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これからと今、ミスiDに出て変わったこと、自分を生きること



私は、今までの人生を人のために生きてきました。
今回は料理のこと、そして夢のことを交えながら話していきたいと思います。

私は料理が得意です。いわゆる冷蔵庫の余り物を見てぱぱっと作れるのはもちろんのこと、本格的なインドカレー、ドレッシングを手作りしたりするくらい上手です。
料理が上手くなったきっかけは、当時同棲していた彼氏が食に対してとんでもなくわがままだったからです。「ご飯と主菜のみのメニューはNG」「カットサラダは楽だけど栄養がないからダメ」「カレーもルウを使ったものは粉っぽくて嫌い」まずいから捨てるという極端な行動はなかったものの、やはり女心としては傷つきましたので、料理の基礎を徹底的に叩き込み、そして最終的にはそんな彼に「(料理は)プロ級だね」と言わせるまでに成長しました。けどその頃には、私自身が料理に目覚めのめり込むようになりました。元々お酒が好きだったし、一回外食をすると二万円は確実に使ってしまうので自炊で低コストで美味しく食べられるなら一石二鳥っていうのもあったけど。
アルバイト先をすべて飲食関係にし、イタリアンラウンジレストランやバーで、食材の組み合わせ、お酒とご飯のペアリングを学んだりしました。
こうして自分からやろうと思って始めたことではないけど、最終的にのめり込むというパターンが多かったのです。(漢字、弓道、音楽関係などなど)

話は変わりますが、そんな私にも小さい頃からずっと漠然と抱いていた夢がありました。
前に書いた「私と母とミスiD」で分かる様に、私と母は共依存の関係でしたので、母が行くところには必ずついていきました。母は芸術関係にあかるく、絵画展や舞台、オーケストラなどさまざまなものを見せてくれました。
その中で最も私の心を打ったのは舞台でした。壇上で浴びるスポットライト、セリフだけではなく歌で心を表現する、自分ではない誰かを演じ、誰かの心に残る。
いつだったかディズニー映画の「魔法にかけられて」(ミュージカル調の映画)を見ていた時。中盤の「想いを伝えて」という曲を主人公のジゼルが歌うのですが、前半までの彼女の歌う曲調はしっとり夢見心地な雰囲気が多かったのですが、ここではポップで軽い(音楽用語で言うところのカリプソ)音楽になっているのです。曲の間奏にジゼルを追いかけてきた王子も歌い出すのですが、彼の音楽は最初と変わらずしっとり夢見心地な曲調なのです。そこのシーンを母は「これはジゼルの心境の変化を表している」「今までは出会ってその日のうちに結婚するような文字通りおとぎばなしの世界に生きてきた彼女の世界が変わったということ」と言っていました。
小さかった私は、「想いを伝えて」をただただ楽しい曲としか感じていませんでしたがそれを聞いて表現の可能性を感じました。言葉ではなく音楽でも感情を表現する。私はますますキラキラした自分を表現する世界に憧れていきました。
しかし、キラキラした世界というのは外見で判断されるといっても過言ではない部分が確かにあります。容姿に対する小さく、薄い半紙のように積み重なった挫折。これだけ芸術関係の知識を叩き込んでおきながらその方向に進むことをあまり良しとしなかった母。そして私は自分を表現して自分が舞台に立つことを諦め、そういう人たちを輝かせる舞台演出家を目指しました。
普通は、そういう映画関係の学校に進学するのが妥当ですが、専門学校、芸術の大学への進学を許さない高校の校風、母との確執もあり、舞台演出家を過去に輩出したことがある「ふつうの」大学を志望校にしていました。偏差値は低いわけではないけれど必死に勉強しました。
高校在学当時、私には彼氏がいました。彼は母子家庭で育ち、一見優しく賢い人でしたが、裏ではかなりの情緒不安定で毎日「死んだらどうしよう」、という言葉や気に入らないことがあると無視や軽い暴力を振るう人でした。通常の判断能力があれば「ヤバい人」と判断し離れることでしょう。しかし、私は典型的な承認欲求が強いタイプだったので心の奥底では「必要とされてる自分」を感じ、彼にのめり込んでいったのです。彼は明らかに精神疾患を患っており、心が風邪をひいている人でした。しかし、本人や唯一の家族の彼の母も、病気であること、治療が必要であることを認めず私が彼の母に土下座して、病院探しや通院、学校の先生との連携をさせました。結果は「うつ病」「不眠症」「パニック障害」でした。彼のためにたくさん病院を周り、セカンドオピニオンを繰り返す。家に帰れば彼のアフターケア。受験真っ只中。そんなことしている場合じゃなかったのに。いつしか、志望大学は「彼の手助けになるかも」という理由で心理学を希望し、唯一自分から望んだ夢でさえ人のために手放したのです。
(まあ後々、彼の浮気や加速する暴力もあり、提出ギリギリで少し興味のあった社会学専攻に変更しました)
ある意味こうして私は逃げてきたのです。自分と向き合うことを。

今年、ミスiDを応募するきっかけは?と聞かれたたら「ハムスコさんを見たから」と答えていました。もちろんそれは本当。だけどより深く話すと、大学卒業間近、飛び込みたかったキラキラした世界では年齢的に若いと言われなくなる、ここなら私の見てみたかった飛び込みたかった世界の切符を手に入れられるかもしれない、自分を表現したい。そう思い応募したのが事実です。自分と向き合って、好きなことしたい。人生一度きりだから。

応募した際の自己PRには自分の武器を使いこなしたい、そんなことを書いた気がします。私はこんなことできて当たり前といわれて育ってきたので自分の資格やできることを「すごい」と手放しに褒めてくれるひとがいることにびっくりしました。未だに自分の武器を使いこなしてるとは言えないし見せ方もわからないけど、ここで逃げなかったことは大きな成長だと思っています。




小学校低学年の時、私はマラソンが大嫌いで仕方なく、毎年学年でビリでした。ある年、ビリを免れそうな時があったのです。しかし後ろからクラスの女の子が顔中の水分が全部出てるんじゃないかぐらいに鼻水涙涎汗まみれで私をゴール直前に抜かしていったのです。自分でも最低だと思いますが、当時は「こんなに醜くゴールするなら綺麗な顔でビリがいい」本気でそう思っていたのです。
今、私はビリあの頃のマラソン大会のゴール直前を走っています。顔中の鼻水涙涎汗まみれとは言わなくても私の出せるもの最後の絞りカスまで出し切りたいと、醜くても自分を見てほしい、知ってほしい。本気でそう思えたのです。
周りから見て私は、頑張っていない、手を抜いてる、逃げてると、成長したとは言いつつもそう思ってる方がいると思います。ですが、小さなことでもここで復活戦に参加したことは大きな一歩でした。

※すこし話の腰を折ると、ファイナリストになりたい理由の一つとして吉田豪さんの顔ファンであり単純に直接お会いしてみたい、というのもあります笑

後悔はしたくない、ちゃんと言えることは言えた、そう思える様にラストスパートを頑張りたいです。