書くために書かないことを書かない。
冷蔵庫の中に、氷を作ってくれる水の箱があって、昔母親にここに入れる水は浄水をつかってはいけないと、と言われたことがあったから、今の今までずっと浄水を使わずに水道水をだーっと入れていたけれど、なぜ浄水を使ってはいけないのかということはわからないなと思った。
日常生活を送る中で、当然のようにふるまっているものの、それがなんだと問われてみると返答に窮することはままある。
オードリーのオールナイトニッポンで今週ギャラクシー賞の話になった。
受賞したけれど、結局これって何なんだ?という話を二人がしていた。じっくり聞いてみてもついぞ答えはでていなかった。まぁえらいものなのだろう、という話になっていた。
突き詰めて考えてみるということは、結構重要なスキルで、スマホやPCなどがあれば(逆に家に無いという人はいないんじゃないのか、とすら最近感じるけれど)ぱっと調べることができる。なるほどね、MRIの略ってそうなのね、なんてことは秒殺のレベルである。
ただ、わからないままでぼやんとしておく、ということも重要なスキルなんじゃないかと最近は感じる。
やらないこと、脱力すること、手放すことを考えている。
あれもこれも、詰め込んでしまうとしんどいしパンクするし、体がいやーっていう反応をすることがある。いてもたってもいられなくなる。忙しいときとかによくなる。
あれもこれもするということをあきらめて、毎日こそこそしていきたい。このnoteもこそこそ書いている。このこそこそ感が最近はうれしい。うれしいことを自分が毎日何かしらの点で形成しているということだな。
お風呂で無職転生を読んでいる。2巻の終わりぐらいまで読み進めた。アニメを最新話まで観ているので、だいたいの話を覚えているけれど、原作の方がいいな!とあまり根拠なく思っている。
この根拠のなさということが、人間が生きる上で大事な要素なのじゃないかと思う。
愛について考えてみる。僕たちは愛のために生きている。ただ、愛というのは、なんだと真正面から聞かれるとどう答えるだろうか。
僕は愛というのは、相互作用だと考えている。
愛について考えることをやめることは難しそうである。
日頃生きる原動力になっている。愛の不在を考える。不在でもまぁなんとか生きていくことはできるだろう。
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