

「向いてることに没頭せよ」と言われ、「向いてることってなんだろう」と考え始め、「これかな、あれかな」と考えていると、「いや、あの子もこれが出来る。この子もあれが上手い。自分だけが特別じゃない。自分には何もない」といった具合に、いつの間にか再び「状態」を見てしまい、頭の中でぐるぐると永遠に思い悩んでしまいがちです。

「ほなどうしたらええねん」となったところで僕が思っているのは、「むしろ分析的に人と比較することで、自分というものの解像度が上がり、得意なこと・向いてること・自分の特徴が見えてくるのではないか?」ということです。ただ漫然と比較してるとつい「状態」に目が行きがちなので、「分析的に」というのがミソです。その辺について次から述べていきます。

比較し尽くして初めて「個性」が明らかになる

書道家・柿沼康二さんの「没個性が個性を研ぎ澄ます」という観念

昔に放送されていた「心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU」という番組に登場した書道家・柿沼康二さんの話で印象深いものがありましたのでご紹介します。

以下は柿沼さんがインスタグラムにアップしている作品の一例です。

これを見ても分かるように、非常に個性的に見える作品を創っている柿沼さん。こんな個性の強さのある柿沼さんでも、実は毎日、大量の臨書(手本を見て書くこと)をするそうです。空海の書を大量にひたすら模倣するそうですが、なぜ臨書をするかというと、模倣、つまり没個性的に書くことによって、むしろそこにどうしても出てしまう「個性」を感じ、それが個性を研ぎ澄ますという結果を生む、というのが柿沼さんの観念です。

それを自分なりに雑に図にすると、こんな感じでしょうか。たとえば誰かのモノマネを追求し続ければするほどどんどんその人に近づくことはできますが、人は完全に他人になることはできないように、どこかでこれ以上近づけないポイントがやってきます。

近づけば近づくほど、埋められない差、すなわち「個性」が見えてくる

究極まで近づこうとしたときに、それでも埋めることができない差分。これこそが、自分と他人を分ける決定的な「個性」、つまり「違い」なんだ、というのが柿沼さん的な考え方なんだと思います。その「違い」を浮かび上がらせる手段が、没個性的な「模倣」ということなんですね。

当時の番組の内容をブログにまとめていらっしゃるこちらも、のちほど併せてお読みいただくと、より柿沼さんの思考が頭に入りやすいかもしれません。

島田紳助さんの「X+Y」の公式

島田紳助さんは著書「自己プロデュース力」の中で、以下のように述べています。

僕がよく言うのは、「X+Y」でものを考えろ、ということ。

「X」は自分の能力。(中略)「Y」は世の中の流れ。
(中略)
この「X」と「Y」がわかった時、初めて悩めばいい。「さて、俺は何をしよう」って。

自己プロデュース力」から引用

そして、「X」の見つけ方について具体的な例も挙げています。漫才の話になりますが、その本質は幅広く適用可能に思います。

「面白い!」と思う漫才には大きく分けてふたつの種類があるということにも気づくはずです。
 ひとつは「面白いけど、自分にはできないな」というもの。
 もうひとつは「これ、俺と一緒だ」というもの。
(中略)
すべきことは、「これ、俺と一緒だ」と思う漫才をいくつも発見していくこと。
どれも「これ、俺と一緒だ」という共通点はあったとしても、実際はそれぞれの漫才は違うはず。要するに、そのそれぞれ違う個性を結びつけているのは、観ている側の個性なんだから、「これ、俺と一緒だ」と思う漫才をいくつも発見していくことで、自分のやれること、やるべきことがはっきりしてくるというわけです。

自己プロデュース力」から引用

これも雑に図にすると、こんな感じでしょうか。おぼろげながらにある「自分っぽい笑い」を意識した上で、数多ある漫才の中から自分と同じだと思えるものを探していくと、それらを貫くものが自分の個性、つまり「X」として具体的にハッキリ浮かび上がってくる、という考え方かと思います。

