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蛙化現象とSNS

近年、「蛙化現象」という語が露呈されてきた。

私が知ったのは、六年も前にさかのぼる。

SNSでのコミックエッセイで、恋愛体験の中に相手から好意を寄せられたことに対して嫌悪感を抱いてしまうことに悩んでいた投稿を見た。


そのため、私の中での「蛙化現象」の定義は

相手に好意を寄せられてしまうと
「自分のことを好きになるなんておかしい。」
とたとえ自分が好きな相手であっても嫌悪感に襲われ避けてしまう心理現象

としていた。

しかし、現在のパブリックイメージは違うらしい。

というのも、最近知人から「蛙化現象」の単語が出てきたのが、


「男性が2リットルペットボトル直のみでジュース飲んでて、
これは蛙化現象モノだわ~。」


といった話からだった。


内心、!?で一杯だった。

だって、「蛙化現象」は「蛙化現象」を「起こす側」に問題が内在しているのであって、
「起こされる」側、相手側に非はないものだと私は解釈していたからだ。

私の中での「蛙化現象」が起こってしまう原因は、自己に対する自信の欠乏によって起こってしまうものだから。

相手にドン引き!距離を置く!といった話ではない!と思ってしまった。

この違和感について紐解く中で、SNSの存在に行き着いた。

TwitterやInstagramを見ていると、恋人とのエピソードと共に恋人の他撮り顔で隠した写真の投稿をよく見る。これは所謂リア垢ではなく、非リア垢(正式名称が分からない)でよく見る。

この風潮により、
「私もこんな素敵な恋人と素敵なことをしたい!」
「私も恋人との素敵なエピソードをSNSで披露したい!」といった願望から、
自分の幻想と離れた言動をする人を見て、

「こんなことする人なんて私の理想とは違う!」「SNSにこんな言動をする恋人、見たことない!違う!」

と言って離れてしまうことが増えたのではないか。

なんだか、恋人までも消費対象のように見えてしまう世の中になってしまった気がしてしまう。

最近、周りの子も恋人にする人の”見えない”ハードルが上がっているよな気がする。

理想のタイプについて「やさしい人ならどんな人でもいいな。」と言っていた子も、
以前「すごく親切な人だ」とほめていた知人の男性からその子に対して好意があるのではないかと話を聞き、私が「付き合ってみたら?」とその子にいうと、「彼は少し違うかな…。」と言っていた。

やさしい人がタイプって言ってたのに!!

でも、こんな感じの話が本当によくある。

「性格良ければだれでも…。」と控えめに言っていた子でも、
内心理想が高いことが本当によくある。

自己を顕示しなければいけないSNS社会による弊害に辟易してしまうこの頃…



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