修真者の生存戦略(その一?)

何度か触れてきましたが、修真者というものは冒険者と同じで、死亡率の高いジョブです。また最終目標が飛昇して不老不死になることである以上、生き抜くことは何よりも大事です。

しかし、残念なことに修行というものはただ座って霊力を循環させているだけで済むものではありません。そういう実践を必要としない桁外れな天才も存在するかもしれませんが、それではドラマになりませんので、ひとまず除外して、一般的な修真者の生存戦略について説明しようと思います。

この記事が分かりにくいと感じた場合は過去のものを読んでから、また戻っていただけますと幸いです。

まず、修真というものはよく「逆天而行」であると言われています。つまり、天に逆らって進むということです。これは、世界の軛から自由になって、より高次な世界へ飛昇するという目的からも分かります。その世界の軛というのは、すなわち天道であり、天そのものです。だいたい理とか世界の仕組みのようなもの、と考えれば分かりやすいかと思います。

しかし修真もまた世界の仕組みの中で行われるものなので、天道の制約から逃れることはできません。ではその制約の中で修行してる以上、自由になれるはずがないかというと、そうでもありません。ここでよく論拠として挙げられるのは『易経』に由来する「大道五十 天衍四九 人遁其一」という言葉です(原文のままではありません)。この言葉の解釈はいろいろありますが、仙侠作品の中ではだいたい「大道は全部で50通りあるけど、うち49通りは天が定めたもの、残り1通りは人に残されたもの」と解釈して、「だからどんなに絶望的な状況であっても、必ず道が残されている(天道无情 尚留一线生机)」という結論につなげます。これが修真者が逆天の存在でありながら、天道の制約下で修行できるゆえんです。

しかし修行できるとはいえ、制約は厳然として存在しています。天道による制約として、霊気を含む資源、瓶頸、天劫と心魔などが挙げられます。

霊気はだいたい水のようなものと考えれば分かりやすいかと思います。汚染したり、消耗しすぎない限り再生可能ですが、人口増加の制限要素の一つとなりえます。修真者の場合、高位の修真者であるほど、修行に必要な霊気の濃度と量は指数関数的に増えていきます。経験値と同じようなものです。しかし霊気が無限でない以上、一つの世界に成就させられる高位修真者の数も限られてしまいます。霊気の濃度が下がれば、修行が困難になり、修真者の全体数が減りますが、修真者が減れば霊気の濃度が徐々に上昇し、また修行しやすくなります。まあトレードオフというやつです。

また霊気の源である霊脈は、場合によっては地中から分離し、他所へ移すことも可能ですが、取り出すことができるのなら壊すことも枯渇させることも理論上可能になります。取り出さずとも魔気や瘴気などで汚染させて、機能を失わせることもできたりします。まともな修真者なら普通そんな事をしませんが、起こりうる事態の一つではあります。

霊気以外の資源だと、霊草などのいわゆる「天材地宝」があります。これは修真者が利用できるエネルギーを多く含んだ自然物の総称です。植物の一部であったり、結晶であったり、霊液であったりしますが、素材アイテムのようなものです。これらのものは形成するまでに数十年から数百年、はては数千年とかかってしまうものです。また、そういったものに含まれた霊気もまた、まわりから吸収したものなので、数に限りがありますし、長い年月をかけて霊気を溜めるほどに効果が増していきます。しかし、そういったものは往々にして見つかったらすぐ採取されてしまいます。なぜなら見つけた時点で採取しなければ、次来るときには誰かに取られていたかもしれないからです。しかし、これは人間の場合であり、霊獣や魔獣などの場合は、その場に住み着いて、摂取するタイミングを何百年も待つこともあります。そのため、「天材地宝」のまわりにはそれを守護する獣がいると考えるのが普通です。

一部の霊草は人の手で育てることもできますが、高位の修真者が使うような霊草となると、成熟するまでに数百年もかかったりしますので、よほど大規模な門派でもなければ、数百年も育てるのは無理です。

フィールドに生えているもの以外、期間限定のダンジョンからも「天材地宝」を入手することができます。それが「秘境」「洞天」「小世界」などです。広さはまちまちですが、だいたい平行宇宙とか、異空間のようなものと考えると分かりやすいかと思います。

そういった秘境は往々にして、近くの門派か、場合によっては複数の大型門派によって管理されています。そして持続可能な開発のために、普段は封印され、数十年に一度開かれ、適正な強さの弟子を選出して送り込み「歴練(ぼうけん)」づいてに中にある資源を採取させることが多いです。秘境は人為的に封印される場合もあれば、もとから数十年置きにしか開かれないケースもあります。このような異空間は往々にして、古の「大能(強者)」が残した個人用の空間であり、外とは違う法則が適用される事があります。まあ分かりやすくいうと、転送陣から入るとランダムでマップ内に転送される、レベル制限のあるダンジョンのようなものです。

またレベル制限についても二通りの種類があります。一定レベルまでの修真者しか入れないケースと、一定レベル以上の修真者が入ると、一時的に力が制限されるケースです。前者の場合、一定レベル以上の修真者が入ると空間自体が不安定になったり、崩れてしまうケースが多いです。同時に、空間内にある敵もそれより強くなることはないので、ある程度安全に若い弟子たちを歴練させることができます。もっとも、歴練においてもっとも危険な相手は常に人です。正道門派同士や同門同士の殺し合いは基本ご法度ですが、知られなければどうということもありません。特に秘境の中は隔絶された世界であり、お互いの強さも五分五分なので、人を殺してもバレる可能性は低いです。なので、ダンジョンの中はフィールド以上にPKが多発する場合が多いです。

