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恥屋 ~web3.0世界のなんでも屋~

どうも、僕です。今回はnote創作大賞へ応募すべく、小説をひとつ執筆させていただきます。先日のNFT小説大賞の受賞によって勢いづいている、僕です。自称『ブロックチェーン作家』なので、もちろん今回もブロックチェーンNFT、また最近よく耳にするweb3.0を絡めた作品を書かせていただきます。なお、ぜひとも挑戦してみたい試みとして、現在『Loot作家』なるものの構想を立てており、今回はそちらへも果敢にチャレンジしつつの応募とさせていただきます。

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舞台設定・ガジェット

舞台設定
2072年の未来。表向きは非中央集権の世が謳われているが、実態は国家に成り代わった巨大企業が傘下の土地を統治する超管理社会である。世界的大企業『ADMIN(アドミン)』は日本における統治シェアで1、2を争う。企業主導となったことで技術の進歩は目覚ましく、体内に組み込むカタチの『生体ウォレット』が普及している。一方で貧富の差は令和初期に比べて激化し、世界各地に新しいスラムが形成されている。日本には2035年に起こった『日本三連大災害』の傷痕が30年以上経っても未だ色濃く残っている。

日本三連大災害
2035年に日本で発生した大災害。首都直下型地震と呼ばれる『南関東直下地震』が引き金となり、『南海トラフ巨大地震』が誘発され、今度はそれが呼び水となって『富士山大噴火』につながる、という史上稀に見る同時多発災害。数珠つなぎに三連動した超ド級の自然災害の総称として『三連大災害』と呼ばれる。これにより首都圏および太平洋側を中心として都市機能に壊滅的なダメージを受け、日本は旧先進国の中で最初に国家崩壊認定をされた。都市伝説や陰謀論の類として『三連大災害はweb3.0世界の実現へ向け、国家権力の解体を促すべく人為的に発生させられた人災であり、日本は新世界実現のための生贄とされた』との噂が真しやかに囁かれている。

生体ウォレット
かつての暗号通貨ウォレットが進化したもの。人間が思考時に発する脳の電気信号で操作する。NFTや暗号通貨を管理するだけでなく、文字通り生体情報を収集したり、個人情報を保管する機能を有する。『財布』という呼称であるが『錠剤』であり、服用後3年で期限切れとなって機能を停止、その後は体内で消化される。ゆえに令和初期のスマートフォンの買い換え同様、定期的なサイクルで新機種を飲み、入れ替える必要がある。ADMINの統治下では4歳からの服用が法的に義務づけられている。

登場人物

神宮 十三(じんぐう じゅうぞう)
33歳。『谷間の世代』育ち。父の失踪後、ADMIN統治下にあるスラムの『なんでも屋』を引き継ぎ、リブランドして『恥屋』を営んでいる。他者の恥を代わりにかぶり、代理であれこれを購入してきた、その購買履歴が後々の物語を大きく左右する。商売柄、多くの人と関わってきており、スラム内外に友人がいる。失踪した父の隼人に対して複雑な思いを抱いている。

神宮 隼人(じんぐう はやと)
生死不明。生きていたならば69歳。半世紀前にクリプト界隈のインフルエンサーとしてイキっていたが、とあるSNS炎上を機に存在感を薄め、現在は失踪中。かつてweb3.0や非中央集権の実現を声高に叫んでいただけに中央集権側の組織に報復目的で暗殺されたのではないか、と一部で噂されている。
(※実は生きておりADMINのトップに君臨している。かつては非中央集権を叫んでいたが、いつしかすっかり権力の側に堕ちてしまったように見受けられる)

高月 涼(たかつき りょう)
82歳。新宮隼人と旧知の中で、同じく半世紀前にはクリプト界隈に属していた。飄々として見えるが、巨大企業主体の世を『偽りのweb3.0』と断じ、頑なに認めていない。また年長者として現在のような社会を訪れさせてしまったことへの強い責任を感じている。未だ非中央集権の世の実現を諦めておらず、自らの考える『真のweb3.0』を目指して自己責任(at your own risk)を意味する『AROK(アロック)』と名づけた武装組織を立ち上げ、ブロックチェーン特区を確立すべく巨大企業ADMINの壊滅を画策している。
(※実は隼人がADMINの上層部に属しているのではないかと推測しており、場合によっては人質に使えるかもしれないと考えて息子の十三に接近している)

アリス(轟 恵)
18歳。轟遺伝子研究所から十三のもとへ逃亡してきた少女。『轟恵のアバター』である。意識は恵そのものであり、肉体は恵が自らの遺伝子から培養したクローン。本体である恵はその高い技術力と類まれなる頭脳を買われ、ADMINに13歳の頃から監禁されている。秘密鍵が複製可能な違法な生体ウォレットの開発を強制されており、どうにか阻止すべくクローンをもちいることで研究所外での活動を可能とした。なお、クローン生成も禁忌とされる違法技術である。

轟 恵(くるま けい)
38歳。轟遺伝子研究所の若き天才。他所から見れば驚くほどの高待遇を受けているように思われるが、研究所からの出入りやコンタクトの取れる人間が制限されており、実質的にADMINに監禁されている。アリスを使って外の世界で十三と出会う。
(※実は隼人の息子と知っており、そのため十三のもとへアバターのアリスを送っている。その真意は不明)