自分と同じだと思えるネタを貫き、結びつけているのが「X」

オードリー若林さんの「ボンネットを観察し尽くす」話

日向坂のファンであれば、オードリー若林さんが馴染み深いかと思います。そんな若林さんは以前、2022年10月27日放送分のあちこちオードリーでこんなことを言っていました。

「自分探し」っていう言葉って軽んじられてるけど、自分を車だとすると、「何でみんなと違う速度で、みんなより燃費こんな悪いんだろう」って、自分のボンネット開けてずっと見てんのよ。

「何がみんなと違うから、こんなに学校についてけないんだろう」とか、長時間座ってられなくて、高校とかも4時間目とかからしか行けなくて。「何が違うんだ?」ってずーっとボンネット開けて見てるから自分のことしか見てないんですよ。

ある程度「なるほどね、この部品が欠けてるし、ここの部品が足りないからみんなと違うんだ。だからほらコミュニケーション、人見知りだったりする理由ここか」とか分かってきたぐらいで、だから他人の車が気になってしょうがないの。「この人どういう構造で?」って、もうだからあちこちオードリーでボンネット開けまくってんの俺。

(中田)「自己分析と内省が完了してるんですね?」

(若林)「完了した!俺は、正直。」

2022年10月27日放送分の「あちこちオードリー」より

これは、他人との違いが自分のどこに起因して生まれているのかを徹底的に探って自分を理解する、というアプローチに見えます。紳助さんと違って「出来ないこと」に注目して、「なんで出来ないんだろう?」を考えることで自己を理解するやり方ですね。

若林さんの場合は、他人は出来るのに自分には出来ない理由はなぜか?という、少しネガティブな側面から自己分析を進めることで、「自分自身の構造」を明らかにしています。自分にはどのような部品が使われていて、それらがどう組み上がっていて、それが人とはどう違うのかを知ることで、「自分はなぜこのような個性であるのか?」を、得意なこと・不得意なことの両方で説明できる状態なんだと思います。自分の構造が分かってるから、「これは得意なはず。これは不得意なはず」ということが、かなり高い解像度で分かるんじゃないでしょうか。

共通点は「差異に注目している」

以上、3名の例を挙げてみましたが、3名とも、自分以外のものとの差異から自分の個性を明らかにしているという点で共通しているように思います。

  • 柿沼さん:手本と、手本に究極まで近づけた自分との差異

  • 紳助さん:自分の感性と、他人の漫才ネタの感性との差異(できる事から考え始めるアプローチ)

  • 若林さん:自分の構成や構成部品と、一般的な構成や構成部品との差異(できない事から考え始めるアプローチ)

これらの事から、目的を持って人と自分を比べることでも個性(向いていること)は見いだせることが分かります。

もちろん、一流の人の中には「個性なんてほっといても自分で気づけるものであって、探して見つけるようなものじゃない。そんなものは真の個性ではない」というようなことを言ったりする人もいるかもしれませんが、僕らみたいな凡人には正直、なんの参考にもならない言葉です。ほっといても見つからないまま、人生の長い時間を過ごしてしまう人(僕みたいな人)もいるわけで、そういう人間からすれば、再現性のあるアプローチの方がよっぽど実践的で役に立ちます。

あるいは、「でも、なんとなく自分ってこういう人だって、みんな自分で分かってんじゃない?」と言う人もいるかもしれません。それに対しては、

「自分を見てるその解像度、足りてますか?」

と問うてみたいです。ぼんやり分かってるだけで、実は細部は結構ピンボケしてないでしょうか。なんとなく分かっているつもりでも、実は要所要所でピンボケしているからこそ、「人と比べて落ち込んでしまう」という状態になりがちなのではないか、というのが僕の考えです。

なので、「どうしても他人と自分を比べてしまう」という悩みで困っているのであれば、先の3名のように、個性をはっきりさせる「分析的な比較」のアプローチを取ってみるほうが健全じゃないかなと思っています。

どうやって分析的に比較していくか?

