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山上徹也が日本に残してしまった「レガシー」

生まれてしまった「無敵の人」の成功体験

2021年以前の”無敵の人”事件では、犠牲になったのは障がい者施設の入所者や精神科クリニックの通院者と医師、たまたま電車に乗り合わせた一般人などであり、事件の犯人はその動機がなんであれ、「無関係の人を巻き込むクズ」「無能は敵を間違える」などと批判されてきた。

ところが、それとは全く異なる反応を社会が見せた”無敵の人”事件が2022年に起きた。安倍元総理の銃撃事件だ。

統一教会にのめり込んだ母親の高額献金によって家庭が崩壊し、就職氷河期の時代に(学力はあるのに)大学進学を断念せざるを得なくなり、まさしく「経済的徴兵」のごとく自衛隊に入隊することとなり、家族に保険金を渡すために自殺未遂を起こすなど、控えめに言っても「同情してしまう人生」を送ってきた犯人が、その宗教団体に”お墨付き(正当性)”を与えていた(と考えられる)政治家を狙い、無関係な者には一切危害を加えずに暗殺を「成功」させたのだ。

その結果、社会はどんな反応を見せたか?

事件当初こそ、その衝撃と事件の重大性から「民主主義への挑戦」という言葉で犯人を批判していた多くのメディアや言論人が、事件の背景や「安倍元総理と統一教会の関係」が明らかになるにつれ、犯人に同情的な姿勢を見せはじめたのだ。

そして、まだ裁判も始まっていないのに「減刑を求める署名運動」まで起き、果ては「山上様でかした!」などという称賛の言葉を放つ著名人まで現れた。

政治も動いた。

自民党議員を中心に多くの政治家が「統一教会との関係」を持ち、「選挙協力」を受けていたという事実が白日の下に晒され、国葬の混乱と合わせて自民党への支持率を大きく低下させた。辞任に追い込まれた大臣もいる。そして、国会では統一教会の被害者を救済する法案まで成立したのだ。

認めなくてはいけないだろう。

ついに”無敵の人”事件に「成功体験」が生まれてしまったのだと。

経済状況が悪化していくことが確実な今後の日本で、”無敵の人”は確実に増えていく。そしてこれから”無敵の人”になる者には、

「凶器はどうすれば手に入るのか?」
「何をやれば(誰を殺れば)称賛されるのか?」
「どうすれば自分一人で社会を動かせるのか?」

というガイドラインが与えられてしまったのだ。

今後、”無敵の人”事件では「手製の銃」がたびたび登場し、事件の舞台は「労働者階級が押し込まれている電車」から「富裕層の居住エリア」へと移り、犠牲になるのは「無関係な庶民」ではなく、自己責任論や弱者切り捨てを公言する「いけすかない金持ちや政治家」といった人たちだろう。

山上徹也が残してしまった「レガシー」とは?

大多数の人は表では山上徹也を批判してみせるが、その実、

「自分が同じ立場だったら…」
「結果的に社会は良くなったんだよな…」

という同情やささやかな感謝を山上徹也に抱いている人は、恐らく人々の予想よりも遥かに多く存在するだろう。

とりわけ、「(暗殺は肯定しないが)結果的に社会が良くなったのは事実」という点に関しては、社会学者の宮台真司氏や令和の論客・ひろゆき氏も公言していることであり、その発言には一定の賛同が集まっている。

確かに、山上徹也が事件を起こしていなければ、

「天皇を侮辱する教義の外国カルト教団と日本最大の保守政党が繋がりを持ち、選挙協力の見返りとして公安の監視対象から外したりイメージ刷新のための名称変更を認めたりして、教団が日本国内で活動しやすくなるように便宜を図っていた」

などという陰謀論のような真実が明るみになることは無かっただろう。

「言ってはいけない」ことだから現実の社会で口にする人はいないが、上記のような事実は少なからぬ人々が内心では認めていることなのだ。

そして、その事実は同時に"ある期待"も人々にもたらした。

それは…

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