話がそれてしまいましたが、天道による制約の話に戻ります。

次は瓶頸です。瓶頸というのは文字通りボトルネックです。分かりやすくいうと最大レベルに達してしまい、レベル上限を開放しなければいくら霊気を吸収してもこれ以上強くなれない状態です。

修真者の強さは、「境界」で計ることが多いですが、練気・築基・金丹などの「大境界」の他に、一重~九重や、前期・中期・後期・大円満(/巔峰)などの「小境界」があり、都度瓶頸に遭遇する可能性があります。また同じ瓶頸でも、突破しやすいものと突破しにくいものがあります。例えば練気大円満から築基期に入るための瓶頸はほとんどどの作品でも一大難関となりますが、築基前期から中期に入るのはそれほど難しくありません。

というのも、大境界と大境界の違いは非常に大きなものであり、突破できれば文字通り桁違いの強さを手に入れることが出来るからです。

なので、自分より大境界の高い相手に挑んでも、勝算はゼロに等しいです。小境界であれば、ある程度の天才なら越級挑戦できるものですが、大境界が違う場合、主人公でも入念に準備して、やっとぎりぎり倒せる程度です。もっとも、俺TUEEE小説の主人公は強さのインフレがひどいので、大境界2つ跨いでもラクラクと倒せるチート持ちも少なくありません。ちなみにそういう主人公は中国語で「龍傲天」といいます。

では瓶頸に遭遇した場合、どのように突破すればいいかというと、丹薬や天材地宝の力を借りるか、困難な戦いを経験して、いわゆる「臨陣突破」に賭けるケースが多いです。他にも頓悟したり、修行を助ける効果のある特殊な場所で閉関する場合もありますが、寿命が迫っているのに突破の目処が立たず、仕方なく閉関して最後の望みに賭けるケースもあります。これを「閉死関」といいます。つまり、死ぬか突破するまで出てこないということです。ようするに、瓶頸は突破できれば強くなりますが、一生突破できずに、寿命を迎える修真者のほうが断然多いです。

瓶頸というもの自体も一大難関となっていますが、突破した後にもう一つの難関が待ち構えてる場合もあります。それが「天劫」です。

天劫とは天に下された罰であり、試練であり、恵みでもあります。

これも作品によってばらつきが大きいですが、だいたい大境界を突破した後に訪れるもので、多くの場合、修真者は突破に先立ち、陣法を敷いたり防御法器と回復用の丹薬を用意したり、万全な備えをしてから、天劫に挑みます。これを「渡劫」といいます。渡劫に失敗するとその場で命を落とす可能性もありますので、瓶頸以上に恐ろしいものです。

築基する時から大境界を突破するたびに天劫を乗り越えなければならない作品もあれば、飛昇するまで天劫に遭遇することのない作品もありますが、ほとんどの作品では天劫は雷の形で現れます。つまり、渡劫とは雷に打たれることです。雷の強さと回数は渡劫する人によって違ったりしますが、基本天才であればあるほど、天劫も強くなります。天劫はある意味天道による妨害行為なので、そうなるのも道理というものです。

また雷には破邪の効果もありますので、魔修の天劫は道修以上に恐ろしいものになります。魔修は修行速度が速いですが、雷耐性が低いという落とし穴があったわけです。

しかし天劫も悪いことばかりではありません。修真者は天劫の雷に打たれることで、鍛えられ強くなることができます。また信頼できる強い人にそばで見てもらうことができれば、いざという時に天劫を力ずくで止めて、命を助けてもらうこともできます。その場合、突破が不完全な状態になり、完全に次の大境界へ突破するためにはもう一度天劫を経験する必要があります。そして、他人の力で天劫を凌ぐのもまあた、無意味です。天劫の洗礼を経なければ強くなれません。

逆に、渡劫中の修真者は天劫の相手で手一杯なので、万が一敵に襲われたらひとたまりもありませんので、渡劫の場所選びも大事になります。修真門派に入っていれば師匠や同門に見守ってもらうこともできますが、単独行動が基本な「散修」は全て自力で乗り切らなければなりません。天劫中は雷がいっぱい降ってきて目立ちますので、渡劫後は怪我をしていても速やかに離脱しなければ、天劫を嗅ぎつけた他の散修などの餌食になる可能性もあります。

天劫以上に恐ろしいものがあるとすれば、それは心魔です。心魔とは読んで字の如く、心の中にある魔物です。心魔が一番厄介なのは、自分の一部であり、自分を知り尽くしているからです。修真者が行き過ぎた執念を持ったり、悔いのある決断をしたり、自分を抑圧しすぎたりすると、心魔が生まれます。心魔はいわば、心の隙きに生まれ、その隙きを突いて修真者をそそのかす悪魔のようなものです。一つ前の記事で修真者には「根っからの聖人君子」であることが望ましいと書いたのも、そのためです。

規則に縛られて表面上聖人君子のように振る舞うことができても、心魔にはお見通しです。

心魔が生まれるとどうなるかというと、だいたい悪魔にそそのかされた人間と同じです。普段はいつもと変わらずに過ごしているが、ふとした時に心の隙きを突かれ、ずっと抑え込んできた欲望を剥き出しにしたり、弱気になって正しい決断ができなくなったりします。また修行中は100%集中しなければなりませんが、そんな時に心魔に惑わされると集中が切れて、怪我をすることもあります。そういった事が重なると、場合によっては魔気に侵され、魔道に堕ちる可能性もありますので、修真者は自分の心と向き合い、「心性」を鍛えることも大事です。

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