さて、分析的な比較をするのがええんちゃうかと述べてきましたが、一番肝心なのは、「それって具体的にどうやんの?」だと思います。
比較で大事なのは、「どういう評価軸(評価基準)で比較していくか?」になります。良い評価軸はより良い自己分析に繋がり自分自身の解像度を上げますが、中途半端な評価軸だと解像度は粗くなります。なので、評価軸を洗い出す作業が最も重要になるわけです。

イメージしづらいかもしれないので、たとえば学校の勉強を考えます。一般的にテストを受ける場合は、国・数・英・社・理という具合に5教科などに分けられて、それぞれでテストを受けます。その結果、国語90、数学10、英語80、社会70、理科75なら、「国語が強くて数学が弱いっぽいな」と仮説が立ち、実際に平均点が全教科で70点だったとすると、「やっぱりそうだよね」と言うことができます。

しかし、この「5教科分類」という概念を消し去り、すべてのジャンルの問題が1つのテストにバラバラに登場し、100点満点中70点だったとします。この場合、「何が得意で何が不得意なのか」を点数だけから判断することはできません。体感だけで述べてしまうと、「なんか文章が長い系の問題は解けた気がするなぁ」みたいな解像度の低い分析になってしまい、それならばと数学の文章問題をぶつけてみると全然解けない、みたいなことになってしまいます。

詳細に分析しようとすると、おそらく誰もが思いつくように、まずテストの各問題がそれぞれ国・数・英・社・理のどれに相当するかを分類し、科目ごとに点数の内訳を出して比較したくなるのではないでしょうか。この場合、「5教科」という概念が広く一般に知られたものなので誰もが思いつきますが、現実世界の問題では必ずしも自明な概念が存在するとは限りません。たとえば「自分は何が得意な人間なのか?」を評価する際、「5教科」のような画一的な評価方法が存在するわけではないのです。この「どういう概念で分けて自分を評価するか?」という、「5教科」のような概念そのものをまずは見つけ出す必要があります。それが「評価軸を洗い出す」という意味です。

では、どうやって評価軸を洗い出せばいいのか?

正直なところ、画一的な方法は無い気がしてます。その人がどういう観点で比較したいか次第で、評価軸は無限に変わってくるからです。実際、先の3名もそれぞれ違うやり方を取っています。

だからこそ、ここがめちゃくちゃ難しいんですよね。難しいからこそ、多くの人が自分の解像度が上がらず、悶々と悩んだりするんだと思います。

ただ難しいなりに、だいたいこういう観点で考えてみると洗い出しやすくなるんじゃないかということを順に挙げていきたいと思います。挙げた順番が早いものから先に取り組んでいくのが個人的なオススメです。

先人の知恵:すでにあるフレームワークを利用する

1番先に頼りにしたいのが「先人の知恵」です。世の中には、「この分野はこういう分類をすると見通しが良くなりますよ」みたいに頭のいい人が考えたものが結構あふれています。先述した5教科もそうですし、経営戦略フレームワークの「SWOT分析」とか「5 Forces」とかもそういった例ですよね。そういう例があれば使い倒しましょう。何ごともまずは「巨人の肩に立つ」のが基本です。自分が考えようとしてることなんて、たいてい先に誰かが考えてます。その恩恵に預かりましょう。

たとえば、「自分のダンスの特徴は何か?ダンスで得意なことは何か?」みたいなことを整理したいときに、「ダンス 評価項目」みたいなキーワードで調べてみると、以下のサイトが出てきました。

それによると、「日本ダンス大会」の審査基準には以下の5つがあるようです。

  • 技術・ダンススキル

  • 印象・インパクト

  • ステージング・構成力

  • 協調性・シンクロ

  • 教育的側面・エディティメント

もちろん、集団ダンスでの評価項目なので、これをそのまま個人のスキル分類として使うには使いづらいとは思います。しかし、評価軸の参考には十分なるでしょうし、何より「語彙」を手に入れられるので、何の軸も持たないままダンスを考えるよりも精度は上がると思います。たとえば「印象・インパクト」は、