あらすじ

失踪した父親の『なんでも屋』を引き継ぎ、リブランドしてスラムで『恥屋』を営む十三のもとへ、あるとき素性不明の少女アリスが転がりこんでくる。根っからスラム暮らしの十三には過酷な環境を生き抜く術として知らぬ間に暗黙的な助け合いの精神が染みついており、即座に訳アリと察するも(というか訳アリと察したからこそ)とりわけ詮索せぬまま一時的に彼女との生活を始める。
およそ1ヶ月が経った頃のこと。父の知人で常連客でもある老人の高月へいつものように生体ウォレットを貸し出すと、これによって十三の置かれる状況が一変する。たちまち巨大企業ADMINから狙われる身となってしまう。
高月老人への不信感を募らせつつ、アリスを巻き込ませまいと単身での逃亡をはかる十三。しかし実は狙われていたのはアリスの方であった。彼女は高月が違法ダウンロードする際のプログラムに細工をし、巨大企業ADMINの機密事項である新型生体ウォレットに関する不正情報を告発目的で持ち出していたのだ。驚愕の事実を知るとともに追い込まれた十三だったが、絶体絶命の窮地を逆に高月老人に救われる。
ひとまず安堵し、高月へと疑念を抱いてしまったことを謝罪する十三であったが、平穏も束の間、今度はその高月老人から拘束されてしまう。実は高月も彼は彼で正しく事態を把握せぬまま行動を起こしていた。高月老人はADMINを壊滅させるべくAROKという武装組織を立ち上げており、実はその巨大企業の不正の証拠を数々収集していた。そのためアリスが狙われているにも関わらず、己こそが狙われたものと勘違いしてしまっていた。
複雑に絡み合う各人の思惑。良くも悪くもそれらすべてとつながる行方不明の男、隼人の影。渦中の十三からすれば父親がADMINに関わっているかもしれないなどとは知る由もなく、そもそも生きているかどうかさえ不明である。ゆえに混乱したまま巻き込まれるカタチでweb3.0世界の争いへとその身を投入していく。ここに十三を中央に据えたADMINとAROKとALICEの三つ巴の戦いが始まる。

恥屋 ~web3.0世界のなんでも屋~

(17,078文字)

『——僕に恥をかかせてください』
 俺にはプライドなんか毛頭ない。とうに捨て去っている。生粋のスラム育ちらしく、目的のためには手段だって選ばない。今日を生きるためなら金持ちの靴を舐めることだって平気でする。
 依頼者の代わりに汚名をかぶる。
 これを意味するキャッチコピーを掲げて店のリブランドを決心した時に、失踪した親父が残した『なんでも屋』を引き継ぐと決めた時に、腹は括ったのだ。あれから8年と少し。33歳を迎えた今となっては逆に己にプライドがあった頃を、その時の感情をこそ、思い出せない。
 それでもしかし、俺にだってある。残っている。生体ウォレットより小さいかもしれないけれど、矜持のひと欠片くらいは。それが、いやそれこそが、俺を『俺』として保つ、実はすべてなのかもしれない。
 アリスの手を離さぬよう引いて駆けながら、こんな状況だというのにふとそんなことを思った。素性も知らぬ、付き合いも短い彼女なれど、己が巻き込んだとあってはヒトとして守らぬわけにはいかない。ここで放り出して独り逃げたとあっては俺はプライドどころか人間であることまで捨ててしまう。
「十三、私、もう……走れ、ない……」
「死にたくなきゃ根性みせろ、アリス!」
 三連大災害後の復旧進まぬ廃街はまさしくコンクリートジャングルと呼ぶに相応しい混沌だった。倒壊したビルにオフィス、コンクリート塀。それらの瓦礫が織り成す山々を片付けるどころか、どこぞのアーティスト気取りが上からプロジェクションマッピングで飾り立てる始末。足場が悪く、視界も悪く、スラム慣れしていないアリスが根を上げるのも無理はない。
「おい、十三! どうかしたのか!?」
「どうした、助けが必要か?」
「十三っ!」「十三っ!!」「十三っ!!!」
 そこここから浴びせられる雑音のボリュームは、これまでに傷を舐めあってきた社会不適合者たちの数に比例する。法の目の届ききらないこのスラムでは『助け合い』こそすべて。コミュニケーションパスの多さがなによりのパワーになる。昭和、平成、令和ときて一転、これではまるで大昔だ。しかし己が困ったときのテイクを前提としたこうした先出しのギブ、いわゆる下品な『おせっかい』はスラムに似合いであった。ありがたくもあるけれど迷惑でもあり、それは時と場合によって色を変える。今は言うまでもなく後者だ。
「十三、どうした! トラブルか!?」
「うるせえ、なんでもねえ! っていうか、大声で名前を呼ぶな!!」
 これでは身を潜めるどころではない。居場所がバレバレである。
「くっそ! あいつら……おい、止まるな、アリス! 走れ!!」
「……もう、本当に、無理」
 メタバース上に安全に再現された同地区とリアルなスラムとの決定的な差は重力だろう。数十メートルごとに種類を変える刺激臭、風に含まれる錆びた砂、住みついた者たちの心に蔓延する諦念。暴力を当たり前とする無秩序はそこから抜け出そうと努力する者にすべからく重たくしがみつく。それこそ他所とここではウォレットのセキュリティどころか自分自身の身の安全に占める『自己責任』の度合いが違う。傍らに死を想起させる緊張は、ただそこにいるだけで慣れない者から体力を奪う。
「あと少しだ! あと少しで―—」
 ようやく人気のない場所へ出られそう、というその時だった。いよいよアリスの足がもつれ、揃って転倒をする。廃墟の中に隠しておいた車まで、あと数百メートル。しかし銃声はもう間近に迫って聞こえる。今さら身を隠そうにも、逃げようにも、もはや2人では限界があった。
「おい、俺が時間を稼ぐ。その間にそいつに乗って逃げろ」
「十三、でも……」
「そもそもお前は関係ねえ」
「いや、それがね、十三……」
「勘違いすんな。足手まといなんだよ。俺だけならこれくらいどうとでもできる。いいから行け! 走れ!! 早く!!!」
 有無を言わさず単身おとりとなって飛び出す。『おとり』と言うのもおかしな話だ。なにせ奴らに狙われているのは高月のクソジジイにハメられた、この俺なのだから。アリスはやむなく観念したのか、一拍の空白の後、背にエンジンのかかる音が聞こえた。俺の左足の太腿が撃ち抜かれたのは、それとほぼ同時だ。三歩目を出来る限り前で踏もうとスライドを大きく取った刹那である。痛みを感じる前に頭から崩れ、俺の身体が砂のうえを斜めに滑っていく。荒れたアスファルトに頬を削られながら視線を巡らせれば、足回りを強化したオフロードカーが散乱する瓦礫を物ともせずに四輪を駆動させ、その後ろ姿を小さくしていくところだった。
「やれやれだ……」
 砂を吐きながらつぶやくなり安堵とともに激痛が襲ってくる。俺はしかし悶える間もなく腹を蹴り上げられ、髪を掴んで引き起こされた。サングラスをかけたスーツ姿の男が3人、いずれも黒ずくめである。眼前の1人に眉間に銃口を突きつけられたのは、その後だ。
「神宮十三、だな?」

