【期間限定無料公開】僕の「伝わる」文章術 「〜が」と「すること」編・関口威人の「フリー日和 (⌒∇⌒)□」
(※ 本記事は2023年11月25日のニュースレター配信記事のnote版です)
前回、建築学生から新聞記者を目指した経緯について少しだけ触れました。
文章を書くのが好きだった…というよりも、昔から極端な口ベタなので、文字で伝える方が伝わったというのが正直なところ。
口で一生懸命に説明したつもりでも、ぜんぜんダメ。メールで書いたら一発で伝わってるよ(笑)みたいなことが経験としても、快感としてもどんどん蓄積されていったんでしょうね。
そして11年間の新聞記者生活を経て、今はフリーとして16年目。自分でモノを書きつつ、プロからアマまでいろんな人の文章を見る機会が増え、たまに文章講座などもさせてもらうようになりました。
そこで自分なりに「伝わる」文章術を整理してきましたので、プロの皆さんには言わずもがなの部分はあるかとは思いますが、いくつかの例を紹介させてもらおうと思います。
「伝えたい」ものを研ぎ澄ます
まず大前提として、伝えるためには「伝えたい」ものがなくてはなりません。
これを選んだり決めたりするのが、できそうでできないことなんですよね。
取材記事であれば、普通は取材したこと=伝えたいことなので、スムーズにいきそうな気がします。でも、単なる文字起こしの仕事でなければ、聞いた話のうちの何が核心なのか、あるいはいくつもの素材をどう選び抜くのかなど、いろいろ迷っているうちに手が止まってしまいます。
そういうときの解決方法の1つは「書きながら考えていく」ことだろうと思います。このnoteでの僕の一連の記事はいつもそんな感じです(^^;)
もう1つは「取材をし尽くす」こと。これは相手やテーマによりますが、1回のインタビューでは聞き切れなかったことを(申し訳ないと思いつつ)電話やメールであらためて確認する。その過程によって相手が本当に伝えたいことや、こちらが伝えるべきことが見えてくる。あるいは別の人に意見を聞いて「そういうことか」と分かる場合もあるでしょう。
ノンフィクションライターの野村進さんは、原稿を書くための「ペン・シャープナー」を用意していると明かしています。
文字通りでは「鉛筆削り」ですが、この場合は「文章のカンを鈍らせないために読む本や、原稿を書く前に読むお気に入りの文章」のことだそうです。
野村さんは山本周五郎や宇野千代などの文章を抜粋して自分なりの「ペン・シャープナー手帳」を作り、好きなところをパラっとめくってから自分の原稿を書き始めるとのこと。(『調べる技術・書く技術』講談社現代新書)
作家やエッセイストならそれでいいでしょう。一方で、取材記者の場合は「取材したネタ」がペン・シャープナーになり得ると思います。
いろんな角度からネタを集めて研ぎ澄まし、最後にトッキントッキン(名古屋弁です)になったところで一気に書き始める。
そんな仕事ができれば理想ですよね…。
曖昧な「〜が」でつなげない
さて、次からはテクニックの部分に入ります。
伝えたいことをいかに「伝わりやすく」書くか。
僕は「曖昧さを排除する」のが肝心だと思っています。
文章には多少の回り道や脱線もあっていいでしょう。そうじゃないと無味乾燥な報告文や論文に終わってしまいます。
ただ、回り道や脱線の面白さを生かすためにも、文章自体には曖昧さをできるだけなくしたいものです。
昨今、それを妨げている日本語は「〜が」と「すること」だと、自分を含めてさまざまな文章をチェックしていて気付きます。
「〜が」は、文法的には接続助詞で、2つの文章をつなげるときに使われます。普通はいわゆる逆接で「〜だ。しかし〜」という意味になるのはお分かりでしょう。でも、そうでなくても使えてしまうのが不思議で厄介なところなんですよね。
僕のここまでの文章でも、ペン・シャープナーについて書いた「文字通りでは『鉛筆削り』ですが…」は逆接になっているはずです。では冒頭の「プロの皆さんには言わずもがなの部分はあるかとは思いますが…」はどうでしょう。
逆接と言えなくもないですが、「思います。しかし…」というほど強い意味は込めてないです。今書いちゃった「言えなくもないですが…」も似ています。要はエクスキューズの意味で、あってもなくてもいい(なくても本質は変わらない)一文なんです。