テーマ性とも言い換えられるでしょうか、その作品がどのようなテーマに基づいているか、その一貫性があるか、見た人に「うまいね」以外の感情を与えるかです。

「日本ダンス大会」審査委員長TAKAHIROがココだけで明かす〜ダンス部大会必勝のポイント4つ!」より

と述べられているように、やや抽象度が高い概念です。なんとなくこういう観点もあるなぁとはおぼろげながらに思っていたりするものですが、これが「印象・インパクト」と命名されることで、よりハッキリ意識することができるようになります。

こんな感じで評価軸の参考となる叩き台を手に入れたら、「他者と比較して、自分のダンスを技術の観点で見ると何が得意だといえるか?インパクトの観点だとどうか?ステージングは?」といったように比較を進めやすくなります。何よりプロが選定した軸なので、一定の芯を捉えた体系的な観点であるという安心感もあります。物足りなさを感じるならば、これをベースに評価軸を追加すればいいわけです。

ほかにも歌だったら、ボーカルオーディションサイトで、ボーカル評価シートなんてものまで見つかりました。以下に一部を抜粋します。

代々木NARU主催「ボーカルオーディション」評価表より

この観点に沿って自分の歌を他者と比較分析することもできるでしょう。

あるいは、「アイドル 分類」とか「アイドル マッピング」とかそのものずばりなキーワードでも、色んな人がいろんな観点でいろいろ言ってるので、軸だけ拾ってくるのもいいと思います。

このように、探すと意外と転がっています。プロや研究者が作成したものはその分野を体系的に網羅する構成になっていることが多く質が高いので、まずは自分の頭をひねるよりも先に、先人の知恵を借りるのがオススメです。

ジョハリの窓:他人の言葉を受けたり経験量を増やす

「ジョハリの窓」という、自己分析・他己分析で用いられる心理学モデルがあります。以下の図のようにジョハリの窓では、自分の特性や価値観などを4つの窓で分類します。

ジョハリの窓とは?具体的な意味と自己分析や他者コミュニケーションで活用するやり方を解説!」から引用

このモデルをどのように活用するかというと、自分では思いもよらない評価軸を、他人の視点や新しい経験から手に入れましょう、ということです。

ダンスを例に右上の「盲点の窓」を考えると、他人に自分のダンスの良さを聞いてみた時に「見てるだけでなんだか元気が出る」と言われて、それが自分では思ってもいなかったような観点だったりします。それを深掘りしてみると、「技術的な観点だとこういうところがあるから」とか「ステージングの観点でこういう点があるから」とか、より詳細な評価軸が見えてきたり、自分と人との差異もハッキリしてきたりするわけです。

同様に左下の「秘密の窓」だと、他人に対して「実はダンスでこういうコンプレックスがあるんだよね」と打ち明けてみた時に、「え!それがいいんじゃん!」とか「それって逆にこういう点に活かせるって先生が言ってたよ」みたいな反応があったりします。こうなると、持っている特徴が実は得意なこととして捉え直すことができたり、新たな評価軸を手に入れることができたりします。

さらに右下の「未知の窓」については、たとえば今までやったことが無いようなジャンルのダンスを遊びであえてやってみたりすることで、「意外と自分はこういうことができるんだ、楽しいと思うんだ」という自分自身での発見や、「あなたってこういう良さがあるのね」といった他人からの発見もあったりします。

この「未知の窓」で印象深いエピソードは、日向坂ファンにも馴染みの深いサトミツ(佐藤満春)さんが著書「スターにはなれませんでしたが」に書いていた、若林さんからもらった言葉の話です。