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「——十三、またそんなんもん買ってんの? 相変わらずの糞ド変態野郎ね?」
 勝手に転がり込んできた居候の身として、よくもまあ家主の俺にこんな態度を取れるものだ。ともあれしかし、アリスとはそういう女である。経歴や素性は一切不明。名前だって偽名だろう。俺より十以上歳下のティーンエージャーだろうとは察せられるものの、年齢も不詳である。
 けれどこの1ヶ月の同居生活からあきらかになった点もある。センターから片やブルーに、片やオレンジに、と派手に染め分けられた長い髪は今日はそれぞれ耳の上で束ねられていた。下唇の左端とヘソにピアスが空けられ、相も変わらず必要最低限以外は隠す気がないのかと疑いたくなるような布面積の小さなショッキングピンクのタンクトップ。デニムの短パンをあわせるそうした見た目そのままに口が悪く、粗雑で、教養を欠き、言うまでもなく家事全般ができない。デリカシーなど求めるだけ無駄というもの。くしくも俺の、このアダルトグッズや非合法な品々でごった返す仕事場に似合いの存在なのだけれど、しかしここは正真正銘『十三』、俺の店である。
「ところで、十三さ。あたらしいウォレット、どこのメーカーのにするのか決めたの?」
「いや、まだだ。来月までは持つしな。操作性が今と変わらなければ、正直、俺としてはどこのでもいいさ。若い奴らと違ってあれこれしねえからな。必要最低限の機能さえありゃいい」
 生体ウォレット――
 かつての暗号通貨ウォレットが進化したものだ。人が思考時に発する脳内の電気信号で操作できる。令和初期のそれと異なり、NFTや暗号通貨を管理するだけでなく、文字通り生体情報を収集したり、自動翻訳によって会話の補助をしたり、家の鍵や個人情報を保管したりする機能を有する。俺の住むスラムを含んだ一体は、国家崩壊後、超巨大世界企業ADMINに統治されていて、そこで暮らすには4歳以上へのウォレットの常時装着が法的に義務づけられている。
 といって、これはかつてトランスヒューマニズムなどと定義されたような、マイクロチップを脳内に埋め込むような類の代物ではない。それではいくら強制しようと一般普及は難しい。とりわけ健康に問題がないのに己の肉体を改造されることを大半の人間は嫌うのだ。また『手術』という言葉への抵抗も大きかった。しかしこれが錠剤となれば話は別である。慣れの問題もあろうか。人は風邪薬にしろサプリメントにしろ、これまでに多くの錠剤を飲んできている。ゆえに『財布』という呼称ではあるけれど『錠剤』のカタチを取った生体ウォレットへの反発は恐ろしく少なかった。
 あるいは『服用後3年で期限切れとなって機能停止し、自動的に消化される』という部分もポイントだったのだろう。気に入らない機種を選んでしまっても3年待てば入れ替えができる。これは令和初期に存在したというスマートフォンの買い換えサイクルに酷似しているらしく、そうした面でも受け入れられ易かったに違いない。今ではほぼすべての住民が体内にウォレットを保有している。
「なんでもいいって、なにそれ? めちゃくちゃおっさんじゃん?」
「実際におっさんなんだから仕方ねえだろう?」
「それじゃあ私が選んであげよっか? 私、けっこう詳しいし?」
「……そうだな。それもまあ、悪くないかもな?」
「あっ、やった! じゃあいくつか探しておくね。 ……ところでさ、今さらなんだけど、ここ……店の名前が『十三』ってダサすぎない? なに屋か全然わかんないし?」
「いいんだよ。うちは雑多な仕事を扱ってるんだ。なに屋かなんて俺にもわからねえ。まあ、周りからは『恥屋(はじや)』とか呼ばれてるけどな」
「いわゆる『なんでも屋』ってことなんでしょ?」
「なんでも屋じゃあねえんだよ。同じようで、同じじゃない。似てるようで、似ていない」
「なにそれ? わけわかんない。客もヘンテコなのばっかだし。ともかく、せめて横文字でテンスリーとかにしない? 店名? web3.0(ウェブスリー)みたいでいいでしょ?」
「ふざけんな! それだけはお断りだ!!」
「ええっ、なんでよ? いいじゃん、テンスリー? じゃないとさ、「これ、十三に届けといて」とか頼まれたときにややこしいんだよね。十三のとこまで持ってくべきか、お店まで運ぶべきか」
「誰もお前に頼まねえし、どのみちここまで持ってくりゃあ俺がいるんだから同じだろうが?」
「まあ、そうなんだけど。でも、やっぱさ、店名なんてなんでもいいんだけど……でも、やっぱ……十三はダサくない?」
「うるせえ! なんでもいいなら黙ってろ!!」
 web3.0の思想が広がって以来、どうにもアリスのような無自覚に配慮を欠く人間が増えた気がする。母親亡き後、親子二人でやってきたと言うのに突如として失踪した親父に思うところのある俺の、色眼鏡も一部はあろう。しかしどうにもそれだけとは思えない。
 すべてが公になる。オープンになる。嘘がつけなくなる。
 そうした面もたしかにweb3.0にはある。ただしそれはデータのやりとりに関してだけだ。人の思考までは本来は開示されることはない。それなのに変に振り切って、精神的露出狂とでも言うのか、聞いてもいないのに己の趣味や趣向を声高に発信し、思っていることをすべて口に出すような、俺の親父の模倣品みたいな人間が増えている気がしてならない。それを格好良いと勘違いさえして。web3.0の弊害、ここに極まれり。俺からすれば、どうにも間違った解釈と思えてならない。侘び寂び、配慮、そうした体裁を保ってこそ、ヒトではなかろうか。
「……ったく。お前な、見せパン、見せウォレも大概にしとけよ?」
「なんで? 私はパンツもウォレットも隠す気ないんだけど? ダサすぎでしょ? コソコソっていうの? 自分の好きなことすら好きって言えないとか、そういうのって」
 自然とため息が漏れる。ここのところ空を見上げる回数も増えた。四六時中アリスと接しているからだけれど、とりわけ彼女が悪いというわけでもない。アリスを通じて今の社会と接するにつれ、俺がそこに違和感を覚えているのだ。これが老いというものなのか。
 さておき、俺からすれば現代社会は半世紀前に発症した双極性障害のカウンターと思えてならなかった。新型の感染症がもたらした長年の自粛氷河期、経済低迷期を『鬱』の時代とするならば、反発するかのような今は『躁』。常時興奮冷めやらず、眠らない人間が増えている。三連大災害によるPTSDやオンライン上に構築された夜の来ないもう一つの世界の影響もあるのだろう。ともあれ俺には今の世は鬱の時代以上に病的に思えてならない。
