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私が「英語」で学んだ思考のクセ

少し前に「英語への投資は本当に必要?」で紹介した通り、苦節十数年、英語を学び続けているからこそ、見えきてことをここに少しまとめておきたいと思います。同じ道にいる方の参考になれば・・。

「英語が話せない」の正体

最近、英語学習仲間とIELTSのスコア7.0を目指して勉強会をしているのですが、そこで自分の「英語が話せない」理由が今更ながらよく分かってきました。IELTSのSpeakingやWritingのために下記のような一問一答やテーマについてのshort essayなどの練習をします。

”What do you think of fast food?"  "Is family important in your country?" "Where do most young people like to go out in your country?"

こう聞かれて言葉が詰まるのです。「やっぱり英語では言葉が出てこない〜」と以前の私は思っていたのですが、、違うんです。これは、日本語でも言葉が詰まるんです。特に私はストレングスファインダーの上位項目に「内省」「学習欲」が入っているので、心の声が止まない、笑。つまり、言いたいことがまとまらない。だから、特に論理的な言い方を得意とする英語には、不向きなのです。こう思うに至ったのは、英語で通っていた大学院では「意見」や「答え」があるので、英語で意思疎通ができていたからこそ、話せないのは難易度の問題ではないことに気付いたのです。

英語を話すことは、腹をくくること

そしてそんな中でも練習を重ねていくことで、少しずつスムーズに話せるようになってきました。それは英語のボキャブラリーが増えた、英語が聞き取れるようになったという「英語スキル」の上達のためではありません。心の声に蓋をして、今出せる結論を出す、と決めて振り切ってしまうことで、スムーズになりました。

もっと早くそうすれば(そうと気付けば)良かったのですが、それができないのがこの「英語」という言語の根底にあると思うに至りました。なぜなら英語は「主語」を要求します。特にこうしたテストでは結論と論理性も要求されます。そうすると、それは " I "なのか" In general "なのか、私が決めなくてはいけません。そこには言葉にする責任も伴うし、私にはそこまではっきりと言いたくないこともたくさんあります。そうした迷いが、私から「英語」つまり「言葉」を奪っていっていたのです。ちなみに、私が大学で専攻していた「インドネシア語」はもう少し主語に寛容なイメージです。

そうして腹をくくることで、発言に責任を取ろうと決めてしまえば、もうその結論に沿って意見を述べるだけです。あ〜話せる話せる、笑。

英語を話すと新しい思考回路ができる

そうやって腹をくくってみると、新しい発見がありました。

まず、結論はどうであれ、私の意見はどうであれ、その根拠との整合性、一貫性をとろうとします。そこには「知識」が必要になります。すると、自分に今何が足りないのか、どこのアンテナが低いのか、逆に高すぎて迷うのか、その情報はどこから得たのか、ということに意識が向くようになりました。

そして、何より意見を述べる機会が増えるということは、日頃から自分の意見を持とうと思います。それは政治・経済の一家言ではなく、上記の「若い人はどこにいくの?」「ファーストフードはどう思う?」といった毎日の些細なことでも。そこには正しさではなく、自分はどう思うか、そしてそれはなぜなのかということに思い巡らせることが大切なのだと思いました。

最後に、こうした意見を「決める」ために、私の場合は「判断軸」が必要だと思いました。それはどんな場合でも、どんな状況でも、自分が大切にしていきたいと思う「価値観」です。もちろん、状況によって異なることはたくさんあります。だから私はできるだけ言葉を濁したい、笑。でも「英語」に出会って、私が一番よかったと思うことは、この意見を決めるプロセスに身を置けたことだと今は思います。だから、その「価値観」に向き合いながら、「判断」と「言葉」をこれから磨いていきたいな、と思っています。

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