ホストファミリーと再会した話
こんばんは。あき竹城です。
初めてこんな文章を書かせていただくにあたり、
何を書こうか迷ったのですが、
就活を続けていく中で、一つ思い出した話がありましたので、
そちらについてお話させていただこうかなと思います。
私は中学2年生の夏休み、
親や先生に無理を言って、留学をしていたことがありました。
まだ若干14才という若さながらも
世界をこの目で見てみたいと感じたからです。
不安いっぱいで空港に着いた出発当日の朝。
僕は泣きそうになる気持ちをぐっとこらえ、バスに乗りました。
両親が大手で手を振るのを見た瞬間、ダムは決壊を果してしまいました。
泣きじゃくりながら、モンストをしても
何もいいことがないことを学びました。
向こうに着くと、
ホストファーザーとホストマザーが迎えに来てくれていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1662282736387-sBLk45o5lG.jpg?width=1200)
元気が取柄だった僕は、
「こんにちは!」
と大きな声であいさつをしました。
あの時の怪訝そうな顔を、今後忘れることはないでしょう。
なんやかんや向こうの生活(1か月)はとても楽しかったです。
できる限り英語で、できないところはノンバーバルで
何とか乗り切ることができました。
幼稚園生のホストブラザーと、同い年のホストシスターとも仲良くなり、
モンストのマルチに潜りました。
ツクヨミになかなか勝てず、苦戦したのはいい思い出です。
留学も中盤に差し掛かったある日、
ホストシスターが学校帰りに花を摘んできてくれたことがありました。
無知の僕には何を摘んできたのかは不明でしたが、
とてもうれしかったです。
そして、そこから少しづつ彼女のことが貴になるようになってきてしまいました。
ある日の晩、僕がすき焼きを披露したこともありました。
あまりお口に合わなかったらしく、
全員から卵を投げつけられました。
かなり痛かったです。
帰国当日の朝
僕は泣きそうになる気持ちをぐっとこらえ、ホストファーザーの運転する車に乗り、空港まで送ってもらうことになりました。
荷物検査場の前で、
ファミリー全員と固い握手を交わし、別れを告げました。
ファミリーが大手で手を振るのを見た瞬間、再びダムは決壊を果してしまいました。
泣きじゃくりながら、モンストをしても
何もいいことがないという教訓は生かされることはありませんでした。
3年後
高校2年生の僕は、TwitterのDMで、
彼らが日本に遊びに来ることを知りました。
ウキウキで待ち合わせした、午前11時
DMで
「I wait in front of dog(ハチ公の前で待ってるね)」
と送りました。すると
「fuck! The dog are moving creatures, so don't use that thing as a marker for a rendezvous, scum!(死ね!イヌは動く生き物なんだから、そんなものを待ち合わせの目印にするな!カス)」
と言われてしまいました。泣きそうな顔で画面を凝視することしかできません
「You're gonna die out here in the field! We're going to Kyoto to have a tea party.(お前はここで野垂死にしろ!わしらは京都で茶シバいてくるわ。)」
と会うことはできませんでした。
とまあ、
こんなことがあったかないかは別として、
あったら相当へこんだだろうなと思います。
僕は元気に生きています。
最近、何も楽しいことがないと思う様になりました。
みんなは何を楽しみに生きているのだろうと。
ただ、「人生とは、自分の楽しいものを見つける旅だ」と金物屋のおっちゃんが言ってたことを思い出しました。
本当にその通りだと思います。
勉強という単純明快な物差しがあった今までとは違い、
これからは上司や人事の中に潜む、
彼らの物差しを見極めつつ、頑張る方向を見つけ、
生き抜いていかなければなりません。
自分が本当に何をしたいのか
病室の天井を見上げながら、
「まったく、いい人生だった」
と、酒を手にして言えるでしょうか。
僕には、まだ自信がありません。
だからこそ、これからもたくさんの思い出を作る必要があります。
他人の物差しではなく、自分の物差しで考えられるように
楽しいものに従事し、大きな口で笑いながら、
大きなおっぱいを揉む。
そんな人生に、したいものですね。
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