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コミュニケーション下手との受容と理解に、努めて打ちのめされてやがて怒りくすぶりルサンチマン

思い出し怒りが久々に湧き出る。
前の職場について。

明日から、新しい職場で働く。前の職場での反省点をおさらいした上で、フレッシュな気持ちで頑張ろう。

そんな前向きな気持ちに水を差す、前の職場の思い出し怒り。怒りに水は、なんとなく相反する気がするが。怒りって、火のイメージがある。大雨が上がり、昼の陽が明るさを増す窓辺に横たわる私の頭の中は、怒りの炎で照られさてゆき。やめてくれ、こんなみっともない頭の中を明るみにしていくのは。

さて、前職に、自他認めるコミュニケーション下手の上司がいた。
コミュニケーション下手の彼の難点は、人を傷つけることや、他人への失礼にあたることを、平気で言ってしまうところ。
他人に、自分のペースを崩されたり、自分の価値観にそぐわない行動をされたりすると、その他人を感情的に否定してしまうところ。

しかし、上司は決して冷酷で意地悪で厳しい人間では無い。

上司の、人を傷つける発言や他人への失礼は、悪意のつもりで言ったわけではない。真意を聞けば、筋が通っていることも多々ある。
ただ、表現方法が悪い。間違っていないこと、いいことを、人が嫌になるような物言いで言う。
他人と意見が合わない時、感情的に相手を否定してしまうが、彼には彼なりの考えがあり、その考え方自体に問題はない。とはいえ、彼と同じ考えで、彼と同じように動ける人もいれば、そうでない人もいて、そうでない人に対するリアクションが、なんだか大袈裟に厳しい。

本人は言う。
「ぼくは、人の気持ちがわかりません。
だから、言っていいことと悪いことの区別が、分かりません」
「頑張って、 直そうとしました。でも、無理です。どうしても、わからないものはわからないんです」

なるほど。前の仕事場で働くことになり、初めて本人から説明を受けて、私は特に問題だとは感じなかった。
むしろ、上司から時折受ける冷たい発言や、不機嫌そうな態度が、私に対する敵意や不愉快ではなく、彼の不器用さゆえだとわかり、安心すらした。

世の中には色んな人がいる。
私だって、コミュニケーションが上手な訳では無い。
きちんと説明してくれてありがとうございます。
ほな、うまく意思疎通が図れて一緒に快適に働けるよう、上司の不器用さを理解した上で、うまいコミュニケーションのやり方を考えてやっていきましょ。

しかし、そう上手くいくわけはなく、私は働き始めて1年で、精神安定剤がないと出勤できなくなり、2年で退職を選んだ。

上司の意図が正確に汲めるよう、私は方策を考えた。正確に汲めないと、彼の感情が乱れるからだ。
指示に対する確認の仕方を、あれこれ試してみた。
どのレベルで、どんなことを彼に確認すればいいのかも、試行錯誤だ。
上司が仕事の作業中「ちーがう!だーから!僕の言うことわかってます?」と高圧的に言ってきても、(でも、悪意は無いからね)と流し、彼が作業のどこに重点を置き、どんな目的や理想があるかを確かめていった。

突如、意図の読めない、理解ができない行動に出られることもある。悪意がないとわかっていても、言われたら嫌な気持ちになる言葉も飛んでくる。
しかしながら、家族経営の会社だったので、一緒に働き、彼という人間の扱いのプロである彼の家族が、よく彼の意図や、その行動に至った経緯を翻訳してくれ、救われた。まあ、その家族もよく喧嘩してキレていたが。

とはいえ、悪意は無いけれど傷つく物言いは
回数が重なると、流石に苛立ちも増してくる。
でも、「その言い方、やめてください」とも言えない。だって、言っても無駄だからだ。
何度も何度もオフィスで聞いてきた。上司が「やめろって言われても、本当にわからない、どうしたらいいんだ!」と、開き直りも含めた戸惑いを表明しているのを。

上司の難点が、一緒に働く私や他のスタッフだけでなく、取引先との関係にも支障が出ることを懸念した家族が、粘り強く「こういう場面では、こういう態度をするのがベターだ」「さっきのあなたの言い方は、あなたの都合を押し付けているだけで、他人の状況からすると困るものだよ」と、彼を教育し続けた。
家族の決死の教育の甲斐あってか、ストレートに人を傷つける彼の物言いが、少し和らいだ。おそらく、彼の中に「言ってはいけないワードリスト」と「こう言うとうまくいきやすいワードリスト」が、増え、それに即したコミュニケーショは、できるようになった。

とはいえ、成長前の彼を知っている私からしたら、無理をしているのが何となくわかる。スタッフに優しいねぎらいの言葉をかけながら、顔が笑っていない。他のスタッフがいない場で「○○さん、あの態度が俺は受け付けない、有り得ない」と、強く否定する。
しかし、彼がぶつくさ難癖を付けることは、大概(そこまで嫌か…?)と思うレベルのことで、聞かされている周囲の人間は、困った笑顔で「うーん」と流すしかない。

他人の意見を柔軟に受け入れられない、他人に厳しい、そんな彼の本質は変わっていない。
変わっていないけれど、上辺は頑張っている。
上司自身も、「最近僕、頑張ってるでしょ?発言に気をつけるようにしたんです」と誇らしげだ。

なら、これ以上「もっと変わって!もっと!」と要求するのも酷だ。「僕はどうしてもわかりません、直りません!」と堂々と言う一方で、「どうしたらいいんでしょう」と悩んでいる人が、彼なりに努力をしているのだ。

