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2022年、今年やめること。

新年早々、何もできない数日間を経験する 


気がついたら、2022年も3週間近く過ぎていて、驚く。 

年末年始は、生まれ育った街に帰省。東京に戻ったら疲れが出たのか、数年ぶりに寝込んでしまった。気がついたら、世の中はすっかり新年モードから抜けて、日常が始まっていた。

実は昨年の12月ぐらいから、「2022年は良い変化、飛躍の年になりそうだ」という予感のようなものがあった。
その良い兆候として、新年早々、いくつか出会いの場にも誘ってもらっていた。

なのに!それらも体調不良でキャンセル。
スタートダッシュで転んだ気分。1年の始まりとしては、なんだか冴えない。

ベッドの中でゴロゴロしながらSNSを眺めていると、友人知人たちの「今年は◯◯を始める」という宣言がまぶしい。

「新年は、新しいことを始めるべき」という思い込み 

「新年からつまづいた」と嘆く私に、友達が「いいやん、寝とけば」と一言。「だよね、私、ほんとMだ」と気づいた。自分の状況を、必要以上にネガティブに表現して、自分を痛めるつける癖がある。

そもそも、新年だから「始めるべき」って、そうなのかな。
毎年毎年、新しい何かを始めて、新しいルールで自分を縛って、新しい目標に急かされて、ほんとに真面目な私。

この「べき」を捨てれば、何もしないで寝ていることは、「冴えない」ではなく、「優雅」だ。
実際、水分をたっぷり摂取して、食べたいものしか食べず、ゆっくりお風呂に入って、眠りたいだけ眠って、とても贅沢だった。頭も身体も、やけにすっきりして軽やかだ。


2022年、何を捨てる?

新年早々、強制的に「何もできない」経験をしたわけだけれど、そういえば私は、昨年末から、「やめること」ばかり考えていた。
色々、抱え込みすぎている自覚があった。

モノ、執着、ネガティブ思考、思い込み、いらない習慣、愛の存在しない人間関係。
「べき」が生み出す罪悪感、劣等感、自責、他責、強制。

こうしたすべてに足を引っ張られて、何かを手放さずには、一歩も前に進めないような感覚にすらなっていた。
具体的に捨てたいのは、たとえば

・SNSに時間を奪われ、心を支配されること。
・人と比べて焦ること。
・本当の気持ちに従うことへの罪悪感。
・自分を不自由に縛り付けて安堵すること。
・ネガティブ妄想をベースとするヒロインごっこ。
・愛のない人に、心とエネルギーを向けること。
・嫌われることへの恐れ。
・現在の幸せよりも、未来の不安に視線を向けること。
・身にも心にも効かない食べ物を惰性で食べること。
・他人の価値観から外れるにことを気にすること。
・狭くてガチガチの社会通念にハマり込むこと。

すでに昨年のうちに、捨てると決めたら、すぐに捨てられたものもある。

何かを掴むより、手放すことで、飛躍したい。

そんなわけで、引き続き今年は、どんどん「やめる」ことを目標に、いや、自分に許す年にしようと思う。
残るのは何だろう。

たぶん、エネルギーを注ぐ対象は、グッと減る。
・お互いに求め、お互いに大切にできる人間関係
・私の能力が発揮できる仕事
・私が好きなモノとコト
 (こっそりと没頭できる活動を含む)

ぐらい?すべては「私」。

高く飛びたい、ふわっと浮きたいとき、わざわざ荷物を抱える人はいない。
なのにどうして、「何かを手にいれたり、たくさん持っていないと、飛躍できない」と思ってしまうのだろう。

今年は、身軽になって、限られた場所にエネルギーを注ぐことで、ふわっと上昇しようと思う。

今年もよろしくお願いします。



最後までお読みいただき、ありがとうございます✨💕