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息子くん、娘1号?なぜ日本語は対外的な「家族の呼称」で迷走しているのか

日本人がSNSで、自分の子どものことを「息子君」と書いていたけれど、なぜ?

今でもたまに、5-6年前に”日本語と日本文化に興味があるアメリカ人”に聞かれた「なぜ?」を思い出す。

彼は以前、日本語を学ぶ中で、日本人が「お」をつけたり「さん」をつけたり、その使い分けを巧みにすることに感嘆していた。

日本語には、尊敬語と謙譲語というものがある。身内には敬称を使わない。身内の間では「お母さん」でも、対外的には「母」になる。さすがに最近は「愚息」とは言わなくなったけれど、自分の子どものことを「お子さん」と言う人もいないだろう。

しかし、アメリカ人の彼が指摘するように、SNSでは自分の子どもに対する多様な呼称が氾濫している。

息子くん、息子っち、娘ちゃん、娘っち、息子1号、息子2号、長女ちゃん、次女ちゃん、長男君、次男君、チビちゃん…。

これに対して、「日本語では身内の呼称とそれ以外を区別する」と学んだ、日本語を母国語をしない人が「???」となるのも、もっともだと思う。

ちなみに、配偶者のことを旦那さん、旦那様、旦那殿、夫君、奥さん、嫁さんも、本来の日本語的にはNGだ。
配偶者をパパ、ママと呼ぶのは二人の間、家族の中では「ご自由に」だけれど、対外的に使うと混乱を招く。
「主人」というのも、時代の流れと意識の変化で違和感を抱く人が多く、私もその一人だけれど、少し話がずれるので、ここでは置いておく。

ということで、なぜ?に戻るわけれだれど、

なぜ長男、次男という言葉があるのに、あえて息子1号、息子2号と書くのか(彼氏1号、彼氏2号なら、わかるよ)。
なぜ、娘と言い切らず、娘ちゃんと書くのか。これに対する明確な答えが見つからない。

「娘っち」はcatとkityyみたいな感じ??

実はそういう私も、第一子の息子が生まれてしばらくは「息子」と書かずに「チビ」と書いていたナゾの過去がある。

なぜ?と当時の自分の心境を振り返ると、自分が母親になったことの気恥ずかしさ、覚悟のなさとか、「息子」という言葉に慣れないとか、そんな気持ちだったかなと思う(と無理矢理、理由付け。あくまでも私の場合ね)。

娘を姫、息子を殿、と表現する人もいるけれど、これは英語でも 子供に向かってprincess、princeと言う人がいるので、説明しやすいかもしれない。
ただ、英語圏の親が対外的に自分の子どもをprincess、princeと表現するのは、それなりの意図があるときに限られる気がするけれど、どうだろう?

で、私は未だ、冒頭の「なぜ」=「なぜ謙遜の文化を背景に、謙譲語をもつ日本人の一部のひとが、SNSで自分の子どもに“君”や“ちゃん”をつけるのか。“三男”というズバリの言葉があるのに、代わりに“息子3号”と書くのか」にはっきり答えらない。

(関西人は「お豆さん」「飴ちゃん」などと、ビーンズにもキャンディにも敬称を使うよ!…こっちの方が、よほど説明できる気がする)

たかが言葉、されど言葉。

言葉に隠れる「何か」があるはずだと思って、使っている人に「なぜ?」を聞いても「別に、何も考えてなかった」となることが多いのも言葉。流行にすべて理由があるわけでもないのも言葉。

社会も日本人のマインドも変化したから言葉も変わるよね。

休日モードのインタビュア&ライターなまず美紀でした。

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