「……あのな、必要以上に隠せってことじゃねえ。必要以上に見せんなって言ってんだ。ガキが調子に乗ってイキり倒し、見せる用の自分を無理に作ってる不自然さのほうがよっぽどダサいと思わねえか?」
「ちょっと!? 私はなにも無理なんかしてないわよ!!」
「そうやって余裕なく大声で喚き散らしてよ? お前、それ、誰に向けての言葉だ? 自分だろ? 自分で自分に暗示をかけて「どう? フルオープンな私って素敵でしょ?」ってか? まったくご苦労なこったぜ?」
「―—そうイジメてやるなよ、十三?」
 いつもながら心臓に悪い。気配を感じさせず、そこへひょっこり割って入ってきたのは常連客の小柄な老人である。高月涼。齢80歳を超え、総白髪でありながら足腰はしっかりしている。身も引き締まっていて健康そのもの。背が曲がっていないからか、なにやらしゃんとしているように見える。とはいえ、その素性はアリス同様に不明だ。分かっているのは親父のかつての友人だということ。
「やれやれ。たしかに、らしくなかったよ。自慢の店名をけなされたからか、俺としたことが大人気なく苛立っちまった。止めてくれてありがとな、ジイさん」
「お前が苛立ってるのはweb3.0という言葉を聞いたからだろう? あるいは今の世に対してか、はたまた親父へか? どちらにせよ若い娘へ八つ当たりするのはやめておけ」
 まるで己の店とばかり躊躇なく踏み入れてくる老人は、物で溢れる店内にあって、どこになにが置いてあるのかをいっそ店主の俺より把握している。ひょいひょいと隙間を縫っては足場を確保し、どこからともなく椅子を引っ張り出してきて勝手に腰を落ち着ける。実際、高月のジイさんは俺よりこの店の年季が長い。先代の俺の親父、隼人が店主をしていた『なんでも屋』の頃からの馴染みなのだ。
「涼ちゃん、今日も来たの? ちょっと頻度多すぎじゃない?」
「アリスちゃんの顔が見たくてね。それに僕くらいジジイになると、とにかく暇なんだよ。なにかしらしていないとね」
「ふうん。あのさ、前から思ってたんだけど、おじいちゃんが自分のことを僕って呼ぶの可愛いね?」
「そうかい? それは良かったな、僕」
 一拍の間を置いて2人の笑い声が店内に響く。初対面でもあるまいし、アイスブレイクはここまでで良いだろう。俺は頃合いを見て大袈裟に肩を竦めてみせる。
「っで、今日は一体なんの用だい? 必要ならアリスは裏に下がらせるが?」
「ええっ! そんなのつまんないじゃん!!」
「……お前な、アリス。仕事の邪魔はしない約束だろう? ここは職場で、俺はお前みたいに遊んでるわけじゃねえんだぞ?」
 目前の客が高月のジイさんだからこそ、この程度の対応で済ませられている。しかしもちろん普段はそうはいかない。客の来店を察した時点でアリスは強制的に奥へしまい込んでいる。それもそうだろう、ここは己の恥を持ち込む場所なのだから。『恥屋』とは『俺が代わりに恥をかく店屋』であって、決して『客に恥をかかせる店屋』ではない。初見の客がアリスと鉢合わせようものなら、後者と捉えられ、二度とうちに足を運んでくれなくなろう。
 恥——
 趣味趣向や性癖、秘密。己が望んで保有したか望まずかは別にして、元来、人には他者に隠しておきたい面が一つはある。あるいは立場がそれを増幅させ、隠さざるを得なくなる場合もある。ここはそうした人間の安息の地を謳っている。
「別にいいよ、僕は。アリスちゃんがここにいてくれても。というか、その方が嬉しいかな。どのみち内容は十三すら分からないんだしね」
「ジイさんはスキル持ちだからな。まあ、俺は楽で助かるけどよ」
「楽……ねえ? まったく隼人といい、お前といい、肝が据わっているというか、なんというか……自分のウォレットを他人に使われることに不安は感じないのか? 悪用されてトラブルに巻き込まれるかもしれないだろう?」
「そんときゃ逃げるだけだ。俺は身一つだしな。それに木を隠すなら森の中ってな? 俺には8年分の山ほどの怪しい履歴があるんだぜ? ちょっと調べれば、こういう仕事をしてるってことはすぐに察せられる。となれば違法データにしろなんにしろダウンロードしたのが俺ってだけ。履歴は残っても手元にブツが残っていないことは奴らだってすぐにわかる。そしたら警察だろうが荒っぽい連中だろうが、無駄にいつまでも追いかけてはこないさ。あいつらも忙しいだろうからな」
 なんとも物騒な話になったけれど、それは極稀にあるかないかの最悪なケースのことだ。俺は表向きは合法を謳って商売しているし、実際に依頼のほとんどは合法だった。たとえば特殊な性癖の、SMやらなんやらと尖った趣向を好む男がいたとして、それに関する動画や道具や諸々を購入したいと考えていたとする。購入自体は未成年でもなければ合法だ。しかしだからといって、それを購入した履歴が残って欲しくない者もいて、そうした場合に俺が代わりに入手してやるわけだ。
 生体ウォレットは今や身分証明証であり、SNSのアカウントでもあった。NFTがアートだけでなく会員証機能を持つようになると、ウォレットは徐々にその用途と重要性を拡大し、錠剤型となった今なお進化を続けている。けれど初期から一貫して搭載されている最大の技術はスマートコントラクトである。当初は一部のギークしか理解することのなかったこの概念を、今では子どもからお年寄りまで細かいことを知ることなく当然のものとして受け入れている。これにより個人間での金銭授受や物品授受の約束が、かつての大手フリマアプリや銀行といった信用のおける第三者の仲介なく、安心安全に行える世となった。言わずもがな中間業者や代行業者はそのほとんどが死滅し、代わりにそうしたやりとりの証跡はすべて公にされ、嘘のつけないウォレットへ刻まれることとなった。ちょっとした買い物にしろなんにしろ、こと契約に関しては「言った/言わない」が通用しなくなったのだ。なにせ証人は地球上のすべてのウォレット保持者なのだから。
