合宿に行った

合宿に行った!
合宿といえばわたしは小中高と吹奏楽部だったので、それなりに経験あり
今回は若手のクリエイターのひとが集まってグループ展の計画をたてる、みたいなやつで、36人ぐらいだったと思う 6人グループにわけられた
私→田舎者・卑屈・怠惰・展示経験なし・映画も一本しか撮ってない
(T T)
だったんだけど(これ毎回のムーブね)、
今回卑屈になる暇ないっていうか、ありえないくらいわたしがわたしとしてリスペクトされる場だったから、それがすごくわかりやすかったから、わたし劣等感いっぱいだったけど卑屈になる隙なんてなかった!
愛とか、反故にしたくないなって去年くらいから思い始めたけど、愛反故にしないのってすごく強くないと難しいことなんだなあ
人、話聞いてくれるし、自分にも責任あったしそれ感じられるだけの感度わたしにあったし、あ、なんか、自虐とかしてる場合じゃないかも〜ってなった 死ねばウケるかなとかないから!コントの中だけにしよう
わたしだけって思うの気持ちいいし、ある程度極端になれるし、そういうときの自分好きみたいなそういうときの自分評価されてきたみたいなとこあるけど、それ以外のわたしもいるよ〜ってしないとそろそろ意味ないことしてるかも!もっと言葉とかってできること多い気がする、自分で自分すりつぶして漏れ出たもの垂れ流しにするの、ただそのままで、ぐろい
自分が他人として立っていることへの責任とかについてようやく最近わかりだしたかも。それも遅いよって言いすぎちゃうけど、認知の歪みを治すのも自分のペースでいかないと、わたしはわたしに期待しすぎていて、それはとってもマッチョで、よくないとは言わないけどそこまでわかってるんだからやめたら?とおもう わたし、立ってまーすって言わなきゃ、立ってまーす!
合宿の途中では一度でかいパニックを起こし、一度トイレで泣いた涙
なんか、合宿後友達に聞いたら「そんな合宿私行ってたらずっとトイレで泣いてるよ」て言ってたから、トイレで泣くってたぶんわりかしメジャーかも!

それでね!
人とたくさん話せました!お友達もできたかも
長い間話しました
長いこと話すと人って自己開示タイムになると思うんですけど、そのフェーズに差し掛かった時めちゃいい意味で会話のキャッチボールが無く、地図が書けず、なんか文脈めちゃ飛び階段2段飛ばしくらいで話が展開していく感じが気持ちよかったです あの、エリック・ロメールの映画って相手の言ったことへの反応込みでの切り返しのショットが繰り返されると思うんですけど、そういうものを全部カットしたような、反応を受ける時間がないというか、だから過剰に人の機嫌伺わなくても良いというか、反応受けてなにかを感じたんだろうなあという信頼のもとおしゃべりできてそれは嬉しかったー あの、これはたぶんわたしのASD特性で、四人以上になると情報が錯綜して会話が理解できなくなるっていうアレが、勘ぐりが減ったことで緩和されたということだとおもっているー 勘繰り ねむかったのもあるとおもうがね
あとなんかわたしの知らない言葉をつかってるひととかわたしがわからない言語で話している人とかいて嬉しかったー るんるん やっぱ、高次元に聞こえる会話っていいかもー(わすれた、これってだれかの受け売り?)
36人くらいもいると、いろんな喋り方があり、発話があり、出立ちがあり、同時に見れておもしろかったです この人がどういう意図でこういう発話をしているのか、とかを察しにくいわたしですが、そのぶん素材そのもののおかしみとかはわかります みょうにフィットしているなあとか隙間があるなあとか わたしはわたしのいでたちとかわかんなくて悔しいなー みんなーわたしのいでたち教えてー

ともかく合宿、修行編ってかんじでしたー!るん


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