2006年、テレビ朝日の「虎の門」という深夜番組で、(中略)映画「硫黄島からの手紙」の感想を生放送で語るコーナーを任されました。
(中略)
 生放送終わり、深夜に家に来た若林君が開口一番こう言ったんです。
「異常だった、異常で最高だった。芸人が普通に映画の感想をしゃべって、あそこまで違和感がないのはすごい」
(中略)
 あれから10年、テレビの世界にもうまくはまることができなかった僕は、「正しい情報を適尺で言う」という仕事を多く請け負っています。
(中略)
 最初にそこを見抜いて伝えてくれたのは、若林君でした。この放送を見た若林君の感想こそ、僕の今のテレビにおけるスタンスを作ったと言っても過言ではありません。
 言われるまでは全く自覚がなかったし、当時は今よりもずっと自分のことをよくわかってなかったので、「そんなもんなのか」くらいだったと思います。ですが、十数年の時を経て、その言葉を体感するような仕事が舞い込むことになっていった。自分のスペシャリティになりそうなことを気づかせてもらった原体験であると思います。

スターにはなれませんでしたが」 (pp.97-98)より引用

ご本人も書かれている通り、サトミツさん自身は「この特徴が専門性を持ちうる」ことに気づいていなかったし、おそらく若林さんもその口ぶりから、放送を聞いて初めてそういう専門性がサトミツさんにあることに気づいたように思います。たまたまサトミツさんが映画の感想を語るコーナーを任され、かつ見るべき人が見ていたからこそ、この「未知の窓」が開いたわけです。

このように、他人からの言葉や、やったことがなかった経験などの「新しい刺激(外部刺激)」により、自分では思いつかなかったような評価軸を手に入れたり、自分の特徴の再評価ができることがあります。なので、外部刺激を積極的に取れ入れていくことも個性の把握に役立つと思います。

KJ法:帰納と演繹を繰り返す

一番原始的な方法は、自分の頭で考えることです。その場合の一般的な方法には、KJ法があると思います。

詳細な手順は上記サイトなどに譲りますが、要は思いつく観点をだーっと出して、それらを分類してグループにし、グループ間の関係を整理して見えてきた新たなグループを追加し、そのグループ内の観点をまた出していく、という流れです。ダンスの例だと、

  • 自分の特徴を思いつくままに「ターンでブレない」とか「◯◯ステップが得意」とか「髪の使い方がうまい」、「笑顔を褒められる」みたいなことをどんどん出す

  • 「これらはまとめると『技術』かな」とか「こっちは『表現力』かな」などとグループに整理する

  • 「技術があるなら情熱とかもあるかも?」とか「どれもダンサー目線だけど、お客さん目線だと『巻き込み力』みたいなのもあるかも?」などとグループ自体を広げる

  • 「情熱」や「巻き込み力」の具体的な観点を挙げていく

みたいな流れになるかと思います。
この方法は誰でも着手しやすいのですが、いいグルーピングができるかは経験や言語化力に結構依存するように思うので、やはりまずは可能な限り先人の知恵に頼ったり、外部刺激から新しい観点を取り入れてから望みたいところですね。

個性はずーっと発掘し続けるもの

高い解像度を得るには一定の「経験量」も必要

ここまで、どのように評価軸を洗い出すかについて述べきました。しかし、たとえ適切な評価軸を洗い出したとしても、自分自身の経験量が大きく不足している場合、適切な評価はできないように思います。

たとえば自分のダンスについて評価するにしても、ダンスを始めてたった3日で「ダンスにおいて自分が得意なことは何か?」と考え始めたところで、あらゆる基礎技術が足りていないので、何が得意かを把握できるレベルに無いと思います。ダンスに限らずあらゆる分野においても、経験量が少なければ適切に自分と他人を比較して評価することは難しいはずです。

また、自分の性格的特徴・運動能力的特徴などを評価するにしても、人生経験が少なければ、そもそもやったことがある体験も少なくなりがちなので、適切に評価しづらい場合があるはずです。サッカーとバスケしかやったことない人が「自分にはサッカーが向いている!」と言ったところで、実際は野球のほうがもっと向いてるかもしれません。

なので、自分についてより高い解像度を得るには、一定の人生経験も積んでいく必要があります。「若ぇときには色々やんなさい」と言われるのはこういう理由があると思います。