 もちろん各人の生体ウォレットを示すIDと本人をつなげる鎖(チェーン)は、本人自身が明かさない限り他者からは知り得ない。けれど「やましいことがなければ公開できるはず」という同調圧力は世界的にみても強く、さらにはレストランやホテル、ゴルフ場やカフェの会員権は使用する際に現地に赴くのが前提であるし、デジタル化されたマイナンバーや運転免許証を提示する場面でも肉体と同期をとってウォレットを開示しなければならず、それは暗黙的に人と財布を紐付けることを意味する。ゆえに今では個人を証明するためのウォレットや買い物用のそれ、SNSでやりとりするためのそれなど、用途に応じて1人で複数ウォレットを持つのが当たり前の時代だ。そして己のキラキラした部分だけを公開する用に設けるウォレットこそ、通称『見せウォレ』である。
「ブロックチェーンによりプライバシーは保護される。中央集権的なプラットフォームに個人情報を預ける必要がなくなり、すべての己に関する情報の主権を自己に取り戻すことができる」
 半世紀も前の令和初期の頃、これを声高に叫んだ無責任な輩たちがいた。クリプト界隈と呼称されるコミュニティに属したギークらだ。大半は会ったこともないけれど、残されたテキスト記録を眺めるだけで分かる。俺は奴らが大嫌いだ。Dandelionだとか、Mimblewimbleだとか、シュノア署名だったか、そんなものがどうこうと能書きばかり。まったくなんてことはない。奴らの思い描いた未来など毛ほども訪れていない。それも奴らの思いあがりのせいで。社会不適合者である、奴らの。
「ねえ? 難しいことはよくわかんないんだけど、とにかく私もここにいて大丈夫ってことよね?」
「ああ、僕は構わないよ」
「やった。ありがと、涼ちゃん! じゃあ、奥についていって作業するのを見ててもいい?」
「おい、アリス!? お前、あんまり調子に――」
「十三、いいよ。僕ならそれも構わない。ちょいと離れていてくれるか、画面が見えない位置からならね。見ていてなにが楽しいのか分からないけど」
「なにって、うーん、なんだろう? 特にはないかな? ただ暇ってだけ。十三と話してばっかの生活もさすがにそろそろ飽きてきたしさ」
「飽きたんならさっさと出て行ってくれないか、アリス?」
「まあそう言ってやるな、十三。アリスちゃんにもなにかしら理由があるのだろうからな。それより、ほら、こいつだ。今日はこれを動かしたい」
 高月のジイさんが言いながら小型の情報記録媒体、今や骨董品と同義のUSBメモリを物理的に投げて寄越す。俺はキャッチするなりすぐさま手元のハンディデバイスにつなぎ、いくつか操作をして投げ返す。
「鍵は開けといたぜ。それじゃあ奥の部屋を使ってくれ」
「おいおい、十三。お前、少しくらい中身を―—」
「はいはーい。それじゃあ行こうよ、涼ちゃん」
 呆れる高月のジイさんの脇まで身軽な動きで飛び、アリスが腕を取っては組んで作業部屋へと引いていく。まったくこの場面だけを見れば風営法違反・無許可営業で告発されても俺には無実を証明できる自信がない。
「おっと、アリスちゃん。ちょっとだけ待ってくれ。十三、対価なんだが―—」
「そいつは好きなときに好きなものを持ってきてくれりゃあいい。あんたとは古い付き合いだしな。なんならアリスを持っていってくれる、ってのもありだぞ?」
「ああ、十三っ!? また、そういうこと言う! 涼ちゃん、あいつ、ちょっと酷くない? お金をもらう代わりに逆に渡すって、なんなのそれ!?」
「やれやれ。賑やかなことだな、ここは。隼人がいた頃もそうだったが……。まあいい。それじゃあ作業させてもらうよ」
 作業とはもちろんダウンロードのことである。あるいは必要なアイテムの発注か。どちらにせよ俺の体外ウォレットの1つを使い、手続きを済ませるわけだ。物理的なアイテムであれば分かりやすいのだけれど、高月のジイさんは前者を必要とする客だった。この場合、デジタルデータのままでやりとりはできない。持ち運び可能な情報記録媒体、一度は化石とまで言われたブルーレイディスクへと保存する必要がある。具現化して俺が欲する対価と『物々交換』するのだ。そうすることで客は己が必要なものを匿名で入手できる。面倒ではあるけれど、データでやりとりしてしまっては証跡が残ってしまう。俺のような履歴を持つウォレットは代理購入を生業にしていることが容易に推測できてしまい、すなわちそことの繋がりは己がなにかを代わりに入手してもらったことを示すに等しい。ゆえにweb3.0だのと言われる今でもまだ、というか今だからこそ、盛んに、物理的な物品の交換による商売が行われている。特にスラムでは。
「……ああ、それで、だ。十三、お前……本当にプログラムの確認をしないのか?」
「ジイさんがコーディングしたものだろう? それなら必要ない」
「お前……わかってるのか? ウイルスが仕込まれてるかもしれないし、悪意がなくてもバグが混入することだってーー」
「そんな心配してくれる人に悪意なんて感じるわけねえだろう? バグだってないさ。俺はジイさんのスキルは信用してる」
 スキルとはプログラミングの、である。恥屋の商売として、俺のウォレットを使うためにはプログラムの事前提示を必須としていた。さすがの俺も見せウォレとはいえ、一部は己の個人情報すら保管してあるウォレットを自由気ままに他人に使わせることはできない。
 ・データを入手してブルーレイへ記録する。
 ・届け先をうちの店舗宛として商品を注文する。
 あらかじめ決められたそれらのアクションだけを正確に実行する。それがプログラムだ。ゆえにコードの『どのサイトの、どの情報を』あるいは『どのお店の、どの商品を』の部分だけをマスクして事前確認することで不正や悪用を防ぐことができる。内容に問題がなければウォレットを操作するための俺の秘密鍵を組み込んであげて完成だ。あとは作業といってもプログラムを実行し、自動的に処理が行われるのを待つだけ。その場で依頼者や俺が手を動かしてなにかをすることはない。むしろしてはいけない。プログラムにはバグはあってもミスはないからだ。プログラムは俺と依頼者が合意した契約(コード)を忠実に実行する。もしも不具合が起こっても、それがどちらに不利なものであれ、それは互いに互いの責任なのである。
「やれやれ、まったく。達観しているというのか、お前は本当に変わってるな?」
「おいおい、変わり者の代表格みてえな高月のジイさんにだけは言われたくねえよ」
「涼ちゃん、いいから早くやろうよ!」
「わかったよ、アリスちゃん。そう引っ張らないでくれ」
 店の奥へと連れ立って消えていく二人を横目に、これは本当にいつか摘発されかねないな、と俺は誰にともなく肩を竦めてみせた。窓から見える空は今日も重たい雲に覆われていて、せめてもの気晴らしにと太陽を覗くこともできない。
「……本当になに屋なんだよ、ここは?」

