我々は「だめ」でいいのだろうか


本稿は、2021年12月3日「だめ連ナイト ~いまのうちか!? 集まろう、語ろう、人生、運動~」において使用したパワーポイントを文章化したものです。

ありがたいことにイベントに来れられなかった方で内容を気にしてくださる方が多かったので、文章として公開させて頂きます。

しかし、「イベントの導入でその後の議論のたたき台のために使用したパワーポイントを文章化しただけ」です。文章として必要な補足は多少加え、イベントで検証したかった要点は抑えていますが、具体的な情報は乏しく、また何かしらの結論に至るような文章ではありません。

そういった性質の文章であることをご理解頂けますと幸いです。


はじめに
だめ連は言うまでもなくオルタナティブムーブメントの金字塔のひとつです。2100年の歴史の教科書に記載されている可能性すらあると私は考えています。

その理由として、だめ連思想の現在にまで続く影響の強さがあります。だめ連思想が確立された90年代以降も、さまざまな思想が手を変え品を変え注目を集めていますが、「だめ」な状態を肯定あるいは、より推奨することをベースとした「だめ連」の発展形、亜種とも言えるムーブメントが非常に多いです(ここではあえて具体例は明記しません)。

つまり、私たちは約30年間も「だめベース」の流行思想の影響を受けていることになります。とりわけ、だめ思想はまだ社会に出ていない学生・モラトリアムと親和性が高く、社会学分野の学生、社会問題に興味の強い学生の少なくない人数を「だめ」にしている実績があります。

下記からは「だめ連」的思想の特徴をあげ、そしてずっとこの状態を続けることの展望の難しさを検証します。しかし、それは、「だめ連」がオルタナティブムーブメントの金字塔という大前提を掲げた上での主張であることはご理解頂きたく願います。

だめ連的思想の特徴
だめ連的思想の特徴として

・「働くこと」に対する必要以上の忌避
・実業に必要な技能やスキル習得の軽視
・仕事で生じる負荷からの退避の推奨

をあげることができるかと思います(これは私が早稲田あかねでのマスター経験、もしくは運動や交流の場でだめ連の考えに傾倒した方々、あるいはだめ連以降のだめ思想に傾倒した方との交流で得た印象を元にしています)。

もちろんこういった考え自体は必ずしも批判されるものではありません。むしろ、戦略的撤退の思想として抜きん出た素晴らしさがあり、それゆえに今でも「だめ連」的思想の亜種、発展形がムーブメントとして登場します。

だめ連思想によって救われた人、人生がより豊かになった人はたくさんいます(私もそのひとりです)。しかし、上述したように、だめ思想は学生・モラトリアムと親和性が高く、この点が非常に難しい点となります。


「だめ」を貫徹することの困難
だめ連的思想は社会との接続という点で困難があり、若いときに「だめ状態」を維持できても人生において、だめを貫徹できる人は多くはありません。貫徹できる人の例を①②としてあげます。

①実家が太く、家賃や光熱費等の生活の心配が少ない。将来的な不安が小さい。
②「だめ」として愛される人格や、何かしらの特殊性を保持している。

上記①②はオルタナティブ業界の重鎮やスターや常連となります。しかし、このルートでだめを謳歌できる人は非常に限定されています。

どちらかというと、下記③④の方が多数になります。

③本当に将来のことを考えていない。
④人生のどこかのタイミングで「だめ」に折り合いをつけ、普通に働き、普通に生活する←オルタナティブからの撤退

③の場合は人生の後年において大きな困難が生じてしまう可能性があり(注 それはどんな人生選択においてもありますが)、④の場合は人よりもちょっと長いモラトリアムを過ごした人を増やしただけになります。

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私たちは、自分自身の人生を特別なものだと考え、自分が出会った思想を最先端であったり、運命的な出会いを果たしたと考えがちです。しかし、俯瞰してみると、要はこの「だめループ」を約30年間も繰り返しているだけとも捉えることができます。

30年間も多くの学生や若者がこの思想的ムーブメントに参入したことになり、だめ思想の良い点も発展形も、かなりの部分で出た、あるいは出尽くしたともいえると思います。

今よりも、よりおもしろい状態、より豊かな社会を生み出せる可能性は十分にあります。そのためにも、30年間におよぶ社会実験を繰り返しただめ思想ではなく、それ以外のオルタナティブに挑戦した方がよいのではないでしょうか。今後の若い世代が新たに傾倒するオルタナティブがどこかで生み出される未来を構築していきましょう!

文責 菅谷圭祐


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