さようなら、私のヴァンテアン。
初めてヴァンテアンに出会ったのは、2013年の夏のことでした。あの時はインターコンチでの親戚の結婚式に訪れており、当時はここまで長い付き合いになるとは思いませんでした。
今回はヴァンテアンと過ごした最後の一日を振り返ります。
GoTo?ダイナミックパッケージ?そんなものは甘え
今回北九州行きの旅程が最終的に確定したのは、出発の前々日でした。最近はGoToやダイナミックパッケージが色々と充実しているので、もちろんそれらの活用も考えました。しかし、それらを踏まえても最も安かったのはバスでした。GoToでも安くて16200円というところ、13600円という運賃で東九間の往復が可能ということで、限られた予算と現地での出費も考慮してこのような決断に至りました。
第一戦 WILLER EXPRESS W101便
大崎駅西口バスターミナル→WILLERバスターミナル大阪梅田
WILLER EXPRESS本体による東阪昼行便です。今回のクラスはリラックスシート、車内Wi-Fiとアプリを用いて映画などが見られるというのを押し出しているようで、ヘッドレストを覆うようなカバーと隣席を隔てる間仕切りが特徴的なシートです。(今のiPhoneでは充電しながら音が聞けないのと、長距離バスは音楽とともに景色を楽しむ派なので結局映画は見ませんでしたが。)
この便は新木場ベース始発で、大崎は最後の経由地です。出発時点で隣席に誰も来なかったので、最も戦いやすく良い肩慣らしになりました。休憩地は足柄、岡崎、草津の3箇所。清水ベースでの乗務員交代をはさみます。現在全国で高速道路リニューアルプロジェクトが展開されており、今回のルートだと東名リフレッシュ工事(東京IC~大井松田IC)と阪神高速環状線リニューアル工事2020南行(梅田~夕陽丘)の影響を受け、多少渋滞にも遭遇しましたが、大阪梅田にはほぼ定時で到着しました。
乗車距離:約500km
乗車時間:約8時間
運賃:3300円
大阪は乗り継ぎではありますが、約6時間もあるので時間をつぶすために高津区民としては行っておきたかった万博記念公園に立ち寄りました。目当ては岡本太郎制作の『太陽の塔』です。岡本太郎の生まれは今の高津区二子にあたります。時代を超えた私のご近所さんということもあり、私自身岡本太郎の作品を身近に触れながら育ちました。そんな岡本太郎の代表作ですから、この機会に外からながら鑑賞をしたかったわけです。
人類の進歩と調和をテーマとしていた大阪万博ですが、太郎自身はこのテーマに対しては懐疑的で、そもそも作品制作のオファー自体最初は断っていましたが、度々責任者が説得に来るので重い腰を上げたといいます。機械に囚われ馴れ合う人類に進歩も調和もないと考える太郎が万博に対し叩きつけたものこそ、太陽の塔というわけです。このあたりの話は生田緑地にある川崎市岡本太郎美術館にて、本人の声で聞くことができますので、是非川崎へおいでください。
本に載せるでもない話に熱が入ってしまいましたが、いよいよ第二戦へ挑みます。
第二戦 オリオンバス(OTB運行) 241便
大阪駅桜橋口大阪バスのりば→小倉駅新幹線口バスターミナル
いよいよ深夜バス、九州へ上陸します。今回のクラスはリラックスプラスシート。大きめのシートでレッグレストも付いており、ツアー系4列の座席としてはハイグレードなものです。オリオンバスではあらかじめ座席がフルリクライニングされた状態で客扱いをするほか、ウィラーにあった間仕切りの代わりにカーテンが設置されていました。今回はなんばでほぼ満席、窓際だったため3回あったうち休憩に降りられたのは1度だけでした。
東京大阪が大体500kmですが、大阪小倉も似たようなものです。カーテンが閉められデバイスの使用も制限される深夜バスなので、暇つぶしの手段が限られてぼちぼち手強くなってきます。休憩箇所は三木、八幡、美東。今回降りたのは美東SAでした。ある程度の睡眠を取りつつ、小倉には早着気味で到着しました。思い返すと今回のルート、国道1号2号の区間を丸々走破していることになりますね。
乗車距離:約500km
乗車時間:約9時間
運賃:3300円
ヴァンテアンとの最後の一日
まだ夜も明けきらぬ秋の北九州、いつものことですが行程をガチガチに立てる派ではないので「これはまずどこに行くのが正解なんだ?」と恐る恐る戸畑までのきっぷを買い、4年ぶりにJR九州線を利用しました。九州の車両のセンスは(一部実用を欠く座席を除き)本当にいい意味で独特なものだと再確認させられます。
天気予報では曇のち雷雨、最初から天気に期待はしていませんでしたが、若戸大橋を眺めていると空が藍一色に染まっていくのを見るに、すっかり裏切られました。