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「神宮十三、だな?」
「違うって言ったら見逃してくれるのかい?」
「このまま頭を吹き飛ばされたくなかったら、あまりナメた態度は取るなよ?」
 左腿から血とともに力が抜けていく。痛みは早くもぼやけて曖昧になり、それが逆に己の窮地を伝えてくる。なにより危ういのは向き合う相手が先ほどの挑発に対し、即座に追加暴行を加えてくるような輩でないこと。最初の腹への一撃も然り。的確にみぞおちへと爪先を叩き込まれている。しゃがみこんで銃口を突きつけてくる対面の男に、後ろに控える2人の男。いずれも隙がない。
「……あんたら、スラムや裏家業の人間じゃねえな? 軍人……か? いや、それも違う。なんなんだ?」
 これでも商売を通じて人を見る観察眼は養ってきている。物々しい雰囲気を醸す眼前の輩は、3人ともに体格がよく、サングラスで視線を隠していた。鍛え上げられたうえに秩序を保った動きは一見して軍人を思わせたけれど、しかしどうにも特有の堅苦しさが見てとれない。
「……まさか、企業戦士か? ADMINの?」
 問うなり眉間の銃口がより強く押しつけられた。当たりらしい。元軍人が高い給金で民間企業に拾われ、ボディガードや汚れ仕事を担っているのだろう。よくよく見れば身なりもそれなりに整っている。纏っているのはどうにも俺が簡単に買えるような安物のスーツではなさそうだ。
「神宮十三、お前は黙って聞かれたことにだけ答えろ」
「俺に……わかることならな」
「どこへ逃した?」
 瞬間、思考が駆け巡る。どうやら俺が恥屋という仲介業者であることはとうに把握済みらしい。やはり俺でなく俺のウォレットを使った客の方を探している。重ねて昨日の今日でこの襲撃だ。他に心当たりはなく、直近の客があのジイさんしかいないとなれば原因は容易に推測できよう。こいつらが探しているのは、あの掴みどころのない老人、親父の知人である『高月涼』だ。
「……誰を、だい? しっかし、そいつ、一体……なにをしたんだ? あんたらみたいなのが出張ってくるなんて、あんたんとこの飼い主にとってよほど都合の悪いデータでも持ってい……ぐぁっ!?」
 たちまち左足の感覚が呼び覚まされる。撃ち抜かれた傷痕を踏みつけられていた。駆け引きが難しい。アリスくらいの内面露出狂が相手ならどうとでもなるのだけれど、サングラスもあってか向き合う男はまるで感情が読めない。さすがは企業戦士というところか。体温の感じられない、さながらロボットである。
「女をどこに逃した?」
「……なんだと? 女?」
「お前が一緒に逃げていた女だ」
 束の間、混乱した。まったく予想外の事態である。たしかにアリスは俺のところにいた。しかし昨日の件ならば依頼主は紛うことなき高月のジイさんだ。それがまさか彼女が主犯だと誤認識されようとは。
「そいつは勘違いだな。ここんところの俺の客に女はいない。いるのは……ごぉっ!?」
「既に調べはついている」
「……嘘なんかじゃ……ぐぁっ!」
「黙って女の行き先を答えろ」
 最悪を想定し、己の意思で口を割れない状況をつくっておいて正解だった。俺は己の弱さも十分に理解している。なればこそ、である。どれだけ痛めつけられようと本当に知らないものは答えられない。俺はアリスに車を渡しはしたが逃げる先のアドバイスも返却場所の約束も交わしていない。
「……知らねえって。それに……あいつは……なにも持ってねえよ。持ってるとしたら別のやつだ」
 対面の企業戦士が、一拍、空を見上げるようにした。それから振り上げた銃口を再び眉間へ突きつけてきた。半ば叩きつけるようにして。
「最後だ。識別コード『ALICE』、あの女はどこへいった?」
「……アリス? 識別コード、だと? なんだ? お前ら、なにを……言ってる?」
 ガチャリと引き金のひかれる音が鳴る。状況がまるで理解できない。しかしスラムでの嫌というほど経験から絶体絶命の窮地であることだけはわかる。こうなればもはやダメ元で暴れるしかあるまい。どうにかなる可能性は限りなく低そうだけれど。
「あの子は轟遺伝子研究所から逃げ出した、私の被験体(ペット)なの」
 不意に女の声が飛んできた。後ろに立つ2人の男の、さらに後ろから。いつの間にかこのスラムに不似合いな黒塗りの高級車が止まっている。ボディ側面に銀色に浮かぶNFTロゴが、その車が紛うことなきADMINの社用車であることを顕示している。声の主はそれの後部座席からゆるりと降りてくるところだった。
