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わたしの4月1日

2020年の4月1日、赴任先の日本海の小さな街から、神戸に帰ってきた。
新型ウイルスの災禍により、街からは、人が消えはじめていた。
わたしからは、仕事がまるで勤め続けた6年が何事もなかったかのように、呆気なく消え去っていた。

20代の半ばで、自分には心から安心して帰れる場所はなく、かつ、他人と深い信頼と愛情で繋がる能力もないと気づいた。
よって、「ひとりで強く生きていかねばならない」という一心で選んだ仕事だった。

某省職員という所属が、自分が社会的にきちんとしている身分証明書代わりだった。
「お前みたいな甘やかされた情けない人間、もう一生外に出るな」とわたしを育てた人間を絶望さ」させた私が、努力の末、外で生きていけることを証明する唯一が、仕事だった。

ところが、わたしを辛抱強く愛せるという気の狂った男が現れ、結婚に向かう過程であらゆる歯車が噛み合わなくなり、退職することとなった。

経済力もなくなり、
某省某機関の係長という役職もなくなり、
組織を離れてしまえば、労働市場上での価値もない。
転職サイトをのぞいてみても、公務員の経験が求められる仕事などない。

定年退職後のおじさんの気持ちって、こんななのかなあと思った。
長年所属した場所を離れた途端に、自分には何もないことを知る虚しさ。

「持たざるものの人間の気持ちが、お前にわかるか」と、夫に何度も泣いて当たった。
他人に愛される性質だとか、コミュニケーション能力だとか、お金だとか、この世を生き抜くための力を持たぬがため苦しんできたわたしが、やっと得た、仕事という自分が社会に許されるための切符。
それすらも失って、これからわたしは何を頼みに自分を信じればいいんだ。

その答えは出ないまま、4年が経った。

2024年の春の街は、ウイルスの脅威に冒された数年をすっかり忘れてしまった様子だ。
わたしといえば、2年勤めたパートを退職し、また無職になっている。

4年で信じられたことといえば、夫と1年半前に迎えた猫と暮らすこの家こそは、わたしを許す場所であること。
経済力も社会的な地位も高い仕事にはもう就けないけれども、自分のお小遣いを稼ぐ程度の労働ならば、何とかできそうなこと。
罵声の響く過去によって刷り込まれた、誤った価値観による心身の反応パターンの修正治療が、喫緊の優先すべき課題であること。
何かを創ることが自分に欠かせないこと。

相変わらずわたしは、たいしたものを持ってない。
それは4年経っても変わらない。
たいしたことがなくても、何となく、ぼちぼち生きていけているから、2024年の4月1日を、虚しさではなく穏やかとともに過ごせている。

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