ただ「そういう人」であり、悪人では無い。
彼なりに頑張ってる。
だから私も、彼が気持ちよく仕事ができるよう、頑張ろう。

…それでも、向こうからの言葉のナイフは鋭い。
ナイフを投げたんじゃない、誰もが納得する理論に基づいた意見を投げましたと相手が主張してきても、私の精神にはかすり傷、刺傷、どうもついていることに間違いない。

小馬鹿にしてきたり、強く否定してきたり、私、ここまで言われるほど、間違ったことをしているんだろうか。でもね、これは悪意ないの。私の人格を否定したわけじゃなくて、小馬鹿に聞こえてしまう風の、否定にしてしまう風の、紛らわしい言葉のレパートリーしか組めない人なの。
はー、家帰って猫撫でて、酒飲んで忘れるか。

たとえば、AとBどちらを優先するかを判断しないとならない状況で、この状況ならA優先でしょうか?と聞いたことに、「当然B優先だと思って僕は言ったんですけど!」と、私の質問に対し、上司は答えが分からないことが問題だと詰めてくるような反応をする。

いつも通りのやり方をしていたら「ここはこういう風に改善したかったのに、何やってるんですか!?」と、上司の考えの変化を後出しされる。

上司の考えを、汲めなかった私が悪いんだろうか。
…もしかしたら、コミュニケーション能力に難があるのは私の方なのかもしれない。
上司に小馬鹿にされたり否定されたりするのも、私が本当に能力が低いからかもしれない。それならば、職場全体においても問題だ。
事実、私の人生、人間関係の挫折の歴史なら豊富だ。
というわけで、心療内科で心理検査までしたが、特にそのような診断は出なかった。

それでも、それでもなんだ。
猫撫でても、酒飲んでも、あなたに問題ありませんという検査結果を手にしても、いざ出勤すると、上司との会話、上司の顔色、上司のあらゆる点に、警戒をやめられない。
精神安定剤がないと、冷静に接することができない。

どうすれば、的確に彼の意図どおりに動ける?
ああ、彼がスタッフに今日も何か強く言っている、スタッフの何気ないあれが地雷だったか。
と思えば、今度は私が失敗。

上司の気分を害さないよう、こちらは気を遣っているのに、上司は平気で人の不愉快のスイッチを踏んずけてくる。
でも、この無遠慮な踏みつけは、本人曰く「直らない、どうしようもない」

じゃあ、気が遣える人間が人を傷つけることは過失であり、罪で、気が遣えない人間が人を傷つけることは、無罪になるのか?
私が上司とうまく意思疎通がはかれないのは、私の責で、努力や能力不足で、上司はスタッフが苦労している事実があってなお、頑張っているし仕方がないから、免責なのか?

上司に接する度、自分だけが徒労を課せられてるような気持ちになってくる。

そしてある日のイベントで、大きな暴言を吐かれたことを契機に、もう耐えられないと私は退職した。


さて、ここからは、精神の中に備え付けの、禁忌の箱の中です。
この箱の中身は、人間の感情のいち記録です。
しかし、読んでなにか有用であったり、いい気持ちになるものではなく、むしろ嫌な気持ちになるものです。
禁忌の箱をたまに開け、うっかり排出してしまった汚いものをこっそりしまって箱を閉じ、そうやって何事も無かったかのように、明日も楽しくやってくんです。

過去にこの上司と働いているとき、私を支配していたのは、主に自責だった。
今日も上司とうまくやれなかった、私はどうすればいいのだろうと、自分の対人スキル不足を嘆いていた。

しかし、今日ひさびさにこの頃のことを省みた時、噴出してきたのは、怒りだった。

どうしてあそこまで、上司の性質を尊重した上で受容しようと頑張ったのに、あんな暴言を吐かれたのか。

「僕は、悩んでいるけれど、直らないんです」と零す上司は、果たして本気で自分を変えるつもりがあったのか。

ここまでくると、私の怒りは、自分の努力が報われなかった虚しさではなく、自分自身の経験による、客観的では無い、個人的な怨みや嫉みをも呼び起こしていた。

あいつ、死ぬ気で直そうとしたんか?

ここまで人と上手く関われない自分は、もう自分という人間を死んで辞める以外にない、そこまで自分にとことん絶望し尽くしたこと、あるんか?
自分の欠陥のせいで職も家も失ったことは?

今の私は、そういう経験を経た末にある。
私だって、人とうまく関われない欠陥を抱えていた。
それでも、努力の末に「人当たりがよくて、優しくて、明るい、人に好かれる人」になった。
絶望し尽くして、それでも這い上がるために、変わらなくてはと、がむしゃらに生きてきた。

難ありなコミュニケーションしかできない仕方の無い自分を変えようと、ボロボロになって、底辺だと揶揄されて、自己責任だと突き放されて。

あいつに、そういう泥水啜った必死さが伝わってこないのは、悪意がないのに人を傷つけてしまうのと同じように、努力をしているのに真摯さが伝わらない、そんな損な性格やからやろかね、

そんな、死ぬ気で直そうとした人間のエネルギー感じない人に、私が死ぬ気の努力で得た人当たりを小馬鹿にされ、優しさや配慮を反故にされてね、つい、八つ当たりみたいなことを言いたくなるんだよ。

私はこんなに頑張ったのにねって、ね。
そんなん、誰が知るか。
わからんから、自分の中でだけでうまいこと箱におさめて、明日から楽しく生きましょう。

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