「ちょっとおいたが過ぎて、追いかけてるところなのよ。協力してもらえないかしら? お金なら払うわよ?」
 まさしく大人の、という女である。リムレスフレームの眼鏡がノーブルで知的な雰囲気を醸し、しかし肉厚な唇がそれを相殺してあまりある色気を放っている。どう見てもこの企業戦士たちの飼い主の側の人間である。
「……アリス……がペット? おまえたち、なにを言って――」
 耳をつんざくような音撃に襲われたのは、その時だった。今日は一体なんなのか。厄日にもほどがある。消音瓶の中に圧縮して蓄えられていた炸裂音が瓶が砕けるとともに爆散したのだ。
 轟音、そして続く無音——
 鼓膜が破れたのか否かは不明だ。しかし破れていなくても、これではしばらく音は聞こえまい。三半規管もやられているから、まともに立てそうにもない。眼前の企業戦士たちが蹲っているところを見るにスラムの誰かが俺に加勢してくれたのだろうか。それにしてはやり方が雑過ぎる。それがスラムの流儀と言えばそうなのだけれど、なにか違和感を覚える。
「うぉっ! なんだ!?」
 刹那、身体が浮いた。景色が急速に流れだす。引っ張りあげられたのだと気づくのに数瞬かかった。耳が死んでいるため接近に気づかなかったのだ。大型のバイク。俺はその背に引き上げられていた。こちらも企業戦士に負けず劣らずの黒づくめ。黒のライダースーツに黒のヘルメットをかぶった細身の男は、自動運転で走行するバイクの運転席に、俺の側を、すなわち後ろの側を向いて跨っていた。俺の頭に無理矢理ヘルメットをかぶらせるや、さらに二本の消音瓶を放り投げてみせる。
「神宮十三だな。高月代表がお呼びだ。このままAROKの本部まで着いてきてもらうぞ?」
 ヘルメットから鼓膜でなく骨伝導を使って届けられるメッセージ。無音の世界にあって、それはことさら輪郭を明確にしていた。太く、低い声だ。それこそ軍人のような。
「……高月のジイさんが、代表? 一体どうなってんだ?」
「我々としてはここでお前にADMINに捕まってもらっては困るんだよ」
 男はそこで身軽に半転し、身体の向きを正した。パルクールでもやり込んでいるのか、とても並の人間の動きでなかった。先の企業戦士らが重装歩兵として軍に従事していたならば、眼前のこの男は諜報部隊にでも属していた類であろう。線の細さがまるで違う。しかしどちらも芯の硬さは同じ。極限まで鍛え込まれているのがわかる。
「お前たち……AROK……だったか? それが……困る? 俺が捕まると?」
「詳しくは代表から聞け」
「……あのジイさんに、なんらかの組織の代表がつとまる甲斐性があったとは驚きだ」
「神宮十三、言葉に気をつけろよ。いくらお前が代表と旧知であろうと俺にはここでお前を突き落とすことだってできる」
「そいつは勘弁だ。しかしあれにそんな人望まであったとは……ったく、あのタヌキめ。俺の前ではいつも猫かぶってやがったな? なにかあるとは思っていたが、ったく」
「もう一度言うぞ、神宮十三」
「わかったよ。悪かった。別にあんたのとこの代表をディスってるわけじゃねえ。こうして助けてもらってるわけだしな。それより目的地は遠いのか?」
「なんだ? 小便でもしたいのか?」
「それだと良かったんだが……撃たれた左足がな。あまり遠いと、あんたに突き飛ばされる前に……気を失って勝手に落ちちまいそうでな」
「……やむをえまい。少し走ったら応急処置する。もう少し我慢しろ」
 振り向けばスーツ姿の3人とアリスを探していた女はすっかり見えなくなっていた。俺は飛びそうになる意識をどうにか捕まえながら、ひとまず首の皮一枚で命が繋がったことに安堵する。同時に無音の中で思考を巡らせる。整理する。ともかく心配なのはアリスである。ついさっきまで高月のジイさんが違法ダウンロードで下手でも打ったか、あるいは敢えて俺をハメたのかと疑っていたけれど、どうにもあの女のセリフを聞くにそうでなさそうだったのだ。あれは最初からアリスを狙ってきていた。間違いなく。
「……ったく。なにをやらかしたんだ、あのオテンバは?」
 一介の恥屋には、このとき既に各人の思い描くweb3.0を巡っての『とてつもない陰謀』に巻き込まれていることを、そこに失踪した己の父まで関わっていることを、知る由もなかった。

