学生時代以降の交流スペース、飲酒イベントについて

このnoteでも何度かお伝えしてきたように、私たちは自営業者とその仲間でリサイクルショップ「よろず屋いちばん」を経営しています。

よろず屋いちばんを共同経営する理由はいくつかありますが、社会運動面での目的としては「働き方に新たな選択肢を増やす」、働き方改革という面が最も大きいように思います。

つまり、仲間たちと助け合って働くことは可能なのか、可能であればどういった形態がより望ましいかを広く伝える。もしくは、仮に不可能だったならばどの点がよくなかったのかをやる気ある今後の若い人のための肥しとして残す。こういった取り組みです。

私個人(菅谷)としては働き方改革を試みること、すなわち人生の中の大きな部分を占める仕事のあり方の変革を試みることは、世を憂う、社会を憂う人の活動としてやるべきことベスト5に入るくらい重要だと思っています。しかし、現代において左派・リベラルもしくは右派においても、こういった取り組みはメインストリームではありません。

ひとつの大きなムーブメントに交流スペースの創設・維持、あるいは(なんだかんだと革命や社会変革を銘打ちながら要は)飲酒イベントの開催があります。今回はその可能性のついて検証をします。

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私自身の反省としても、社会を善くしたいという思いがある場合に、飲酒や交流の機会をつくることに大きなエネルギーを割きがちです。また、すごく大雑把な解釈として大学が自治空間として機能しなくなった2000年代以降、やる気のある学生は大学の外に交流空間を創出する方向(=居場所運動)に舵を切りました。

大学で始めた居場所運動は少なくない場合で、大学を出た後も継続されます。都会でちょっと検索すれば、たくさんのフリースペース、交流スペース、シェアハウス等を発見できます。あるいは革命的な飲酒イベントに参加することも容易です。

もちろんこういった場所や取り組みも意義あるものです。私もフリースペースや飲酒イベントは大好きです。5年くらいずっと一生懸命そういった活動をして生きてました。

しかし、私がここで訴えたいのは、飲酒や交流の場をつくることは「大学を終えた後でも」それほどに優先順位が高い活動として存在し続けるのかということです。

私見として、学生以上の年齢になると飲酒・交流が何かしらの新しい試みにつながる可能性は高くはありません(私自身が各種の運営をした経験からです)。飲酒・交流は学生時代には新しい試みを生まれる場としての期待が高いです。それが社会に出て時間が経過するにつれて、日常や仕事と分離された慰め・息抜きの場へと変異していきます。

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飲酒・交流が発展性を生む場所から慰め・息抜きの場所へと変異していくことには理由があります。その大きな理由が、学生と労働者(学生以降)の生活様式の違いです。

学生以降は仕事もしくは家族関係によって生活様式が大きく固定されます。多くの場合は、その様式を変えることは困難です。そのため、飲酒・交流を経て「自分自身が」何かしらの大きな変化を起こす一員となることを想定も期待もしていません。求めるのは余暇の息抜きと日常に対する慰めです。

一方、学生の時はそうではありません。

学生以降のような生活様式の固定はほぼないため、飲酒・交流を通じて新たな展開や新しい動きが生まれることは日常茶飯事です。「明日〇〇をやろう」「いいね!」と即断即決で、すぐにアクションを起こすこともしばしばです。

しかし、これは学生という一時だけの特別なシチュエーションです。特に労働者になると「明日〇〇しよう」と即断即決はとてもじゃないができない。残念ながら、学生時代の成功体験はいつまでも続かないのです。

もちろん労働者が、肉体を、精神を、休めるための場所や取り組みも重要だと思います。ただ、そういった場所を作り、維持する「居場所運動戦線」に学生時代の成功体験を元として、多くの有望な人が結集しすぎていること、そこに留まり続けることの意義や効果はもう少し議論・検証されてもよいのかもしれません。

文責 菅谷圭祐

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