集中力って持続するのは無理なので。
自分の問題を主題化することはとっても難しい。
取り組むべき課題は考えるまでもなく列挙できる、と思っている。
しかし今自分が求めているのは、自分の問題ではなく、身の回りの問題であるなぁとふと思う。
世話を焼くということが必要で、自分の世話というのはなかなか億劫になってしまったりする。
どうしてだろうか。めんどくさいからなのか。
そんなことをこうして打っていると、セルフケアなんぞお前は無理だと思う自分がでてきた。こいつが出てきてくれたら自分はなんとか戦える。
でも、エネルギーがないときというのは、そういうネガティブなものに抑圧されることというよりは、ネガティブなものすら何もない、凪の状態である。
波風立たせたくはないし、平穏に生きて生きたいと願っているものの、実際にそうなってしまうと結構暇で、なんともいえないもの寂しさがある。
むしろ、平穏に生きたいと願う背景には、平穏ではない日常というものが存在している。それに負けないというか、それらをきちんと対象として扱ってあげなければならない。
問題は幸か不幸か山積していて、一つ一つにたいして、けりをつけることが求められている。誰から?自分が求めているのだろうか。
哲学的な考えはちょっと危ないんじゃないかと最近とみに思う。
いわゆる保守的な日常の構えのようなものが、それを支えてくれてはじめて、批判やら概念やらどうのこうのという話になってくる。
そうすると、必要なのは日常の整備であったりするので、高いひげそりをぽちって早速使ってみたりすることは、日常の整備に寄与しているので、何ら悪くないどころかいいことではないか。
少し忙しくなりかけたので、仕事を早めに切り上げて一人カラオケに行くとか、自分の好きな業務だったらちょっと人よりも多めにとって自分はその業務ができるしほかの人にとっては助かるといういい流れすらできている。なんてことは、とてもいいことなんだろう。
どうにも僕の精神は、平穏というが凪の状態であることそれ自身に対して批判を差し向けてしまう傾向にある。それも精神は勝手で、特に論じることなく雰囲気や空気で押しつぶしてこようとするもんだからたちが悪い。やる気の問題なんてその範疇だろう。
でもこうしておもむろに吐き出せる場所があるおかげで、そんなげろしゃぶ的な自己批判を吐き捨てつつ、颯爽と明日に思いをはせることができる。
皆さん今日もおつかれさま。
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