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平等は不平等?

よろず屋いちばんが始まって数ヶ月が経ちました。

お店を始める前は、リサイクルショップってどれくらい売り上げがあるのだろう?お客さんはどれくらい来てくれるんだろう?とかなり不安に思っていました。

ところが、実際に店番を始めてみると、想像を上回る来客と売り上げがありました。新生活に必要な家電や家具を購入していく人、食器を買うついでに立ち話をしていく人……

こうして皆さんが買い物をしてくれた「売り上げ」から家賃や経費を差し引いたものが「利益」となります。私たちは、この「利益」を平等に分けあっています。

もう少し正確に言うと、毎月の利益から「日給」に該当するものをはじき出し、「日給 × 店番をした日数」を受け取るのです。例えば「日給」が10,000円で、その月に4回店番に入っていたとすると、4万円受け取れる仕組みです。

◆店番中にできること

普段自営業者として働いている組合員の中には、家具の組み立てや塗装、家電の清掃、看板の作成 etc. ができる人がいます。

そうした能力を持つメンバーは、店番の間に天板と端材でローテーブルを作ったり、汚れている冷蔵庫をきれいにしたりしています。

しかし、私を含め、普段会社員として働いている組合員には、そのような技術がありません。結果、「店番の間にできること」に結構なバラつきがでてしまいます。もちろん私たちも接客や品出し、ネット出品に励んでいますが、家具を作ったり、店舗を改装したりすることはとてもできません。

それでも技術を持っているメンバーとそうでないメンバーが受け取る「日給」は同じです。時折、「技術のある組合員は不満に思っていないのだろうか」と考えます。平等にしたせいで、かえって不平等になっている気がします。

◆接客の上手い下手

接客にも上手い下手があります。お客さんと雑談で盛り上がれるような人もいますが、接客に苦手意識があり、「お客さんが来ると緊張してしまう」という人もいるようです。

こうした接客の巧拙は、売り上げをそれなりに左右していると考えられます。しかし私たちは、接客の上手い下手によって「日給」に差をつけることはありません。

◆ザリガニをどう分けるか

高橋均さんは『競争か 連帯か』(旬報社)で、「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」ということに触れていました。

1950年代後半に、九州北部の炭鉱地域を舞台にした「ボタ山の絵日記」というドキュメンタリーが製作されたそうです。そのドキュメンタリーの中に、3歳から小学校高学年くらいの子供たちが、皆でザリガニを獲りに行く場面があります。

年長の子供はたくさんザリガニを獲れますが、小さい子供は少ししか獲れません。しかし最終的には、捕まえたザリガニを家族の人数に応じて分配するそうです。

そのため、たくさん捕まえたのに、ザリガニをわずかしかもらえない子供もいます。その一方で、一匹も捕まえられなくても、家族の人数に応じてたくさんザリガニをもらえる子供もいるのです。

これが「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」ということだそうです。

◆「能力に応じて働き、平等に分配する」

この「ルール」に照らし合わせてみると、私たちの場合は「能力に応じて働き、平等に分配する」ことにしているといえそうです。家具の組み立てや接客、チラシのデザインなどそれぞれが得意なことを活かして働き、売り上げを平等に分けているからです。

幸い、このことに不満を持っている組合員はいないと思います。ただ、もしかしたらこの先誰かが「自分にはこれだけの能力があるのだから、もっと日給をもらってもいいのではないか」と感じることがあるかもしれません。

もしそうなったとしても、私たちが目指すべきは、店舗への貢献を「数値化」して「日給」に反映させることではないと思います。「能力に応じて働き、働きに応じて分配する」では、会社と同じになってしまいます。

大切なことは、それぞれができる範囲で事業に貢献すること、できることを増やしていくことではないでしょうか。

◆補足

組合員の間にも「能力に差がある」と書きましたが、その「差」はそこまで大きくないともいえます。組合員は全員、自営業者もしくは会社員として働いており、一定の社会性や体力を備えています。そうでない人も受け入れられるかといえば、かなり疑わしいでしょう。

先日、精神疾患のある知人が処方薬のオーバー・ドーズで遅刻、欠勤を繰り返してしまっている話を聞きました。こうした不安定な人も「仲間」として迎え入れられるかというと、残念ながら難しいのが現状です。

(文責:中垣内麻衣子)

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