予告CM(とあるシーンのいくつかの抜粋)

「責任を感じている……だと? 今さら?」
「言いたいことはよく分かるし、申し訳ないとも思っている。特に『谷間の世代』のお前らにはな。若き日の己が身を恥じるばかりだ。当時の人間として、またそのムーブメントの一旦を担ってしまった当事者の一人として。どれほど傲慢で世の中が見えておらず、そして愚かであったのか……」
 そう。令和初期にイノベーターやアーリーアダプターを気取ったクリプト界隈の人間は、根暗の陰キャ、総じて社会不適合者ばかりだった。NFTやブロックチェーンの知識云々でしかアイデンティティを示せない哀れな人間たち。おそらくは人生ではじめて手にしたのであろう慣れない武器に、彼らは哀れにも翻弄された。信じられないくらい下品で無様な自己主張をくり返した。やれ己が最先端の感覚をもつ人間だと勘違いしてイキり、やれ同界隈以外の他者を、特にクリプト界隈のトレンドを肯定しない者を、『未来についてこられない古き者』と貶めた。否定意見に耳を傾けず『理解しようとする気がない者にはわからない』などと傲慢に断じて切り捨てた。粘り強く丁寧に伝えようという謙虚な姿勢をみせなかった。それこそが、本来、世を変えるために必要なことだと言うのに。
「あんたらはけっきょく承認欲求を満たしたかっただけだろ? 自覚していたか無自覚かはさておきな。いじめられっ子がちょっと良い気分になってみただけ。僕たちだって少しくらいは、ってか? やれドレスコードに、やれ永続性に? まったく幼稚で呆れるよ。あんたにも、親父にも」
「……耳が痛いな。返す言葉がない」
「ところでひとつ聞きたかったんだが、当時のジイさんのお仲間さんたちはどっちだったんだ?」
「どっち、とは?」
「承認欲求の暴走はさておき、だ。本当は世の中を変える気などなく、ただのポジショントークだったのか? それともあのやり方で本気で世を変えられると真剣に思っていたのか?」
「どっち……だろうな? 少なくとも僕は後者だったがね。いや、少し違う。世の中を変えるというか、世の中が変わる。勝手に。自然と。そう思っていたんだ。それだけの技術なのだ、と」
「その結果、木っ端微塵に砕け散ったわけだ?」
 あれだけイキり倒していた記録をデジタルタトゥーに残している当時のインフルエンサーたちは今や見る影もない。年齢的には既に高月のジイさんよろしく老人となっているであろう彼らは、後に『谷間の世代』と呼ばれる不遇の者たちを輩出する原因を作っただけで、実際に世を変えることはできなかった。
 そもそも、社会を、人間を、分かっていなかったのだ。彼らはいわゆる童貞がセックスを語るような浅はかさ、AVよろしく幻想としての未来を夢見ていただけ。少子高齢化の進む世にあって、古きを切り捨てて成り立つものなどあろうわけがない。さらに極少数の人間にしか理解できないものなど、世のスタンダードになろうはずがない。それをわかっていなかった。
 たとえばそう、アカウントのパスワード管理ひとつを取っても彼らと社会の感覚は違った。『紛失したら自己責任で、どうあっても復旧できない』という世になるくらいなら中央集権的に第三者に管理をしてもらいたいと考える人間のほうが圧倒的多数であり、彼らのように自己の個人情報の権利を自らの手に取り戻す云々の価値が勝る、といった感覚はどう考えても少数派なのだ。
 けれどそうした現実を彼らは直視できていなかった。己の価値観と社会とが乖離し、自分が誰にも見向きされない存在なのだと理解していなかった。嫌われものの爪弾きものであり、そうした彼らが宣伝のつもりで発信しても、すなわち社会不適合者らが推すこと自体が、絶対的なマイナスの効果になると分かっていなかった。それがたとえどれだけ良いものであろうとも逆に敬遠されてしまう、という当たり前の力学が見えていなかった。
 このあたりはまさしくweb2.0の弊害といえよう。SNSによって似たような思想の人間が集まりやすくなったことで、己らを多数派もしくは多数とまで言わずともそれなりに多くの意見であると勘違いしてしまったのだ。
 ともあれ、あれこれあって今も中央集権的な管理機構は社会システムのあちこちに残っている。そのうえでの中途半端なブロックチェーンの浸透はすべての人間から無駄に衣類を剥ぎ取っただけに等しい。中央に管理・制限されたうえでプライバシーを誰にも保護してもらえない暗黒時代。全裸の刻、それが今のweb3.0だ。
「だがしかし、だからこそ、僕らはこのまま終わるわけにはいかないんだ。そのために――」

「でも、十三……恥屋とは代わりに恥をかく店屋であって、決して客に恥をかかせる店屋ではないって――」
「時と場合に寄りけりだ。俺は恥屋だ。こいつに恥をかかせる店屋の、な!」
「あくまで敵に回る、というのだな? 十三?」

最後に

以前に過去作品の共有方法についての悩みを吐露しましたが、『ブロックチェーン作家』らしく僕は『Mirror』へ集約していくことに決めました。『lit.link』と併用しますが、ブロックチェーン関連の作品は、順次、Mirrorへ移していこうと思います。(本作品につきましても残念ながら落選してしまった場合には折をみてMirrorへ引っ越しをさせ、稚作の管理は一か所へ集約させていただきます)はてさて、どうなることやら? ともあれ、ひとまず応募完了いたしました。それでは今後ともよろしくお願いいたします!

NOBUYUKI

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