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僕の「伝わる」文章術 「。」と「、」のセオリー編・関口威人の「フリー日和 (⌒∇⌒)□」

 最近、若い人が「。(句点)」を嫌がるという記事が話題になっていました。LINEのメッセージなどの文末に「。」が付いていると威圧的に感じるそうで。知らずに送り付けていると「マルハラ(マルハラスメント)」なんて言われてしまうとか。

 うーん、どうかなと思って高1の娘とのLINEのやり取りを見直してみると確かに「。」なし。それどころか「、(読点)」まで見当たらんじゃん! 文章の区切りは徹底的に改行しちゃってます。

 あれさあ
 またやっといて
 前みたいに
 よろ

…みたいな(^_^;)

 いや、それでは社会で通用せんのだ、娘よ。
 なんて言っちゃう時点で昭和のオヤジだ、ハラスメントだという世の中ですが、やっぱり物書きとして譲れない一線もある。ということで今回は「。」と「、」の使い方について思う存分、語らせていただこうと思います。


(※ 本記事は2024年2月24日のニュースレター配信記事のnote版です)

文章をスムーズに転がすセンスが問われる「。」

 とはいえ「。」も「、」も所詮、単なる記号。書き手と読み手で互いに伝わればいいんでしょう。
 LINEも、あの吹き出しの形があるからこそ文章が区切れているわけで、それならそれでいい。問題はこういう記事を含めた通常の文章を書くときです。

 「。」が一つの文章を終わらせることは日本人なら誰でも分かります。でも、物書きならそこで終わらせず、一文一文、少しでも続きを読んでもらいたい。

 僕がよく引き合いに出す作家の大江健三郎は、次のように述べています。

単純な原則をいいます。文章は、どのようにして前に進めるか、ということが大切なんです。その進み方が自然でスムーズであるほどいいんです。

改行はした方がいい。そのようにして考え方をひとつずつまとめて、順々に積み上げるように文章を書いてゆくというのがいいんです。

 これは大江の講演録をまとめた『鎖国してはならない』という本の一節で、2000年に渋谷教育学園幕張中学校(いわゆる「渋幕」)で中学生に伝えた言葉だそうです。大げさなタイトルと違って中身は非常に分かりやすい語り口で、次世代へのメッセージとともに大江の文章術もふんだんに盛り込まれていますので、ぜひ機会があれば読んでみてください。

 この「順々に積み上げた文章をスムーズに前に進める」ことを、僕は玉転がしみたいにイメージして文章を書いています。

 そのためには、どこで「。」を付けるかより、どう「。」を付けるかが重要です。

 特に、今回のような「ですます」調の文章では、語尾のバリエーションが「である」調より少なくなってしまうので、適度に体言止めや「〜ありません」「〜してください」などの語尾を織り交ぜて、飽きずに読み進めてもらうよう気を使っているつもりです。

 そこは好みの問題もあって、あんまり体言止めばっかりだと落ち着かないという人もいれば、変にひねらない方がいいという人もいます。

 「。」はそうした意味で感覚やセンスに直結するものだと言えるでしょう。だから昨今は敬遠されちゃってるのかもしれませんね。。。

©sekiguchitaketo

本当に必要かどうかを見極めたい「、」

 一方「、」はもっとロジカルでテクニカルな記号です。

 これについては前回の文章術の記事でも取り上げた本多勝一の『<新版>日本語の作文技術』が完全な教科書なので、まずご参照を。

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