音MADと○○

noteで記事を書き始めて数日。
ストックしていた5つのテーマも早々に消化しました。
まだまだ語りたいことが沢山あります。

<改めて>

自己紹介にも書きましたが、私は基本自分語りをしたいからnoteを始めました。
なので【音MADと○○】なんて大層な(大層なの?)タイトルを掲げたりしていますが、そのテーマの有用な情報を提供している訳でもなく、そのテーマについて熱弁を振るうわけでもなく(振るっている時もあります)、本当に「私」とそのテーマに関連する小さなことだったり、昔話だったりが多いです。

ですので日記的な読み物として流し読んで頂ければ幸いです。

もし、○○につられて記事を開いてしまった方がいたとして、その方にも楽しめるような文章が書けたらいいのですが、ただの1音MAD作者の私にそんな芸当出来ることもなく。
駄文・散文のチラ裏に過ぎませんが、14年のSNS封印から解き放たれた文章発散欲のパワーをとくとご覧いただければ、音MAD好きな方の暇つぶしには少しだけ貢献できるかもしれません。

<私の文章>

「〜と思う」「〜かもしれない」「個人的には〜」などの表現を非常に多様していると思います。

これはもう私の性格に依るものなのでしょうがないのです。
断定を避け、責任を逃れ、自分を守る。そんな印象を受けられてもしょうがない書き癖。

ですが、「音MADの自由さ」という大前提があり色んな考えの人がいる中で、私の考えもその一つに過ぎない事を踏まえると、やはり断定しない言い方が多くなってしまうのです。

<括弧>

(括弧書きも多い。読みにくい。)

<noteの機能>

とりあえず見出し付ける時とかの文章の区切りの挙動は理解しました。
一昨日くらいまで運ゲーかと思ってました。

<しょうなりだいなり>

小見出しを<>で囲う意味は今となっては不明です。
文字おっきくなってくれるから別に付けなくてもいいのに、流れで付けてます。
スマホでは毎回「しょうなり」と「だいなり」を打ち込んで変換してます。
変換学習機能はオフにしてます。

<終わり>

文章ばっか書いてないで作れ!見れ!
自分の最新作のマッドラット×ビブリボンはいっぱい見て(聴いて)ます。

終わりです。