V字型になっている戸畑地区、戸畑3号岸壁には、確かにヴァンテアン号が佇んでいました。朝陽でほのかに茜色が差さりはじめた頃です。この時のヴァンテアン号は、今まで見た中でも最高と称して差し支えがないほどに美しく映りました。
ヴァンテアン号は出港手続きの遅れにより、当初予定していた北九州港葛葉地区への入港を取りやめ、戸畑地区入港として希望が出し直されました。11月6日14時に東京竹芝を出港、足摺岬回りで3日をかけて関門海峡に到達し、11月10日9時55分に戸畑地区3号岸壁へ入港。この日は国内最後の地となる安瀬8-5号岸壁へのシフトが行われる予定となっていました。
ヴァンテアンの故郷
出港は15時のため、太陽が昇りきった頃合いで一度戸畑を離れ、山陽本線で関門海峡を越えます。東の黒磯西の門司と誰かが言いましたが、門司を境に電化方式が交流から直流になるため、デッドセクションが設けられています。交直切換の際の停電も近年ではあまり見られなくなりつつあります。
下関での朝食、ふく天そば。ふぐ天ではないのは河豚と福をかけた験担ぎのようです。さて、平成元年に建造されたヴァンテアン号ですが、その故郷こそここ下関は三菱重工業下関造船所。彦島と呼ばれる本州の最果てにある島に位置しています。関彦橋架橋以前、艤装員は渡船を用いて通勤していたといいます。この下船(しもせん)には下関造船所史料館という施設があり、せっかくなので見学してきました。(これから見学したい方向け:開館時間は下関造船所開所日の9時~16時、基本的にカレンダー通りの平日のみです。造船所内外に史料館の案内は皆無なので、江の浦バス停近くの正門を入り、守衛室にて見学したい旨を伝えると見学することができます。)
ヴァンテアンの生まれ故郷に来たということを実感するために入ってみたわけですが、なんとヴァンテアン号のモデルが展示されていました。下船にとっては初のレストランシップにして、船舶初のグッドデザイン賞を受賞した功績が讃えられています。当時の下船は太平洋フェリーのきそに挙げられるような高級志向フェリーの建造を手掛けており、このヴァンテアン号という経験から培われた内装技術は、平成の客船に大きな影響を与えました。船内や社内にあったモデルもそうですが、いずれも就航当時の姿をプロトタイプとしていることがAデッキの様子を見るとわかります。
史料館に展示されていたモデルは、この他にKDDオーシャンリンクのような特殊船、太平洋フェリーいしかりのようなフェリーなど複数点。資料映像、VR体験(客船内見学)などなかなか興味深いものも多くみられました。
関門突破
昼過ぎになり、大事を取って早めに戸畑に戻るべく関門トンネルへ向かいました。本州と九州を隔てる関門海峡ですが、関門橋は関門自動車道の施設のため自動車専用。その代わり、関門国道トンネルを通じて関門間を行き来することができるようになっています。関門国道トンネルは、車道と歩道の二層式になっていて、歩行者や2輪車は下側の歩道を利用できます。箱の大きいエレベーターで海面下58mまで下り、長さ780mのトンネルを歩いて九州へ。半分ほど進んだところには、本州と九州の境界を示す表示がされています。ほのかに薄暗く出口を見通せないこの雰囲気は、東成田~成田空港第2ビルの連絡通路のような様相。半月型のスタンプが下関側と門司側に設置されており、両端でスタンプを押すことで関門横断の記念にすることができます。
ヴァンテアン、最後の地へ
さて、40分ほど余裕をもって再び戸畑3号岸壁まで戻ってきました。離岸作業が進められているようで、予定通り安瀬に向けてシフトが行われるようです。
15時を前に姿を見せたのはタグボート竜山丸。一日に何度も離着岸を行うことが想定されていたヴァンテアン号には、タグボートのアシストが無くとも済むようバウスラスターが備えられています。しかしV字型の狭い岸壁とあって安全面を考慮してか、今回は大変貴重なタグボートがついたヴァンテアン号を見ることができました。竹芝からの到着時もタグボートによるアシストがあったようです。タグボートのホーサーは後方左舷につけられました。
タグボートに引っ張られつつゆっくりと岸壁を離れていきます。引っ張る側のタグボートは時計回りに後進し、ヴァンテアン号の船首を若松航路へ向けます。
ホーサーを放ち、自力で前進していきます。この姿が、私がはっきりと見た最後のヴァンテアン号の姿となりました。東京と北九州の船がひととき手を取り合う瞬間というのはまさにロマンの塊。このあとの事態など知る由もなく、安瀬に急ぎます。
