ずるいってなんだろう
今の世の中には「ずるい」が溢れている。
ある人は言った。「女は自分から身体を売って大金を手にしながら、のちのち被害者みたいに振る舞ってずるい」
また、ある人は言った。「男は女に家事や育児などを押し付けながら、フラフラ外へ行ってずるい」
政治問題、人種差別、男女格差、貧富の差、環境問題、そして今の世界に関すること。
全ての問題、憎しみは他者への「ずるい」という想いから始まる。特に今の世の中、ネットを見るだけで様々な「ずるい」が溢れている。
「ずるい」という感情はやがて心に大きな憎しみを生み、衝動に突き動かされながら大なり小なり無関係の人を巻き込んで爆発していく。例えば右翼左翼の争い、例えばフェミニズムとオタクたち、例えば税金の使い道の争い。思想が過激になればなるほど、憎しみも強くなっていく。そして憎しみはぶつけられた他者にも伝染し、溝はますます広がっていく。
問題がなぜ起こったのか、解決するにはどうしたらいいのか、解決するために「自分は」どうすべきか。肝心な部分は置き去りにされていく。
いろんな人がいろんな問題に対し、ほかの考えを持つ人と戦っている。けれど肝心の問題に、人生をかけて解決しようと動くのはごく僅か。大概の人は言うだけで終わる。仮に動いたとしてもほかの憎しみや誘惑に負け、問題の本質を見失わず、初心を保てるのはさらに少ないだろう。
憎しみとは己の心が生み出した地獄そのものだ。個人が経験した辛さが心に溢れたものだ。地獄を生み出さない方法があるとするならば、己が常に幸せに満たされること。特に心の余裕、つまり自己肯定感。「どんな辛い想いをしても、自分は自分であっていい」という確固たる自信は「他者も他者であっていい」という考えを産み、他者への攻撃性を著しく下げる。念の為に言っておくが、自惚れと自己肯定感は別物である。自惚れは自分の今の力量を理解していないが、自己肯定感は理解した上で今の力量を受け入れることである。
ネットやSNSの普及により、今、人の心の地獄があちらこちらに目に見える形で現れている。地獄が現れるということは、誰も彼もが自身のありのままを受け入れられていないということ。裏返せば「誰かに自分を受け入れて欲しい」という心の叫びがこの世に溢れているのである。だからこそ人は地獄の苦しみを誰かに、他者に理解してもらい、受け入れてもらいたいがゆえに、地獄を見知らぬ他者にぶつける。しかし、他者には他者の地獄がある。そしてそれはあなたが経験していないことから起こった地獄であり、あなたが代わることが出来ない地獄でもある。
この世にある人生の数だけ地獄があり、似たような地獄はあれど全く同じ地獄はない。ただでさえ自分の地獄で辛いのに、他者の地獄を押し付けられて耐えられる者は少ない。自分の心を守るために当然反発するし、関係ないと言う。そうでないとキャパシティが保たないから。受け入れられなかったもうひとつの地獄は、受け入れてくれなかった他者への憎しみをさらに深める。
では、どうすればいいのか。個人的にやり方を考えた。
まずは自分の地獄、生きづらさの原因が何かを分かること。トラウマかもしれないし、生まれ持ってのものかもしれない。とにかく、何が原因で苦しんでいるのかを理解する。
その上で「私には私の地獄がある。けれど、あなたにはあなたの地獄がある」と他者にも地獄があることを分かる。他者の苦しみの、生きづらさの存在を認める。地獄の元を受け入れなくていい、ただ「そこに別の地獄があること」だけを分かればいい。
この後、互いの生きづらい問題の解決方法を共に考えられればベストだが、これは余裕がある人にしかできない。余裕がない人が無理にやっても潰れてしまう恐れがある。
「ずるい」という地獄は互いに押し付けあうものではない。そうではなく、人の地獄をどうすれば少しでも和らげられるのか。全ての人が最低限でも幸福に生きるためにどうしたらいいのか。考えるのが政治であり、そのための資金が税金であってほしい。