この曖昧な「が」は、新聞社時代にも徹底的になくせと教えられました。でも、モグラたたきみたいにどうしても出てきちゃいます。これは何なのか。僕も教科書にしている本多勝一の『<新版>日本語の作文技術』(朝日文庫)では、社会学者の清水幾太郎の定義として次のように紹介しています。
お分かりのように「が」でつなげる文章はすごく楽チン。しかも、もっともらしい文章に見せられます。お役所の発表文や裁判所の判決文などに「どんだけ『が』でつなげてんだよ!」という長たらしい文章があるのはそのためでしょう。
一般の人でも、各方面に気を使わざるを得ないんだなという、ちょっと自信のなさげな文章に頻出する傾向があります。(僕の今回の書き出しもそうです)
しかし、本多勝一は以下のように指摘します。
この曖昧な「が」が出てきたら疑い、できればその前の一文も本当に必要なのかどうかを見直してみてください。
無限ループを断ち切りたい「すること」
もう一つの「すること」も日本語特有の問題をはらんでいます。
英語で考えると「〜ing」の動名詞と呼ばれる使い方に当たります。「cooking(料理すること)」「running(走ること)」「writing(書くこと)」といった具合ですね。
しかし、日本語では「料理」や「走行」「執筆」などの漢字自体が動名詞の意味を含む場合があります。だから「料理する」という動詞に「こと」を付けて動名詞化すると、結局「料理」と同じ意味になるんです。この場合は「調理」と言い換えた方がいいかもしれません。「料理すること=調理」ですよね。
例えば、こんな文章はどうでしょう。
取材すること、撮影することは、記者にとって基本となることだ。
言いたいことは通じるかと思います。でも、「取材」も「撮影」もどれも動名詞的なので、「すること」はいりません。「基本」も「基本である」という状態が言えればいいので「となること」はなくても通じます。つまり…
取材、撮影は記者の基本だ。
…でいいですよね。笑っちゃうかもしれませんが、いま前者のような文章を書く人がすごく多い気がしています。
紙面の制約がある紙媒体では、ひたすらこの「すること」を削らせてもらっても、ほとんど意味が通ります。
でも、ネット記事ではほとんど字数の制約がないので、「すること」が無限ループのように連なっている文章を見かけます。
これは何なんだろうと考えていたところ、テレビの影響かなと気付きました。
例えば今日のNHKニュースのオンライン記事をパッと見ても…
…と、まあバリエーションはありますが、似たり寄ったりというのはお分かりいただけるでしょう。紙媒体的に直せば、最初の文章は「立往生した事態を受け」て「対策の強化を決めました」あるいは「対策を強化します」でもOK。次は「感染拡大の継続を背景に」「4シーズン連続の発生は初めてです」でいいはずです(それで14文字短縮できました)。
でも、話し言葉だと元の文でいいし、なんとなく丁寧な印象を受けてしまいます。こういうもったいぶった言い方のほうがNHK的なんでしょうね。
ただ、前半の「〜が」と同じで、「すること」も曖昧さと安直さをはらみます。「こと」が何かを指しているはずなんですが、はっきりしない。本多勝一が指摘するように、思考の流れを乱される分かりにくい文章、すなわち伝わりにくい文章になってしまいます。説明し過ぎない程度に、文章を具体化していくのがコツなのかなと思います。
いずれも完全な正解はなく、僕の文章にもツッコミどころは多いはずです。でも、何気なく書く文章をこんな視点で少し見直してみるのもいいのではないでしょうか。また他の事例で続きを書かせてもらえればと思います。
※最後までお読みいただき、ありがとうございました。本記事・写真の無断転載、公開はしないよう、お願いいたします。
ここから先は
関口威人の「フリー日和 (⌒∇⌒)□」
ジャーナリスト/なメ研代表理事の関口がフリー稼業の裏側と、ゆるりとした生き方について記す連載です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?