経時変化に対応し、個性を更新し、解像度を上げ続ける

さらには、色んな人生経験を積むことで、人の考え方も経時的に変化していきます。あの頃こだわっていた事にこだわらなくなった、あんなに没頭していたことに関心を失った、あの頃興味がなかったことに強烈な興味が湧いてきたなど、どんどん変わります。そうすると自然に、自分が向いていることにも変化が生まれるはずです。10歳の頃の自分と比べると、20歳の自分にはあれが無くなった、これが加わったなどは、ごく自然にあり得ます。

なので個性は、自分自身の経験量の増加や経時変化に対応しながら、人生をかけて常に更新し、解像度を上げ続けるものなのかもしれません。

書道家の柿沼さんが未だに大量の臨書をするのも、そういうことなのかなと思います。続けることで、新しい個性の発見や個性の更新があるんじゃないかと思います。

「置かれた場所」を把握すれば「咲ける」

以前、藤嶌果歩さんを題材に、以下の記事を書きました。

「置かれた場所で咲きなさい」とは、自分の性格や身体的特徴などの「内部環境」と、他人や所属組織などの「外部環境」を理解し、コントロール可能なものだけに着目して目的を達成しましょうね、ということではないかという解釈を述べました。

今回述べた、「自分と他人を比較して落ち込まないためには、むしろ分析的に他人と比較して自分をよく知り、自分に向いていることに没頭するフロー状態に入ろう」という主張は、つまるところ自分という内部環境をよく理解しましょうということと同じです。

「自分を理解し向いていることに没頭する」というのは「勝負どころを理解する」ということでもあり、それはすなわち、「負けてもいいところを理解する」ことでもある気がします。自分のことが理解できていないと、負けてもいいところが分からないので、あらゆる全てのことで勝たないといけないような気になってしまい、何かで負ければ「負けたという状態」に注目して落ち込んでしまいがちです。

自分を理解できていれば、自分の勝負どころでは必ず勝ちを狙い、負けた場合でも落ち込むのではく、明日への糧となる「悔しい」という思いが自然に湧き出るような気がします。落ち込む以前に没頭したくなるエリアだからです。

自分を理解できていれば、負けてもいいところでは人を妬んだり落ち込んだりせず、素直に人の素晴らしさを称えたり、他人への感謝の気持ちを持つようになれる気がします。良い意味で、執着を持たないエリアだからです。

こうなれれば、それは立派に「咲いてる」ということになるなんちゃうかしら、というのが今の自分の考えです。

まとめ

「他人と比較して落ち込んでしまう」という悩みは、「行動」ではなく「状態」に注目してしまっているからであり、そうなってしまうのは「自分のことをよく分かっていない」からなので、「いっそ分析的にしっかり比較して自分を知ろう」ということを述べました。

こういう悩み相談って、「気にしないのが一番だよ!」とか「あなたらしくでいいんだよ!」とか「自分のいいところに注目しなよ!」みたいな助言をもらうにとどまりがちです。その一瞬は少し安心したり気が紛れたりするんですけど、その助言を実践し続ける方法が分からないので、本質的にはずっと同じ悩みを抱えたままになるよなぁと感じていました。

なので、

  • まずは「行動」ではなく「状態」を見てるから落ち込んでしまうんだという「悩みの構造」を理解し、

  • その構造を脱して「自分の向いている分野に没頭」するには、むしろ分析的に他人と自分を比較することで自分を知るべしという「悩みの構造の解決方法」を把握し、

  • 世に存在するいろんな具体的手法を頼りに、自分で自分を捉える解像度を上げて「向いていること」を把握するべく、具体的に実践していく

というのが一番、「悩みの解決までの具体的な道のり」を示すことになるんじゃないかなぁというのが、最近たどり着いた自分なりの結論です。

この辺、いろんな学術的観点とか経験則からいろんな意見・視点がある気がしてるので、ご意見・ご感想などありましたら、ぜひお気軽にコメント等へお寄せください!いろいろ議論・勉強したいです!


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