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肥薩線とくま川鉄道、鉄路再開への道#4

4,鉄路再開へのヒントは点在

渡駅の撮影と散策を終えて車は2駅西の一勝地へ向かう。車は球磨川の左岸を走るが、肥薩線はこれとは逆に右岸に線路が伸びている。しばらく走ると渡から先の第二球磨川橋梁が流された跡を見ることが出来た。橋桁は残りの部分も撤去されていて遠目から確認できたのは橋梁の土台部分だけである。撤去された橋桁については災害遺構として球磨村の防災教育などに活用される予定で、既にJR九州から譲渡され村有地に保管されているとのことである。これについては熊本日日新聞の記事にも掲載されているので参照して頂きたい。

国道219号は八代まで川沿いにほぼ並行して通っているので沿線の線路の状況を逐次確認することが出来る。渡から一つ先の那良口は駅舎は残ってはいるものの、周辺の線路の路盤が流失してレールと枕木のみになっていた部分が数多く見受けられた。しかしながら山崩れや護岸流失など地形の変容を伴う被害ではなかったので、復旧をしようと思えば可能ではあろう。問題は流失した橋梁の架け替えである。

橋梁の架け替えには現行の河川令の基準を満たす必要があり、流失した橋をそのまま元のように作り直す訳にはいかない。その内容として周りの土地や橋桁の高さをかさ上げする必要があり、これらの増工事に多額の費用がかかると指摘されているからである。さらに工事費用の補助の面であるが、JR九州は東証一部に株式を上場して完全民営化を果たしているので、くま川鉄道のように復旧費用全額補填が適用されないので、資金面のスキームや復旧後の運行形態などを組み立てていく必要がある。このあたりの話題については終わりの方で詳しく述べていくことにする。

渡からはおよそ10分。一勝地に到着したが駅舎はすこし高台に位置していることもあって被害も少なく、列車の発着以外はほぼ元通りになっていた。

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一勝地は沿線の拠点駅の一つで、かわせみやませみの一部は長時間停車が設けられていることから、この間に特産品の販売などの物販などが行われていた。また、駅名から縁起を担ぐ旅行者も多く、四国の学駅のように入場券を買い求める人も割と多い。駅舎内は球磨村の観光案内所が入っていて、通常通りの営業を行っていた。この駅でもホームに入って現状を見ることに。

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やはり列車が来ない駅のホームは寂しい。だが、線路や路盤は整備をすれば何とか使える状況であるので、レールサイクルなど少しでも復旧費用を捻出する工夫は欲しいところである。

一勝地を発車

上の写真は6年前に一勝地で停車中に撮影したもので、やはりSLは賑わいをもたらす存在として貴重だ。

一勝地から先は球磨川第一橋梁が流失している他、坂本付近の被害が大きいということを耳にしていたので、安全を考え人吉へ戻ることにした。途中、渡に再び立ち寄り、高台に位置するさくらドーム付近を見ていくことになった。さくらドームは球磨村の総合運動施設の一部で、野球やソフトボールも出来る本格派の仕様になっているが、そのグラウンドの一部に仮設住宅が林立している状態なのである。

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仮設住宅はグラウンドのほぼ全体に渡ってびっしりと建てられていて、多くの居住者が住んでいた。戸数も多く、家を流された世帯は球磨村だけでもかなりの数に上ることがこの状況からも明らかだ。グラウンドの背面には特徴的な地層を眺めることが出来る。永年に渡る土地の変化の大きさを物語る自然のアートはやはり壮大であるとともに、球磨川の治水の苦闘の跡を見ているようにも思えた。

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人吉に戻るとお昼も1時を過ぎていたことから、昼食を先生と一緒に摂ることになり、ひまわり亭に向かう。ひまわり亭はかわせみやませみの車内で「球磨の四季彩弁当やつぼん汁(※人吉・球磨地方の郷土料理で鶏肉や人参、牛蒡などの根菜類などと一緒にだし汁で煮て醤油で味付けした汁料理)を提供している自然食レストランで、県外でも知る人ぞ知る有名なお店である。ところが現地へ赴いてみると、お店はランチタイムであるにも関わらず閉店になっていた。止むなく、別の場所に移動してそばをご馳走になったが、移動中に先生が閉店の理由を説明してくれて、オーナーの身内に不幸があり閉店だった日は葬儀があったそうである。オーナーの実家は、地元で町議会議員を務めたこともある有名な方で、お悔やみが地元紙の人吉新聞に載っていたことを思い出して話してくれたのであった。

昼食を摂り、車は宿泊先の多良木へ向かう。その前に子どもたちの様子を見る機会を頂いたので、黒肥地保育園に向かい子どもたちとの関わりを持っていくことになるのである。

<#5に続く>

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