さようなら、私のヴァンテアン。
北九州市営バス若松営業所から北に歩くこと約40分、そこにはヴァンテアン号の姿はありませんでした。若松航路に入ったヴァンテアン号はそのまま六連島の方へ進み、付近で停泊をしているようでした。希望状況を確認すると、明朝8時の着岸に変更されたということで、この瞬間私の遠征の目的は果たされました。
響灘を望むこの安瀬岸壁は、広大な工業地帯の只中にありました。やってくるのは車ばかりで歩道を歩くものは一人として見ることはありません。この時はまさに最果ての地にたどり着いたという感覚で満たされていました。
遠く蜃気楼に沈み込むヴァンテアン。吹き付ける風や雨粒は、初めて挑む広く険しい大海原への旅立ちを思わせるもので、無事新しい海へたどり着くことを祈るばかり。Danny Boyを流し、この船との4年間を噛み締めながら。
さようなら、私のヴァンテアン。
帰路
安瀬で最後の別れを済ませ、一日に2便しかないバスに乗り込み帰路につきます。最後に戸畑駅前の屋台で売っていた180円のたこ焼きで腹ごしらえ、間髪入れずに小倉駅のホームでラーメンをいただきました。駅そばの感覚でこれほどうまいラーメンを味わえるというのは本当に羨ましく思います。いよいよ長距離バス3連戦も最後になりますが、遂に日本最狂の深夜バスが登場します。
第三戦 オリオンバス(OTB運行) 8042便小倉駅新幹線口バスターミナル→東京駅鍛冶橋駐車場
遂に登場、福岡東京間約1000kmを結び、国内最長距離かつ最長の乗車時間を誇るシン・キングオブ深夜バスことオリオンバス8042便です。今回のクラスはコンフォートシート、大阪~福岡便よりも下の等級で、全席2+2列かつトイレ無しというまさに最狂路線にふさわしい設備。リクライニングはオリオンバスとあってあらかじめ倒されています。割り当てられたのは幸運なことに1D席、最も足元が広い最前列でした。
休憩箇所は、並行するキングオブ深夜バスはかた号が佐波川と静岡の2箇所ですが、8042便は美東SA、八幡PA、三木SA、刈谷PA、足柄SAの全5箇所。トイレがない以上トイレ休憩を多く設ける必要があるので、休憩だけで乗車時間の70分以上を占めています。せっかくなので、九州発のドリンクスコールを飲みながら意気揚々と戦いを挑みましたが、最初の美東、その次の八幡に着く頃には、バスで東九間を走破する事の重大さを把握することになるのです。
東名に入る頃にはいくら姿勢を変えても体が痛むようになり、8042便に対しかなり劣勢を強いられました。はかた号で小倉まで行った際も、ここまで打ちのめされることは無かったかと思います。最後に首都高速が原因の渋滞に巻き込まれたのがあろうことか川崎市内。降ろしてくれ…ここで降ろしてくれ…。
鍛冶橋到着は既に10時を回っていました。総乗車時間は13時間半、前を歩く女性がさもボコボコにぶちのめされたかのようにふらふらとした足取りで東京駅に吸い込まれるさまを見るに、シン・キングオブ深夜バスの実力の程を感じさせられました。長い長い長距離バス3連戦に打ち勝った末に、再び東京博多間でリベンジを果たすと誓い、今回の旅は幕を下ろしたのです。
乗車距離:約1000km
乗車時間:約13時間半
運賃:7000円
ヴァンテアンの旅立ち
ヴァンテアン号は11月20日8時20分に、安瀬8-5岸壁に着岸しました。そして遂に明日11月25日17時に日本を旅立ちます。私は最後見送ることができません。どうか、アクセスの悪い場所であることは重々この身でも思い知っていますが、どうかヴァンテアンの旅立ちを見送っていただければ幸いです。
【追記】11月30日、ヴァンテアン号は那覇港に入港、本港にて船籍国がモンゴル籍となり、新たに「PRINCESS」の名前を戴くことになりました。当初はマニラ向けとされていましたが、今般の手続きの遅れなどが要因で那覇に仕向け先が変更された可能性も考えられますね。12月4日、次港ドバイとのことです。【追々記】
沖縄を経ったヴァンテアン号はシンガポールなどを経由し、ドバイではなくイラン船籍となりました。詳細はぜひ新しい記事もご参照ください。
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今回は長くなりましたが、ご清覧のほど誠にありがとうございました。ネタ出しという性質上かなり分量の多い記事がこれからも続くと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。
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